神の国とその義に生きる生活
お父様のみことば
今日皆さんは、人間が所望とする御国とは本質的な愛が実現する国、即ち与えるために切なる心を抱く人々が暮らす国であること、また愛の本質は与えるために切なること、という事実を知り、その義と通じる犠牲と奉仕の生活路程を歩まねばなりません。
それでは、神の悲しみが何でしょう? ご自身の愛を完全に与えようにも与える愛の対象者が求められないことが、神の悲しみです。そして神は人間に対して、無限に犠牲になり奉仕するか、隣人の為に無限に奉仕して犠牲になる、そんな人間が捜し求められないことが神の悲しみなのです。
それでは、イエス様が地上に来られ、終わりの日を告げられるとき、何を語られたか。神の心情を相続し、神の実体として現れたイエス様は、神の愛を語られました。そしてイエス様は地上の全人類に対し、あなたがたはわたしの友とされ、神の愛を万人のまえに証され、ご自身から行われたのです。
このように天の愛を現すために苦労された、イエス様の心に染みたものが何であったのでしょうか? それはどうしたら万民に天の愛を与えるか、ということでした。そして、イエス様がその愛を与える目的がどこにあったか。その目的はご自身を信じて従う者だけを愛することではなく、イスラエル民族・ユダヤ教団、さらには異邦の民族まで愛して、この地上を神の愛が溢れる、理想の園に建設するところにあったのです。
1957.10.13
神の国とその義を求めなさいと語られたイエス様の心情。
興南から出発され、その地獄の中で神の愛を実体で証されたお父様の心情。
今、アメリカの荒野におられるお父様の心情と完全に一体となっておられる亨進様の心情。
お父様はイエス様の使命を成就するために、地獄の地獄から出発されました。
今、亨進様はお父様と同じ路程を歩んでおられます。
私たちは、地獄の環境の中から、天の国とその義を求めて前進せねばと思います。
なぜなら、お父様がそうであり、亨進様がそうであるからです。