既に予定されている神様のみ旨

使徒行伝 11章17節
:17)このように、わたしたちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったとすれば、わたしのような者が、どうして神を妨げることができようか」。 :18)人々はこれを聞いて黙ってしまった。それから神をさんびして、「それでは神は、異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」と言った。
二日前に教会で本の発送の準備をしていた時に、こちらのシックが新規の伝道対象者を二人連れてこられました。二人共実践倫理の方々でした。少し話をして早速、原理講義をしました。
初めてということもあって、総序と創造原理第一節の講義をやって感想を伺うと「話の内容がとても倫理的で感動した」と言います。その倫理の方々は毎朝、早起き会に参加しています。
一人方は午前二時には起きて準備するといいます。
自然の法則の中に合わせて生活することを通して、正しい人間になるという思想を実践していることは一面、神様のみことばを実践していることになります。
霊界のこと、神様のことを知りたいと求めて、これから原理講義を受けることを約束しました。
神様が愛し、真のお父様が育ててこられた家庭連合が韓オモニの不信によって、奪われてしまいましたが、今度はサタン側から神様は取ることのできる条件が整っていますので、そのことが早く起こることを予感する出来事です。
家庭連合がかたくなに拒否し、第二代王様を受け入れないならば、家庭連合ではない他のものたちが立ち上がるでしょう。
アメリカがトランプ大統領の出現によって、その道が大きく開かれようとしているように、日本においてもそのことが起きてくることを確信しています。
ですから、家庭連合がどんなに拒否しようと、反対しようと神様の摂理は進んでいきます。
4千年準備をしてきたユダヤ教がイエス様を十字架につけ、不信した時に神様は異邦人に摂理を移されたように、キリスト教が2千年準備をしてきたのにかかわらず、再臨のイエスを不信したときに、統一教会が出発したように。
今、あらたな時代を迎えていることを感じてなりません。
原理講論 予定論 245p
では、神は人間をどの程度にまで予定なさるのだろうか。ある人物を中心とした神の「み旨成就」においては、人間自身があくまでもその責任分担を果たさなければならないという、必須的な要件がついている。
つまり、神がある人物を、ある使命者として予定されるに当たっても、その予定のための九五パーセントの神の責任分担に対して、五パーセントの人間の責任分担の遂行を合わせて、その人物を中心とした「み旨」が一〇〇パーセント完成する、というかたちで、初めてその中心人物となれるように予定されるのである。それゆえ、その人物が自分の責任分担を全うしなければ、神が予定されたとおりの人物となることはできないのである。
例を挙げれば、神はモーセを召命なさるとき、彼が自分の責任分担を果たした場合にのみ、選民をカナンの福地まで導くことができる指導者となるように予定された(出エ三・10)。けれども、彼がカデシのメリバで磐石を二度打ったことによって神のみ意に逆らい、自分の責任を果たせなかったとき、その予定は達成されずに、目的地に向かっていく途中で死んでしまった(民数二〇・7~12、二〇・24、二七・14)。
また、神がイスカリオテのユダを選ばれるときも、彼が忠誠を尽くすことによって、自身の責任分担を果たして、初めて、イエスの弟子になれるように予定されたのである。しかし、彼が自身の責任を全うできなかったとき、その予定は崩れ、彼はかえって、反逆者となってしまったのである。また、神がユダヤ人たちを立てられるときも、彼らがイエスを信奉して、任された責任分担を果たした場合にのみ、栄光の選民となれるように予定された。しかしながら、彼らがイエスを十字架につけたので、この予定は覆され、その民族は衰退してしまったのである。
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