フランシスコ大友宗麟公没後430周年記念礼拝を終えて想うこと

先の大友宗麟公没後430周年記念礼拝の講師としてお招きした宮本さんから丁寧な感想文をいただきました。公開させていただき、恩恵を交換したいと思います。
フランシスコ大友宗麟公没後430周年記念礼拝を終えて想うこと
16世紀後半、日本に来て豊後国の国主大友宗麟と接したカブラル神父、ルイス・フロイス神父、ラグーナ神父らイエズス会の宣教師たちは口を揃えて「日本国の(キリスト教への)改宗は、神(デウス)に次いで大友宗麟に負っている」と言い、彼を国家に匹敵する人物であると評価していました。
その大友宗麟がなくなってちょうど430周年目にあたる今年(2017年)6月28日、大分サンクチュアリ教会の主催により「フランシスコ大友宗麟公没後430周年記念礼拝」をゆかりの地・津久見市で挙行できたことは、日本の摂理史に残る記念的なことであったと思われます。参加者は地元大分を中心に山口、そして長崎と、これもまた当時のキリシタン時代を牽引したゆかりの地の食口たちであり、時代を超えて先祖と子孫が交流し、これを再臨主お父様の摂理につなげる時間であったことでした。
講師としてこれに臨むにあたり、これまでほとんど触れることのなかった宗麟公のキリシタン信仰について宣教師たちが書き残した原史料をもとにあぶり出す作業をすることになったのですが、一番に恵みを受けたのは私本人であったようです。と言うのも、宗麟公はイエス様の十字架による贖罪の神秘を深いところで受けとめていたし、キリシタンになることは決して人間の能力に依るのではなく、神の救いの御業であることを理解していたこと。そして、旧約時代のヨブのような信仰を持っていたことを確認できたからでした。
多忙な中、祈りを持って諸準備をされた大分サンクチュアリ教会の皆さん方に、心から感謝申し上げます。と同時に、記念礼拝を終えた今、その続編として、ある事実をお伝えしたいと思います。
それは、宗麟公なきあとの豊後の国が辿った悲惨な歴史に由来するものですが、宗麟公のもとでキリシタン信者になりながら、信仰の次元が至らなかったために苦難を甘受することのできなかった周囲の人たちの悲しみ、宗麟公を誤解した人たちの哀しみが隠されていた、ということです。礼拝の講話を終えて宿に戻り、疲れも出てぐっすり休めるはずのあの日の夜、私は何故か悲しくて哀しくて、眠ることができませんでした。その悲しみが尋常なものではなかったので、何処から来るものなのか、この2~3日、ずっと考えていました。
島津に攻められて国を失ったというような、単純な構造の敵に対する恨み・悲しみではないのです。同じくキリシタン信仰を持ちながら、悲惨な運命を信仰で受けとめることができなかった一族と家臣たちの内的な、不十分な信仰に起因するものなのか、それとも豊後の国のほとんどの住民約7万人をキリシタンに改宗し、キリスト教精神を中心とした神の国づくりに着手したにもかかわらず、宗麟公が昇天することによってその理想が実現できなかったことに対するイエス様、神様の哀しみであるのかわかりませんが、とにかく宗麟公にまつわる深い悲しみが隠されていたという事実です。
宗麟公自身は、講話の中でも紹介しましたように、あらゆる困難、ヨブが受けたような苦難に対して敢然と対峙し、「豊後の国についてのこうした労苦は、デウスの神様が私の罪ゆえに(授けることを)許し給うたものです。私の罪をお赦しください。」と、神に向かって悔い改めることができました。また「どんな苦難の中でも私はキリシタン信仰について一点たりとも疑いの念を抱いたことはありません。それのみか私は、私の大いなる罪人であるために神がこうした苦難をこの国に許し給うたことを知っています。」と神父に涙ながらに告白しました。つまり、如何なる状況に置かれても神を恨むということではなく、あくまでも私の罪ゆえです、とその一切の責任を負い、消化することのできる絶対信仰が彼にはありました。
ところが、周囲の家臣、一般信者たちはそのような強い信仰、絶対信仰に至ってなかったわけです。したがって艱難を消化することが難しかったのではないか、と思われます。短時間に改宗された幼いキリシタン信仰と、急激に襲った悲惨な歴史に由来するものであれば、どうしようもありません。また、イエス様の哀しみ、神様の哀しみであるなら、私たちはその哀しみ・恨みを解く作業に取り組まなければならないと思われます。
このような現実に遭遇して、私はいったい、これをどうしたらいいのだろうか、と祈り自問したことですが、一つには、宗麟公の信仰の世界を深い次元で理解することが上げられます。歴史の結実として私たちが今、それを分かってあげるなら、先祖の悲しみが解けるということです。二つには、成約の食口として神の悲しみ、お父様の恨(ハン)を心情の世界で理解し、「氏族メシヤ摂理」に取り組むことではないか、と思われます。
ともあれ、このたびの大友宗麟公430周年記念礼拝は、次のステップに進む上で画期的なことであったと認識します。宗麟公自身も、家臣たちや一般住民たちの恨が解けないかぎり、ひとり喜ぶことはできないだろうと思われます。彼は、そのような大きな人物でした。豊後の国の「慈父」でした。同じような立場にあられる阿南教会長ご夫妻の苦労が偲ばれます。
私にも、もう少し宿題が残っているようです。宗麟公に従った大友家一族、キリシタン家臣たちを訪ねていきたいと思います。
あのような場を設けてくださった大分教会の皆さん、ありがとうございました。一人ひとりに御礼を申し上げたかったのですが、もうその体力もありませんでした。申し訳ありません。この場を借りて感謝申し上げます。
2107年6月30日、宮本次人記
先の真のお父様のみことばの続きです。
神様は愛するイエス様を立てられて、信仰のイエス様を通じて、あるいは真理のイエス様を通じて人間を愛することを願っておられるのです。皆さんを愛することを願っておられるのです。
今日私たちは信仰のイエス様を手本としなさいと言う時、心だけでも、「はい。そうします」と言えなければなりません。勝利されたイエス様を手本としなさいという時、「はい。そうします」、責任持つイエス様を手本しようとする時、「はい。そうします」と言えなければなりません。
皆さんがこのような人となれないならば、今まで何時いかなる時も休めなかったイエス・キリストはどうして休むことができるでしょうか。だから神様が誇りとして立てられたこのような条件を、皆さんが代わって担当しなければならないのです。そして霊界に行かれたイエス様の誇りの条件をこの地上で成し遂げる皆さんとならなければならないのです。そして神様が誇ることのできる皆さんとならなければならないのです。 1956.5.16 神様の誇りになったイエス・キリスト
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