真のお父様の元に戻るとき、全ては解放されます

昨夜は奇跡的な出会いでした。
そして今日、昨夜サンクチュアリに入会された二人の婦人が、祝福を受けられました。
ビジネスホテルでの祝福式です。
泊り客以外の方は入室できないという規則があり、まさに盗人のように入りながら、祝福を受けられました。
二人共、本心の叫びを聞きながら、呻吟する思いで、この時を待ち望んでいたようでした。
主礼をされる亨進様御夫妻の姿を見られて、その謙虚な姿、笑顔で祝福する姿に感動されていました。「これでとてもすっきりした」と感想を述べておられました。
私は受けられた二人の姿がとても力強く、これから伝道し、先駆者となると決意されるのを見て、サンクチュアリが家庭連合を超えるのも早く、真のお父様が願われる本来の体制がここに出来上がるであろうと思わされ嬉しくなりました。
家庭連合の中にあって、自分のために体制を維持するために、かたくなに真のお父様の伝統を守られるサンクチュアリを拒否する者と、教会を維持しなければ、返済問題などが大変になることから、そうせざるを得ないと考える婦人たちがおられるのではないかと思います。
後者の婦人たちのことを考えると胸が痛くなります。牧会者はころころ変わるから、殆ど責任を取ることはなく、実際、婦人部長や一部の婦人たちが重荷を背負わされ苦しんでいることを思うのです。
なんとか、悪循環を転換しなければなりません。喜んで伝道ができる体制を。
そうすればすべてが善き方向に向いてきます。
それは、本来の真のお父様のみことばと方針の中にあります。
神様は苦しめるために導いておられるのではなく、愛を与え、喜びを与えんがために導いてくださっています。
真のお父様のみことば
神様は、創造の理想的出発点をどこに置いたのでしょうか。神様の前にすべて「ため」に生きよ、というのではありません。「お前、私の所に来てくっつけ」という吸収ではありません。投入です。「くっつけ」ではなく投入です。その言葉を振り返れば、「ために存在する原則」に理想的出発点を置いています。ですから神様は、人間のために投入しました。神様自身は人間のために存在します。
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神様が「私は愛である」と言いましたが、それは何でしょうか。夜も喜び、昼も喜び、働きながらも喜び、休みながらも喜び、踊りながらも喜び、泣きながらも喜ぶということです。それで「私には愛がある。すべてある」と言ったのです。「すべて」という言葉は、その中に全部入っているということです。愛が一番好きな方は誰かと言えば、神様です。そんな愛をすべてもっている神様なので、その愛の味を占めれば死んでも離せないのです。 天聖経 神様は父であられる
見事に、そのように導いてくださっておられる亨進様です。それは間違いありません。
そこに、どうすれば喜びの体制ができるかが実証されています。
早く、苦労している家庭連合の婦人部長やシックの皆様が解放されるように、全力をあげねばと思わされています。
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