氏族メシヤ聖殿連合 大分聖殿

先生が迫害を受けながら、160か国の宣教基地を造ったとするならば、あなたたちは160か国にあたる家庭基盤、160軒の家庭を収拾しなければなりません。そうすることによって同じ結晶体になるのです。結晶体になったその位置を獲得した場合には、これは一塊になった結晶体と同じく皆一つになるのです。これは公式になっています。だから160軒には、ヤコブ家庭の12数、モーセの72長老の失敗、イエス様の120門徒の失敗が入っているのです。・・・みことば

阿南信義

大分聖殿日曜礼拝「お迎えする心情」

真のお父様のみことば

天聖経   天一国主人の生活 第一章創造の原動力は神様の真の愛



本来、心と体は、離そうにも離すことができず一つでした。人間の心は神様の心であり、人間の体はその心を包む器でした。ところが、人間の堕落が人間の体を悪魔に差し出したのです。それから、人間の体は悪魔の僕になりました。

 人間の良心は、神様を代表する心です。良心は、自分のために存在するのではありません。天の義のために存在します。良心は、常に善に向かって走ろうとします。ここに体は反抗します。体は、自分だけ楽をしようとし、利己的であり、本能的要求によって肉欲を表そうとします。良心は、この体を叱責して心に順応させようとします。ここに、常に血を流す葛藤と闘争が一つの体の中で起きるようになります。

 しかし、神様を自分の中に迎え入れなければ、誰も自分の体を征服することはできません。ただ、神様の真の愛と真理の力を中心として、主体である心は、対象である体を率いて神様と一体理想をなすようになっています。これが宗教のいう完成した人間です。

神様を中心として、神様はお父様であり、私たち人類の先祖は息子、娘でした。その真の愛が出てくるためには、神様と一つにならなければなりません。一つになるのが原則です。一つになるための原則とは何かといえば、従順にすることしかないという結論が出てきます。神様が人と一つになる日には、神様のものが私のものであり、神様であり私であり、私であり神様だというのです。神様と一つになり得るのは真の愛だけです。


 真の愛と和合すれば、彼は神様の体になり、細胞になります。神聖な神様の肢体になり、一体のようになって永遠に愛を呼吸し、愛を食べて生きることができるのです。そのような世界を天国といいます。真の愛を中心として一つになったことを、聖書は話さなかったのです。「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ一四・六)、そこには愛が抜けています。

              *

 真の人とは、真の愛で暮らす人です。真の愛は、与える愛であり、永遠にセンターのために生きるという愛です。これが神様の核心です。真の愛は、神様の愛です。神様を永遠に愛そうとすれば、私は真の愛の所有者になるのです。









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大分聖殿日曜礼拝「お迎えする決意」

お迎えする決意

真のお父様のみことば


天聖経 天一国主人の生活 第三章神様と真の父母 2190頁

エデンの園で失ってしまったすべてのものをどのように復帰するのか、これが先生の還故郷という考えです。故郷へ帰らなければなりません。それで、氏族的メシヤと国家メシヤを派遣しました。神様は、イエス様という一人のメシヤしか送ることができませんでした。そのメシヤは、氏族を解放するメシヤでした。今この時に、先生は、神様の立場で百八十五カ国に国家メシヤを派遣しました。その国家メシヤは、イエス様の時の氏族的メシヤより次元が高いのです。

 そのようなコンセプトがイエス様の時にはありませんでした。十字架ですべてのものを失ってしまいました。家庭がなかったのです。それで、天国に入っていくことができず、楽園にとどまるようになったのです。本然の天国では、家庭から氏族、民族、国家へと続いていくのです。

 イエス様は、家庭を成し遂げることができませんでした。エデンの園でも、家庭が失敗したのでアダムが追い出されました。それを復帰するために真の父母が現れ、失ってしまった家庭以上のレベルである国家基盤の上でメシヤを派遣したのです。

 神様の怨恨とは何でしょうか。民族を抱えて泣かれ、地に対して泣かれましたが、神様が願われる勝利した息子を抱いて喜びの涙を流せないことが天の怨恨だというのです。すなわち、天から「あなたは勝利した息子だ」と認められる人がいないことが、天の怨恨であり悲しみです。

