ある日本キリスタン史研究者からの手紙

ある日本キリスタン史研究者からの手紙
前略、阿南教会長ご夫妻さま
11月14日に大分市の戸次(べっき)でお会いしたあと、 翌15日はフランシスコ大友宗麟の孫娘― 2歳で病死した宗麟の長女ジュスタの「姫君」―を祀る石祠( 臼杵市諏訪)を訪ねました。その後、島原に戻ったわたしは、 ルイス・フロイスが420年前に書き上げた『日本史』 の日本語訳(松田毅一・川崎桃太訳「豊後篇全3巻」) に釘付けになっておりました。
島津軍の攻撃による戦乱の中、 フランシスコ大友宗麟が1587年6月に亡くなると、 やがて大友家も改易の憂き目に遭い、 宗麟が夢と描いたキリシタン王国・ 豊後の国が異教の支配者たちの手に渡って崩壊を余儀なくされます 。 折しも配下の有力キリシタン武将たちが秀吉の朝鮮侵略戦争に駆り 出されていたときのことです。残された婦人、女、 庶民らが涙にくれながら、逃げのびるべく我が家を跡にし、「 乞食同然の放浪の旅を強いられる」最終章の光景は、 さながらエルサレムの破壊を歌った預言者エレミヤの哀歌を読むようでした。
「あゝ哀しいかな、古昔(むかし)は人のみちたりし此の都邑( みやこ)。いまは淋しき様にて座し、寡婦のごとくになれり。… エホバよ、願わくは我らをして汝の州(くに)に帰らしめたまえ。 …」
フロイスの『日本史』に綴られる豊後国キリシタン史43年間を、2週間かけてきょう(11月30日)読み終えましたが、 往時のキリシタンたちの想いがのし掛かり、 心の裡は沈痛そのものでした。
しかし、それもしばしのこと。 阿南氏ご夫妻が神様の奇蹟的な導きのなか、 サンクチュアリに戻り祝福を受けられた2婦人の証しをブログで拝見し、復活に変じたのです。 豊後のキリシタンたちの430年間の恨(はん)が解かれていくようでした。 詰まるような私の思いも解放されるのを実感させていただきました 。その恩恵に与らさせていただきました。感謝申し上げます。 草々。 宮本
宮本さま
メールありがとうございました。
また、ブログを見ていただき、感謝します。
歴史的な背景を詳しく教えていただきありがとうございます。
たしか、1530年生まれの大友宗麟ではなかったかと思います。メシヤ再降臨準備時代の始まりの時ですね。
日本に対する神様の摂理が準備されながらも、勝利することができないまま、最後を迎える姿は悲惨としか言いようがありません。
「乞食同然の放浪の旅を強いられる」という光景。なにかその言葉が心に響きます。
今、伝道旅行中で、駅近くのサウナに泊まっています。かつて領主を失い、乞食のように逃げ回ったクリスチャンの事から考えると余りにも恵まれていると思わされました。
本当に時を失うと、神様の摂理からずれるとどうなるかを考えなければなりませんね。
家庭連合がどうなっていくのかを心配しながらも、そうならないように最善を尽くさねばならないと決意させられます。
宮本さんのことばにはいつも励ませれています。
神様が応援してくださっていることをいつも実感します。
今日も三名の方にお会いします。
400年前の神様の摂理の状況を思い浮かべ、黙って見てこられた神様の心情を思いながら、悔いなきよう努力したいと思います。
ありがとうございます。 阿南信義
真のお父様のみことば
神様が天から見下ろしているとするならば、どれほど憤慨されるでしょうか。この万民は御自身の血統的子孫であるべきなのに、悪魔が悲惨な境地に追い込んで「あなたの子孫はこのように凄惨な立場に処している」と、神様に向かって嘲笑しています。
サタンがまた「全知全能の神様なのだから、この環境をどのように収拾するのですか」と言えば、神様は沈黙を続けるしかないのです。聞いても聞こえないふりをし、においをかいでもかがないふりをし、感じながらも感じないふりをしなければならない神様の歴史的に悲惨な姿を皆さんは考えたことがありますか。 天聖経 神様の歴史的に悲惨な姿
天の計らいと摂理の深刻さを同時に教えられました。
日本中におられる迫害され、苦労だけに終わったクリスチャンの姿と摂理のために犠牲の道を絶えず、歩んできた日本シックが重なります。
その苦労と犠牲を決して無駄にせぬよう真のお父様をお迎えするための真実の体制と基盤を準備せねばと思います。
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