聖殿氏族メシヤ連絡会 大分聖殿

先生が迫害を受けながら、160か国の宣教基地を造ったとするならば、あなたたちは160か国にあたる家庭基盤、160軒の家庭を収拾しなければなりません。そうすることによって同じ結晶体になるのです。結晶体になったその位置を獲得した場合には、これは一塊になった結晶体と同じく皆一つになるのです。これは公式になっています。だから160軒には、ヤコブ家庭の12数、モーセの72長老の失敗、イエス様の120門徒の失敗が入っているのです。・・・みことば

阿南信義

アメリカを救い世界を守ろう

お父様のみことば  天聖経 635p

み旨とは何でしょうか。結局、人間の霊肉を完成させることです。自分自身を中心として、過去は霊的であり、今日は肉的です。過去は霊的であり、現在は肉的であるということです。二つの世界の侵犯を受けました。現在の立場がサタン世界だから、サタン世界に勝った肉になるべきであり、過去のサタン世界に勝った、霊的基盤を築かなければならないのです。過去と現在に勝利すれば、霊肉をもつことができる基準が、未来に対する祝福に広がるのです。(七三―九六)


 人生の行くべき道とはどのようなものでしょうか。神様の愛を占領することが、人生の行くべき道です。神様の愛を占領することが、人生の行くべき最高の終着点です。この道は、男も女もみな行かなければなりません。すべての人が行くべきなのです。


 人生の行くべき道は、無限であられる愛の神様を探すことです。十回でも百回でも、死の峠を経てでも、死んでも絶えず探していくべき、神様の愛を探すのが人生の最高の行くべき道です。
 欲望の終わりとはどこでしょうか。神様の愛を占領する所です。神様を占領したといっても、その中にもっと貴い愛を占領できなければ、神様は自分の神様ではありません。それゆえ、神様の愛を占領しなければなりません。愛だけ占領すれば、神様はいらっしゃらなくても大丈夫なのです。彼のものが私のものであり、私のものが彼のものになるとき、初めて内外が一つになるのです。そのような国が、上下の等級のない理想の本国になるのです。


 そのような場に横たわるようになれば、天下にある存在の中で、良く見えないものがなく、天下にいる存在の中で、自身のために存在しないものはないと感じるのです。そのようなものが神様の愛なので、今日人間が行くべき天上世界、すなわち天国は、愛で充満した所なのです。(三九―二一〇)



天聖経  807p 
神様と一つになったなら、カインを愛さなければなりません。神様の愛を受ける立場に立ったなら、心を尽くして、命を尽くして、思いを尽くして神様を愛するのと同じように、氏族と民族と国を愛さなければなりません。これが地上の第一の戒めです。天国の戒めではなく、地上天国の戒めです。天上天国の戒めは、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二・三七)ということですが、地上天国の一番の戒めは、「あなたの心を尽くし、命を尽くし、思いを尽くして、あなたの国とあなたの民族を愛せよ」ということです。








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肉身を使って責任分担遂行

真のお父様のみことば 天聖経 639P

肉身を使って責任分担遂行


 皆さんは暮らしながら、神様を思い、「真の父母」を思わなければいけません。そうすることで、愛によって心身が円満で、安全な、満足な圏内に暮らすようになるのです。
 そのような生活をした人は、霊界に行けば、そのままになるのです。地上には内面的に拡大した生活がありますが、内面的に拡大したその基準は、霊界に行けば表面化されるのです。


愛が内面化されているために、神様と人類が一つの体の細胞と同じです。自分自身が、その細胞のうちの一つになる世界が霊界です。そのような境地に入れば、神様が間違いなく自分の心の中に入ってくるのです。「神様!」と呼べば、自分の心の中で「誰が私を呼ぶのか。何だ?」と言うのです。すなわち、神様と共に暮らしていく世界です。


 責任分担は、それほど重要なのです。それで先生が責任分担という原則を立てたのです。皆さんが毎朝鏡を見るとき、男として女として生まれて、責任分担をどのように果たすかを考えなければなりません。それは深刻な問題です。五官が、責任分担を完成した愛に酔っていると思うのです。感覚のすべては、愛の実体圏に立つためのものです。(二一八―一二八)


 責任分担を遂行するには、皆さんはどのようにしなければならないでしょうか。責任分担を果たすことができる人になるためには、どのようにすべきでしょうか。サタンの情、サタンの血筋を受けて、生まれたすべてを否定する立場に立つべきです。(一三九―二五六)


 人間が霊界に行けば、どのようになるでしょうか。神様の体になります。アダムは、神様の体になるのです。コリント人への第一の手紙に、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(三・一六)と記録されているのと同様に、神様が臨在し得る聖殿、家です。
 では、神様とどのように似るのでしょうか。責任分担完成段階に至って、神様が臨んで一体化がなされるのです。(一三〇―二二)