 それだけではなく、失った息子、娘を復帰するために、そのようにさまよわれた神様を抱いて泣いた人が一人もいなかったというのです。







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大分聖殿日曜礼拝「お迎えする準備」

2022年6月5日 日曜礼拝

天聖経 真の父母 第6章真の父母と我々 254頁

皆さんが誇るべきことは、神様の愛を誇り、真の父母の愛を誇らなければなりません。これは自分のこと、国のこと、世界の何よりも誇らなければならないという結論が出てくるのです。この愛は、神様の愛と父母の愛が一つだというのです。これは何か? 直接主管圏という愛の理念を中心として、家庭という基盤の上に一つになりうる出発を、地上に実現しているのが統一教会であり、父母様が行く足の甲の上だ、脚だ、版図だということを知るべきなのです。直接主観圏です。



天聖経 地上生活と霊界 第1章有形無形世界における人間の存在 544頁

神様には体がありません。それで、すべての万物を神様の体として、アダムを神様の顔で表したのです。それが創造理想です。
 神様は、本来の霊的な焦点であり、アダムは本来の肉的な焦点です。その二つの焦点が九〇度をつくるのです。それが神様の創造目的であり、人が願う目的です。









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メシヤ思想による救国

タンポポ


メシヤ思想による救国

真のお父様のみことば


天聖経
真の神様
5)神様を解放してさし上げよう

誰が悪霊と善霊の闘いを終わらせることができるのでしょうか。それは神様でもなく、サタンでもありません。それでは誰でしょうか。真の愛から出発して真の愛をもっていく、世界万民がついていくことのできる愛の主人公が現れなければ、神様の闘いとサタンの闘いを終わらせることはできないのです。

この闘いから解放されない限り、人間歴史世界において平和という言葉は妄想的なものです。理想という言葉は抽象的で感傷的な言葉にすぎません。それで神様はこの代表者を遣わすのですが、その主流思想をメシヤ思想というのです。救世主思想、救世主は人間だけではなく、神様までも解放する人のことを言います。悪を処断することを意味します。神様解放と悪を決算するための総責任者が救世主です。
            *
 救世主の使命は神様を解放することであり、サタンを処断することです。あれほど人間に食いついては讒訴した怨恨のこの元凶を誰が清算するのでしょうか。神様にはできません。唯一メシヤが、救世主だけができるのです。
            *
 私たちの願う統一教会とは何でしょうか。父母の宗教を求めていこうということです。甘い生活を求めるのではありません。道義的な関係ではありません。真の父母を中心として真の愛の道理の道を求めていこうというのです。そうして神様を解放しようというのです。愛の原則条件が結びついていなければ解放されないのです。







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大分聖殿2022年5月1日日曜礼拝

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共通分母は真の愛


お父様のみことば 1988年2月1日


 電気でいえば空気の中のプラス電気だけでマイナス電気が現れなければ、そのプラス電気もなくなってしまうというのです。ですから宇宙の根本は何か、神はどのような環境から出発したのか、と考えてみた時、真の愛という環境から始まって、真の愛の主体の立場に立って、真の愛の対象圏拡張のための努力をしなければならないのです。そのような立場から生まれたのが宇宙であり、その宇宙の霊長が人間なのです。







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神の二性性相ということばは驚き

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神の二性性相ということばは驚き

お父様のみことば 1986年6月7日



 統一教会では、神の属性について、性相、形状という言葉を使っていますが、「神は二性性相からできている」という言葉は驚くべきものなのです。創造とは何かというと、植えたことです。これが創造なのです。

神の見えない内的性相を植えたそのことが創造なのです。神が二つの性稟の存在を植えたので男性と女性が生まれたのです。ですから男性だけでは永遠に未完成であり、女性だけでも永遠に未完成なのです。

神がなぜ創造されたのかという問題を考えてみると、それは愛のゆえなのです。蒔かれた、植えられたアダムとエバが完成するためには、この愛の道を訪ねて行かなければならないので、このように分けておいたのです。





