阿南信義

映画、沈黙-サイレンスを観てきました

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昨日映画、沈黙-サイレンスを観てきました。

自分ながら感想と心情を述べてみたいと思います。
長崎と同じように、大分もキリスタン殉教の地です。各地にその史跡があります。
キリスタン大名を中心として希望と理想を掲げながら、イエス様の教えをもとに何万というクリスチャンがキリスト王国を立てるために、イエス様の愛を実践していました。

ところが、中心であった大名がなくなって一ヶ月後から豊臣秀吉の国家的な迫害が始まり、家康の時には本格的な弾圧が徹底されるようになって、ふるさとを捨てて、山野を逃げ回りながらも信仰を守っていました。

映画によって、その迫害の様子がリアルに再現されています。話では聞いている内容ですが映像を通してみると更に、悲惨な状況が目の前に迫ってきます。

その姿を見ておられた神様の心情がどれほどであったかを想像させられ、幾度も涙がこぼれました。キリスタンの方々はなぜ神様は沈黙せざるを得ないのか、その神様の事情と心情を知るすべはありませんでした。

真のお父様のみことば
今までの歴史を見れば、旧約時代は万物を祭物視しました。万物を犠牲にしました。万物を犠牲にした目的は、人間の解放のため、人間の復活を助けるためでした。万物を犠牲にして人を取り戻したのです。言い換えれば、万物を犠牲にするのは神様の子女を取り戻すためです。旧約時代は万物を祭物とし、新約時代は神様の子女たちが血を流して、この世界の復活圏に向かっていくのです。それがキリスト教を中心とした歴史でした。キリスト教の歴史はイエス様、そしてイエス様に従うすべての個人、家庭、民族、国家が今まで犠牲となりながら祭物的過程を経てきたものです。
天聖経 118p

そして今、キリスト教歴史のすべてを蕩減され、勝利された真のお父様のお姿があります。惨たらしい迫害の路程を通過されながらも、その環境を乗り越えて神様の心情を解放されました。

キリスタンが迫害され、宣教師たちが通過された路程を真のお父様が同じように通過されながら、沈黙せざるを得ない神様の心情を慰めてこられたがゆえに、新しい時代を迎えることができました。

地上に再臨のメシヤ、真のお父様をお迎えするために犠牲となって行った方々が、当時のクリスチャンの姿です。私たちは真のお父様をお迎えすることができて、歩んでいる聖徒です。
今、神様は生きて語り続けておられます。

どうしたら、天国にはいることができるか。どうしたらすべての人類を天国に導き入れることができるかを大声でさけんでおられます。

1976年10月4日、アメリカで天勝日を宣布された真のお父様は世界的な長子権を勝利され、サタン世界を愛し、屈服された条件を勝利されました。
そして、天国への鍵を全聖徒に与えました。それが家庭教会プログラムでした。

真のお父様がサタンに勝利したので、迫害はなくなり、なんの躊躇の必要もなく、そのプログラムを実行できる環境がすべての聖徒たちに与えられました。

私たちは既に勝利されておられる真のお父様、一体となっておられる亨進二代王様がおられて、天一国実現の思想とプログラムが準備されて、その通りに実行することによって、成就するようになっているという特権を与えられています。

なんという恵まれた時代でしょうか。

迫害され、殉教された多くのクリスチャンの方々の前に恥ずかしくない信仰と実績を立てなければならないと改めて決意させられました。


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阿南信義
Posted by阿南信義

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