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蘇る信仰ー礼拝

5月21日、こちらの聖殿で一組の青年の祝福式を行いました。
アダムとエバの堕落によって、神様の心情は張り裂け、悲しみのどん底に落とされました。その悲しみの神様をどのようにして解放して差し上げることができるか。

神様の心情は祝福を与えたい心情であり、人間の責任においてその祝福を受けることであることを知っています。悲惨な神様の心情を解放して差し上げることのできる方法は祝福である、そのことを再確認した一日でした。



天聖経 地上生活と霊界  649ページ

皆さん、考えてみなさい。神様がおられますか。(はい)。神様には時間があるでしょうか、ないでしょうか。(ありません)。なぜありませんか。時間がなければ、永遠に終わると同時に永遠に始まるという、そういう言葉ではないですか。過去も、現在も、未来も、同じだということです。そのようになっても、嫌であり得ない作用を引き起こすことができる、神様が安息され得る本来の基礎とは何でしょうか。そのようなことが問題になります。

 それは何でしょうか。全知全能であられる能力をもって可能でしょうか。駄目なのです。神様の知恵、全知全能、分からないことがないことをもってしては、駄目だということです。何にもならないのです。愛の力だけが可能なのです。神様も、「愛」と言えば「そうか!」と言うのです。それ以外は、神様に必要ではないのです。

 我々は結局、どこへ行くのでしょうか。霊界です。「死後の世界」と言いますが、死後の世界ではありません。なぜ、死後の世界になり得ないのでしょうか。愛と関係している世界であるためです。愛と関係している世界であるために、死後の世界ではありません。真なる愛を中心として出発したものであるために、自分が真なる愛の立場に立つようになるときは、今ここが霊界です。それゆえ、愛は偉大なのです。

 球形運動をしてこそ、上下、前後、左右が和合することができます。縦は縦で、横は横になって和合ができなければ、上下、前後、左右全体が和合できないのです。統一が繰り広げられません。愛だけが統一することができるのです。


天聖経 651ページ
皆さんの第一の父母は、皆さんを生んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。この地です。皆さんは地から、皆さんの体が大きくなれるよう、その要素を供給してもらうのです。地が体の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母に入るのが死ぬことです。第三の父母に行くには、そのまま入るのではありません。第三の父母に帰るには、本来の父母だった神様の形に似なければなりません。







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天地正教の教訓

天地正教の教訓

1988年から1999年までの間、神様の摂理において「天地正教」という教団が準備されていました。その教団がどのようにして始まり、終わったのかをその中にいた者として伝えておきたい心情になり、語ることにしました。

1992年からエバの時代を迎え、日本の重要な責任期間に備えるためにその予定がされていたことを後になって、理解しました。

だんだんと天地正教は天の導きの中、発展していくようになりました。その中で芽生えてくるのが人間的信仰でした。神様の動機と心情を絶えず中心とすべきところを、人間を中心として判断するようになる時、間違いが起きてきます。

なぜ、神の摂理から天地正教は消えたのか。まさに、その教訓がそこにありました。







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ペテロのように



先日、午前中の畑作業を終えて、昼休みの時間のとき、ふとNHKのBS放送で映画の「クォ・バディス」をみる機会を与えられ、あらためてその深刻さを感じさせられました。

なぜかというと、二代王様の4月6日のキングスレポートの中で次のように語られたおられたことが頭の中に残っていたからでした。

「真のお父様を本当に理解するためには、イエスを知らなければなりません。イエスを愛さなければなりません。なぜなら、皆さんの心の中に少しでも真のお父様とイエスに対する分離があるなら、皆さんは神に害を及ぼすのです。真のお父様とイエスは同一のお方だからです。」

イエス様と真のお父様は同一のお方であるという観点から、自分自身の立場もまた2000年前のペテロと同じ立場であるという意識となります。

「クォ・バディス」という意味は、ヨハネによる福音書13章36節から由来によるもので「どこに行かれますか」ということを指しているといいます。

ヨハネによる福音書13章36節
シモン・ペテロがイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのですか」。イエスは答えられた、「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう」。


ペテロは最後はイエス様についていくことになりました。

私たちもまた、真のお父様から「天国の鍵」をいただいている立場であり、ペテロと同じ立場が与えられているように思います。

真のお父様のみことば
天国の鍵はなんでしょうか。それはホーム・ チャーチです。それ以外はありません。ではペテロはどうすべきだったのでしょうか。今、私たちは、彼がその体的天国つまりホーム・ チャーチを開くべきだったと言うことを知っています。そして、私たちの言葉で言う、環境を確保できるのです。その後に氏族の編成が成されます。 イエス様が「あなたが地上でつなぐことは天でもつながれ、地で解くことは天でも解かれるであろう」と示されたように、私たちも地上で天国を実現しない限り、霊界での天国も実現されません。
1981.1.1家庭教会は私の天国