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大分聖殿2022年4月24日日曜礼拝

お父様狭山2


お父様のみことば  1983年3月13日


我々の基本姿勢  

我々の基本姿勢とは、自分を愛するにしても、それは神様と人類のため、他人を愛するにしても、神様と人類のために愛する、というように、常に天宙的な観点に立って、愛することです。本来、人間が堕落しなかったならば、そのようなことは何も努力しなくてもできることだったのですが、堕落してしまったために、それが非常に難しくなってしまったのです。

しかし、その困難な障壁を乗り越えて、本然の理想を実現するためには、我々は蕩減の道を歩まなければなりません。我々の道においては、神様と人類のために最も多く苦労する人が称賛されます。そこにおいては年齢、性別、人種の違いは問題ではありません。そのような人間が集まった社会が地上天国になるのです。わかりますか。この考えに反対の人はいますか。いたら手を挙げなさい。

 天国は戦争によって建設するものではなく、真理を伝播することによって建設するものです。それを実現するまでに長い時間をかけた方が良いと思いますか、短い時間で実現した方が良いと思いますか。(短い時間です)。それならば、皆さんはもっともっと一生懸命に働かなければなりません。皆さんは先生に従って行く覚悟がありますか。(はい)。

今まで先生が話した基本姿勢の内容をはっきり知ってそれを実践し、その伝統を代々の子孫に伝えていかなければなりません。世間からいかに誤解され、迫害されるとしても、我々には最善のものがあります。我々の前進を止めることができるものは何もありません。釈迦や孔子やモーセやイエスといえども、すべての真理を知ることはできませんでした。しかし、我々は今日、彼らが知っていたよりも更に偉大な真理を知り、更に大いなる時に生きているのです。この真理を知って歩む皆さんは、過去のいかなる聖人に対しても恥じることなく、むしろ、大いに自分を誇ることができます。

 その意味において、皆さんは彼らの兄さんや姉さんの立場にあるのです。皆さんが霊界に行って彼らに出会った時に、皆さんは堂々と胸を張って、「我々は地上に天国の愛の定着地を築いてきました」と宣言すれば、彼らは「アーメン」と答えるでしょう。そして全霊界が「ハレルヤ!」と皆さんを讃えることでしょう。

この道を歩むことは先生と皆さんの宿命なのです。皆さんがこの世の人々を見るときに、彼らはディスコダンスやゲームなどあらゆる種類の享楽にふけり、人生を楽しんでいるように見えますが、そのような人々は先生とは何の関係もありません。彼らの目から見れば皆さんは最もみじめな存在です。しかし、必ずや、皆さんは自分が最も賢明な生き方をした人間であることを知る時が来るでしょう。皆さんはこの世と妥協してはなりません。きょう、先生が話した「我々の基本姿勢」という公式に従って、最後まで歩むことを決意する者は手を挙げなさい。どうもありがとう。








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大分聖殿2022年4月17日の日曜礼拝

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大分聖殿4月17日の日曜礼拝

お父様のみことば  1991年8月25日



 これまで私が話した内容はすべて歴史にないことです。図書館にもありません。それで今、私の話をまとめて、数百巻の本として出版しようとしているのです。説教だけでも二〇〇巻を越えるのです。それで、外国の人々は夜を徹して韓国語を学んでいるのです。

 アダムとエバは追い出されて息子娘を生む前に、神様の立ち会いの下で結婚式を挙げたのでしょうか? そこで誰が立ち会ったのでしょうか? 立ち会ったのは悪魔サタンなのです。サタンの立ち会いの下に結婚式を行い、サタンの愛と、サタンの生命と、サタンの血統を受け継いだのです。これを否定することはできません。

 そしてアダムとエバは何の父母になったのかというと、お金の父母にはなりませんでした。知識の父母にもなりませんでした。権力の父母にもなりませんでした。何の父母になったかというと、悪魔を中心とした間違った愛と、間違った生命と、間違った血統を植えつけてしまったのです。しかし、神様はこれを切り捨てることができません。もし切り捨てれば人類創造の理想が崩れてしまうのです。

