私の体験と救出の決意

私は以前、勝共を担当していました。
1974年栃木で勝共の事務局長をしていた時に実際、体験した話です。
ある方から北朝鮮に帰る日本人の妻がいるとの情報を得ました。当時は北に帰る北送事業というのが公に歓迎される時代でしたので、国や県もそれを応援したい頃です。
それで、私はなんとか行かないように説得しようと思い、その方の家を直接訪問して、北がどのようになっているのかを説明しました。「独裁体制で自由がなく、地上の楽園というのは名ばかりで実は地獄のようなところである」と。
しかし本人が言うには「北は空気がよく、病院も無料だし、夫が病気がちなので行きたい」。と言います。
その日は時間切れとなり、翌日、もう一度訪問しました。
ところが翌日行ってみるとそこにはいたのは強そうな男性が十数名でした。こちらは二人しかいません。
取り囲まれて、どこかに連れて行くということなり、前後を塞がれてしまいました。
絶体絶命の状況となってしまいました。車まで歩いて連れて行かれるとき、かすかに前後にスキができました。その瞬間、走って逃げて通りかかりの車に乗せてもらい、なんとか逃げ延びることができました。
当時は北朝鮮による拉致が頻繁に行われていた時でした。
北に行った日本人妻は7000名と聞いていました。日本がエバ国として選ばれ、天より祝福を与えられた背後にその蕩減の道に行かれた方がいたことを忘れることができません。
今回、在韓日本サンクチュアリの婦人の宣布文を読んで、42年前体験したことが思い出されました。
在韓の日本人妻7000名の方々も多くの苦労されておられると思います。
真のお父様が特別に愛され、天のために動員された日本を代表した貴いお一人お一人だと思います。是非とも真のお父様の元に全員戻っていただきたいとお祈りいたします。
昔、北に行く人を説得することができなかったことが心残りとなっています。
ですので
家庭連合シックの皆さまが真のお父様の元に戻ってもらうため、死力を尽くそうと思っています。
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