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天一国創建の公式


1992年からの神様の摂理は、日本の責任分担において重要な期間でありました。40年の荒野路程を勝利された真のお父様が再び新婦を捜し立てられた重要な出発となりました。天一国、すなわち「私の国統一」の摂理が始まりました。

そのために今までの組織体制ではなく、天一国創建のためにその準備をする必要があります。それで今までのピラミッド体制を反対にするため、日本のトップをかえて新しい方向をお父様は指示されました。

みことば
今まではピラミッド式の組織でしたが、今からは違います。反対に引っ繰り返すのです。ですから、本部がありません。地方にも県がありません。郡がありません。先生を中心として本部は全家庭なのです。堕落する以前にもそうです。父母だけしかないないのです。1991.1.1

真のお父様の勝利により堕落する前の状態を復帰して、本然の姿を取り戻すチャンスを迎えました。神様と家庭が直結する重要な接点が決定し、新しい出発の時を迎えました。


祝福家庭は、全部ご父母様を中心として、神様を中心として特命を受けて、その命令の一元化実体圏を整えて、天の前に奉献しなければならない責任を、地上に生きる血族たちは全うしなければなりません。これが天国に行くことのできる準備なのです。1991.1.1(私の国の統一)


「特命」とはなにか。それは氏族的メシヤの摂理であると思います。
「天の前に奉献しなければならない責任」とはなにか。
1999年までの7年路程においてエバ国の使命は祝福家庭が氏族的メシヤの実体圏を勝利して、真のお父様を日本のお迎えし、そこで天宙的祝福式を行うことによって、世界に善なる子女を生み出すことが天の計画において予定されていたことだとお父様は1999年1月に語られました。そのことを直接伺いました。


今、家庭連合で失敗している内容を蕩減復帰する使命がサンクチュアリにあることを痛感しています。







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天国に行くことのできる準備

真のお父様のみことば 

今まではピラミッド式の組織でしたが、今からは違います。反対に引っ繰り返すのです。ですから、本部がありません。地方にも県がありません。郡がありません。先生を中心として本部は全家庭なのです。堕落する以前にもそうです。父母だけしかいないのです。

祝福家庭は、全部ご父母様を中心として、神様を中心として特命を受けて、その命令の一元化実体圏を整えて、天の前に奉献しなければならない責任を、地上に生きる血族たちは全うしなければなりません。これが天国に行くことのできる準備なのです。1991.1.1(私の国の統一)



 教会集中時代は終わりました。分散時代です。九月一日で、氏族的メシヤを発表してから三年目です。三年間飛ばしてしまいました。その時、はっきり教えました。氏族的メシヤを一人でできなければ三位基台、三位基台でできなければ12人が一つとなってやるのです。それができない場合には、120の氏族的メシヤが連合してやりなさい。そういう連合体をつくってやった場合には、一人も隠れることができません。1994.1.2 (第11回愛勝日)




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洗礼ヨハネと私

のお父様のみことば 


イエス様は三〇年の歳月を、ヨセフとマリアの家庭で生きたのですが、その家庭では誰もがイエス様が抱いているその心、イエス様が願っている所望、イエス様の生活とやるべき事が何であるかについて、無知であったのです。のみならず、イエス様がされた御言の深い意味を理解し、イエス様をキリストとして迎える者がいませんでした。むしろイエス様を不信して捨てる立場をとったのが、イエス様の家庭であったのです。

 家庭において捜し立てるべき摂理的使命があり、個人に対して捜し立てるべき使命があり、また生活を通して、仕事を通して捜し立てるべき使命が、イエス様にはあったのですが、その当時のユダヤ民族の中には、そんなイエス様の使命を自身の命と感じる人間が、一人もいなかったのです。

 イエス様が見て、聞いて、語り、行い、働くすべての生活が、無知な地上にあったとしても、その生は地上の人間たちの為に生きることのみではなく、人間が知らない新しい神のみ旨の為に生きたのでした。ですからこのような新しい天倫のみ旨の為に生きられたイエス様にはその如くに、人知れぬ背後の悲しみの言葉と、理念と行動と生活に現れていたということを、皆さんは知らねばなりません。

 またイエス様は家庭において、自身のみ旨を立てることができなかったので、社会を通して、あるいは教団を通して、自身のみ旨を知らしめることを願ったのです。しかしイエス様はユダヤ教のまえに、またイスラエル民族のまえに歓迎されず、捨てられたのです。このようにイエス様の一身が排斥されたのみならず、さらにはイエス様がされた御言も排斥され、イエス様の生活、イエス様がされようとされたその事が、すべて排斥されたことを、皆さんは知らねばなりません。