 皆さん、堕落した人類始祖の血と肉による私たちの五官のすべては、悪魔の血を受けたものなのです。悪魔は何かというと、神様の愛の姦夫です。男が女たちをだます姿を見ても分かるでしょう。そのような姦夫なのです。キリスト教思想では、イエス様は「怨讐を愛せよ……」と語られたというのですが、悪魔は神様の怨讐であり、イエス様の怨讐なのです。そのような悪魔も許してやらなければならないのでしょうか? そのことに何と答えますか? 神様は悪魔を許すのですか。悪魔を許すようになれば、天地が皆変わるのです。

 ですから、人類歴史が数億年かかっても神様は救いの摂理を完成できなかったのです。血統が悪魔の愛に結びついたのです。将来は王妃になるように準備していたのに、一人娘が僕とくっついてしまったのです。さらに結婚して息子娘を生んでしまったのです。神様は天国を便所の中につくるのではありません。ですから再び首を切って、野生のオリーブの木ではなく真のオリーブの木に接ぎ木する道しかないのです。種子が違ってしまったので接ぎ木が必要なのです。

 では、アダムの真なる種子はどこへ行ってしまったのでしょうか? 神様は血統を正すために、神様はすべてに次子の位置で後ろからついて行かなければなりません。それで神様は人類の後ろについて行きながら、未来の息子娘を探し求めてこられたのです。

 本来、堕落しなかったならばアダムとエバは神様の息子娘なのです。最初の愛の実なのです。しかし堕落したことによって、神様は主人なのですが、最初の息子はサタンが取り、二番目の息子は神様が取ったので、それを取り替える業をしなければならないのです。これは大変なことです。怨讐が先に愛を占領して、お兄さんになり、天の国のすべての王権と長子権を占領して繁殖してきたのです。サタンの家族からサタンの氏族、サタンの民族、サタンの国家、サタンの世界、サタンの天宙をつくり、地獄へまで広がっているのです。ですから、天の人が出てくれば、必ず捕えて殺そうとするのです。

 神様の創造理想により、家庭から国をつくり、そのような国を世界へ連結しようとされたのですが、人類始祖が悪魔と結託して堕落したことによって、神様は天の王座まで奪われてしまって、しがない存在になってしまったのです。
 悪魔は本来、天使長なので、「天国に入るためには、アダムも神様も私を愛してから入るのが本来の創造理想ではありませんか」と言っているのです。そして、「あなたも私を愛し、あなたの息子娘も私を愛したという条件を立てなければ私の讒訴条件を免れることはできません」と言っているのです。このような問題を中心として、宗教界に「怨讐を愛しなさい」という言葉が生まれてきたのです。それも世界的にです。

 皆さんのよく知っているヨハネによる福音書三章十六節には、神様が既成教会を愛すると語られていますか? 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」と書かれているように、皆さんはこの世を愛される神様を信じなければなりません。そして、世の中を救おうとする生活をしなければなりません。そのような人になれば滅びることなく、永生するのです。そのように解釈しなければならないのが原則なのに、宗派争いを続けながら、何が自分の神様ですか! 私の神様がどこにいるというのですか!

 そのような意味から、文総裁は聖書を新たに説明しなければならない立場なので多くの反対を受けてきたのです。








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歴史をひっくり返す役事をする 

TN清平の近く

歴史をひっくり返す役事をする 


真のお父様のみことば
  1991.8.25



ユダヤの国がなぜ滅びたのかというと、イエス様を中心として、ユダヤ教とイスラエル民族が一つになれなかったからです。これはカインとアベルであり、縦横の兄弟なのです。兄が前に立ち、弟があとに従うのです。宗教が兄の立場であり、国家が弟の立場で従ってこなければならないのです。

 ですから、大統領に就任する時には祭司長が祝福するのです。そして万国を代表して、神様に組織される体制をつくり、天の新しい生命の種を中心として再び転換させなければならない責任があるのです。それが成されず、歴史は反復しながら流れてきたのです。ある一時代に、これらを清算しなければなりません。そのような責任を果たすための中心宗教が救世主思想なのです。世の中を救うのです。教会を救うのではありません。救派主ではなく、救教主ではなく、世の中を救う救世主が必要なのです。

