公職者と給料
お父様のみことば 「牧会者の道」 p75
祭司長は何ですか? (祭物です)。祭物は何かといえば、犠牲を伴うものです。犠牲にならなければなりません。ですから、何を与えることができますか? 血を売って食べて生活するのだというのです。何のことか分かりますか? 祭物は、所有権がないのです。祭物に所有権がありますか?
「私は、なにがしの息子です。私は、なにがし家の主人のせがれです」と言いますか? 祭物は共同所有です。所有権のない者なのです。所有観念がありません。ひたすらに、主人がしようというままに従っていかなければなりません。自分という所有観念がないのです。
ですから、先生も監獄に入って、死地に行っても、静かにしていたというのです。さらに、死ぬことができなくて、恨みだったというのです。「私は死ななかったのだから、生きて責任を果たさねばならないなあ」と思っているのです。所有意識がないのです。「私は、あなたの息子ではないですか? 息子をこのように苦労させる法がどこにありますか?」そんなふうに言えないというのです。地区長、教区長夫人たちは、はっきり知りなさいというのです。分かりましたか?
レビ族には、取り分はなかったのです。「月給が二万五千ウォンだ、三万ウォンだ、五万ウォンだ……。私は月給をもらわなくては……」このような思いを抱く牧会者の、その教会は滅びるのです。そのような宗教は、しまいには、サタンの祭物になってしまうのです。ですから、先生にお金があって、使ったあと残ったといっても、皆さんにあげては駄目だということです。分かりますか?
お父様のみことばから神様がいかにして復帰摂理を展開されてこられたかを知ることができます。
所有意識、存在意識のない祭物を立てながら、摂理を進めてこられました。
イエス様がそうであり、お父様がその道を歩まれてこられました。
公職者は祭司長の立場です。
給料をもらうということはそこに、祭物としての資格をすでに失っていることになります。所有意識、存在意識があるからです。神様が取ることができません。
亨進様のみことば集P37に
「家庭連合は日本では1000人を越える公職者を養うために年間30億円が必要です。金銭的に恩恵を受けている人たちです。」と語られておられます。
お父様の本来の願いではない、ピラミッド型中央集権の体制を築くためにそうなってしまったのです。それで末端は苦しんでいます。
それはまさに、サタンの祭物になっているのです。
どうすればいいのかは、お父様が家庭教会の摂理のみことばで1970年代末から、何度も何度も語られています。
しかしながら、それを実体化できる体制を準備することなく、今日に至っています。
今、亨進様は自ら祭物としての歩みをされながら、お父様の方向性を明確に目指して、私たちを導いてくださってます。上も下もなく、ノルマを与えることなく、本心の自由の中において活動し、責任を取るという、本来の形態です。