 それゆえ皆さんは、このように見捨てられたイエス様の心情、捨てられる時のその寂しさ、心に受ける苦痛がどれほど大きかったかを、推し量ってみなければなりません。もしもこのようなイエス様の苦痛を知らない者になったなら、皆さんは四〇〇〇年の歴史に責任を負ってきたイエス様の人生、その理念、その生活、その仕事と御言を知る者として、到底現れることはできません。

 今日我々はイエス様のこのような事情が現れている、聖書の御言を通して少しは知っているのですが、それも頭で知っているのです。また耳で聞いて知っている程度です。しかしそれでは駄目なのです。昔イスラエルのユダヤの民に対して、イエス様が御言を伝えられた時にも、それを耳で聞いて、頭で知っただけだったのです。このように実生活において皮膚で体恤しないで、耳で聞き、頭で知っただけでしたので、かえって彼らがイエス様をして、十字架の道に行かせるようになったのです。ですから御言を頭で知り、耳で聞いただけでは駄目だということを、皆さんははっきりと知らねばなりません。 1957.10.4






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本による革命

真のお父様のみことば

先生が迫害を受けながら、百六十か国の宣教基地を造ったとするならば、あなたたちは百六十か国にあたる家庭的基盤、百六十軒の家庭を収拾しなければなりません。そうすることによって同じ結晶体になるのです。結晶体になったその位置を獲得した場合には、一かたまりになった結晶体と同じく皆一つになるのです。これは公式になっています。だから百六十軒には、ヤコブ家庭の十二数、モーセの七十二長老の失敗、イエス様の百二十門徒の失敗が入っているのです。

 戦後、キリスト教文化圏を新婦として、連合国家が先生を迎えた場合には、百六十か国を中心として、憲法を作って法律が発布されて、七年以内に、統一の世界、地上天国、天上天国を成し遂げるようになっていました。一九四五年から七年間で、一九五二年までに終えるのが先生の目標だったのです。そういう内容をきちんと構えておりながら、足場がなくて、皆追い出されてしまいました。完全に神様が主管するその基台を、再臨主を中心として一体となって定着すべきその基台を、連合国家が反対することによって、完全にサタンが主管するようになり、先生は神様と共に荒野に追い出されてしまったのです。
 再びその基準まで戻すのに、四十年を中心とした蕩減復帰の期間がありました。四千年を四十年で蕩減するのです。何十倍、何百倍以上の犠牲を払ってでも、これをよじ登って復帰しなければ、神様の摂理は永遠に延長されるのです。大変なことです。

 復帰摂理から見た場合に、個人的に完成したこともなければ、家庭的にも失敗、氏族的にも失敗、民族的にも失敗、国家的にも失敗、世界的にも失敗してきたのです。完全に世界的基盤において、神様と再臨主が追い出されたのです。四千年の歴史を四百年で蕩減するとすれば、先生は生きることができません。四十年の期間でこれを乗り越えないと、大変なことになるのです。

 完全に蕩減復帰させてあげた場合には、その先祖が祝福されたとするならば、その後孫も同じく祝福できるのです。親の勝利圏は、その後孫が相続できるのが原則だからです。第一代の先祖を中心として、何千代あってもいいのです。平面的に何千代でも祝福してあげることができます。今までの何千年の歴史を、先祖を中心とした時には、何千代が横に並んで、祝福は一週間でいっぺんにしてあげられるというのです。  1994.1.2







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私の責任ー礼拝

 真のお父様の祈祷 1991.6.12

愛の実体として、お父様の御旨を受け継いだ分身たるすべての祝福家庭は、今やこの地上に新たに氏族的メシヤとして、あなたの前における失われた氏族の父母を取り戻さなければなりません。あなたの愛の心情圏内にある父母として、再び天の愛に繋げなければならない重大なる一つの橋の任務が、国と氏族と家庭まで連結させるための必要条件として残っていることを知ったので、真の父母を中心とした勝利圏を基盤にして、横的に全世界の二万五千家庭を氏族的メシヤとして祝福し、配置致しました。彼等に伝授するすべての責任と使命は、自分の一祝福家庭に留まるのではありません。氏族を越えて、その国と世界に繋ぐことのできる歴史的な宿命として解いていくべき重大な使命があることを自覚しなければならない時となりました。

 こうして、氏族的なメシヤの使命を地上に完結することによって、天上世界と地上世界のサタンの権限に満ちたあらゆるものを追い出し、あなたの愛によって収拾された、新たなる希望に溢れる復帰の行軍がこの地上に始まりましたので、このすべてのことを喜んで受け入れ、勝利に向かう希望をもって耐え忍んでこられまたお父様の栄光の日を、正しく迎えますように、切に、切にお願い申し上げます。






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