 これを正さなければならないので、歴史のすべてを引っ繰り返す役事をしなければなりません。兄と弟が逆になったので、弟が兄にならなければならないのです。それには、弟が天の側に立たなければならないのです。それでイスラエルと呼ばれたヤコブは、ヤボクの川で天使と相撲を取ったのです。そのようにして互いに交換しなければなりません。蕩減するために、「あなた(天使)が私を祝福しなければならない」とヤコブが言うのです。自分の生命がなくなるとしても、神様を愛し、天の祝福がいかに貴いことかを知っていたからです。祝福とは、人間の価値、男の価値、女の価値、家庭の価値、国家の価値を認めよというのです。それが祝福なのです。

 祝福の内容は何かというと、神様の前に立つことのできる男としての価値、女としての価値、家庭としての価値、氏族としての価値、国としての価値、世界としての価値を得ることなのです。ヤコブは夜を徹して戦って、もものつがいが外れましたか、外れませんでしたか? 人類始祖が誤って腰を使って堕落したので、イスラエル民族は腰に誓いをしません。祖先がそれで堕落したからです。

 長子権復帰
 聖書の役事をどのように解くのかというと、神様の一番憎むことは淫乱なのです。悪魔とは淫乱の神のようなものです。神様はそれを正すために、イスラエルという民の中から一人の男を探し求めなければなりません。それがヤコブなのです。それを成すためには、ヤコブとエサウはまず双子でなければならないのです。双子は同じように感じるといわれているように、弟と兄は切り離すことのできない何か通じる感情があるので、弟が長子権を探し求めて引っ繰り返していかなければならないのです。

 そこで誰が協助しなければならないのかというと、かつて長子権を引っ繰り返してしまったのが女なのです。母なのです。ですから、ヤコブは母のリベカと一つになって長子権を奪い取らなければなりません。そのためには、父をだまさなければなりませんし、兄をだまさなければなりませんし、夫をだまさなければなりません。三代をだまさなければならないのです。どうして聖書に嘘をついたことが記録されているでしょうか? また嘘を言ったヤコブが、どのように福を受けてしまったのかということです。皆さん、何と答弁しますか?

 長子権を探し求めなければならない神様の悲痛なる事実のゆえに、兄と弟の立場を引っ繰り返していかなければならないのです。引っ繰り返していかなければ、血統を正すことができないのです。それでリベカを通して父をだまし、兄をだましたのです。それは、平面的に見るならば、神様を代身して、自分の兄を代身し、自分の夫を代身してこの業が起こりました。嘘を言って弟が祝福を受けたのです。それから二十一年間、神様は誰に従っていったのかといえば、エサウではなかったのです。

 皆さん、ヨセフがエフライムとマナセを祝福する時、互いに手を交差したように、取り換えなければなりません。そして、そこから左翼と右翼思想が出てきたというのです。堕落したことによって人間たちは、神様の前に地上における一つの軸を失ってしまったのです。そこで神様が左側に立ち、サタンが右側に立ちました。この歴史を正さなければなりません。引っ繰り返さなければなりません。





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大分聖殿2022年4月10日の日曜礼拝

二代王様1


私は真の父母(三代王権)と共に生きます

真のお父様のみことば  1993年3月7日 



皆さん、みんな真の愛が必要だと思いますか? (はい)。それならば、皆さんはもっと私を知らなければなりません。先生のことが分かったならば、皆さんはすべてを捨てても、真の愛を探し求めていくようになっているのです。分かりましたか? きょうの説教のように、みんな共に生きればよいのです。「真の父母と共に生きます」というのは、このように生きるということなのです。神様もこのように生き、真の父母もこのように生き、息子娘もこのように生き、万民もこのように生きたならば、地上天国は自動的に成就するのです。

 さあ、このように四つの父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、そして子女の愛が一つになれば、完全な天国の倉庫に、最高の位置に行くのです。皆さんは、自分自身が何パーセント調和を成しているかということを知らなければなりません。縦的線と横的線の中心は、子女の愛、兄弟の愛、夫婦の愛、父母の愛なのです。これらが全部横的に連結されるようになるのです。全部上に向かって行くようになるのです。縦横が同じになるのです。これが全部同じになるのです。(先生が黒板を使用される)この位置には一人では行けないのです。絶対に子女が必要であり、絶対に兄弟が必要であり、夫婦が必要であり、父母が絶対に必要なのです。









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