家庭聖殿拡大 大分聖殿

家庭教会は、神と真の父母が人類に与えた最高の贈り物です。それは過去において未来においても、けっして存在しない最初のものであり最後のものです。あなた方は家庭教会の贈り物を受けました。それを果たすことによって、あなた方は真の息子・娘になるのです。家庭教会は、あなた方自身を真の息子・娘にする容器なのです。 みことば

阿南信義

ラスベガスに向かう心情


明日のラスベガスでの真の神の日の行事に参加するために、もう少しして大分の自宅を出発します。羽田発の便でロサンゼルスを経由してラスベガスに到着です。それで自己の心情を整理するために書く事にします。


●ラスベガスを愛された真のお父様の心情をもとめて。
真のお父様は2008年、9年頃、ラスベガスをとても愛され、一年の内に13回も行かれたと語られています。90近い年齢の中で、肉体的には大変な状況でありながらも、地上での最後の摂理としてラスベガスの復帰を考え、行動された真のお父様の心情を尋ねたいと思います。

●聖地中の聖地は二代王様がいらっしゃるところ。
二代王様がおられるところに真のご父母様がおられます。言うまでもなく、人類の中で誰よりも真のお父様を愛され、ひとつのなっておられる亨進二代王様です。その二代王様の近くで侍ることができることは最高の恵みで、そんな機会は求めてもそうあることではありません。聖地中の聖地に行くことのできる恩恵です。

●真のお父様のご聖誕100周年に参加できる。
2020年はメシヤのご聖誕100周年です。大きな節目であり、これから200周年、500周年、1000周年とお祝いがあるでしょうが、それだけに今年の100周年がどれほど貴重な体験であるかを自覚せねばなりません。

●今年の摂理の勝利のために
今年2020年の10月14日は以北出監記念の70周年になります。その時に行われる第二回鉄杖自由祝祭の意義はとてつもなく重要な式典であると言えます。なぜなら3週間後に大統領の選挙があり、神の摂理が勝利的に展開することができるかどうかということが決定される霊的な位置があるからと思うからです。その出発がなされるのが今回の式典ではないかと思います。

●神の摂理に相対するために
今年の自分に対する神の摂理をはっきりと自覚しなければと思います。アメリカを中心とした世界的実体的摂理が展開される2020年です。自分に対する神の摂理は氏族的メシヤ・氏族王の摂理あることを強く意識するとともに、実体化するためにはどうするのかを具体的に計画する必要があります。天との約束をどこまで成しているのかを反省し、悔い改める必要があります。


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真のお父様のみことば 2008.4.6 ハワイ

「ロサンゼルス」というのは、「天使世界を失ってしまった」という意味です。ですから、ロサンゼルスに来て、若い男女たちが俳優になろうとします。俳優というのは何かといえば、配偶者になることができず、俳優になって配偶者をまねる行動をするのです。(韓国語の〔俳優〕と〔配偶〕は同じ発音) 淫乱な行動など、ありとあらゆることをします。映画を作りながら、ありとあらゆることをして堕落させたというのです。このような文化が、サタン文化を中心として広がっています。

 その次に、世界の人たちが米国を中心として旅行し、“逃れの町”のように、だれでも米国に来ることができるようにすることによって、米国が百二十か国と民族を包括しました。それで、米国民主主義です。この世の王権であれば、国を離れれば捕まえて殺してしまいますが、米国に行けば民主主義であり、民を第一とする主義なので、本国で殺すことができません。それでアメリカナイズされるのです。

 米国国民だと言いますが、それは渡り鳥たちが来て新たに結合した国です。移民国です。米国は何かといえば、渡り鳥たちが来て一つになったのです。すべての動物たちがエデンの園の一つの村で暮らしていたのと同じです。
 米国では、動物も、かってに捕まえて殺すことができないようになっています。虎など、すべてのものを怨讐視して殺してはいけません。虎を殺す人は、法的に厳罰に処されるというのです。



 それで、先生は今後、米国を占領するのですが、これは第二イスラエルです。イエス様が殺されて再臨するとき、第二イスラエルの中心地はイスラエルの国ではありません。第二イスラエルは、平和の民族解放をして、だれもが自由な天地をつくるためのものです。その自由天地をつくっておきましたが、主人がいません。個人主義の思想を中心として、自分にお金がたくさんあれば、自分の親戚であれ兄弟であれ、すべて奪って自分のものにして争うのです。個人主義世界は、争いが絶えません。

 その次に、性の解放です。争って、息子たちが自分の母親まで奪って暮らします。おばあさんまでも、その孫たちと暮らしています。なぜですか? おばあさんはお金があるのです。孫を連れて暮らし、めちゃくちゃになっています。イスラエルとして祝福されたキリスト教文化圏の世界が、そこにはまり込んでいるのですが、それをだれが救ってあげなければなりませんか? イスラエルの国、ユダヤの国、ローマに占領されてしまいました。今は(旧)ソ連と米国も自由選挙になっていますが、神様の王権に対してはすべて怨讐です。サタン世界を分別して立てておき……。

 ですから、来られた主は、超教派超宗教運動をせざるをえないのです。今まで、つくられた、天国理想を壊してきたものを放っておくのですか? たたきつぶしなさいということです。カインもたたきつぶしなさいというのです。わたしたちは、キリスト教が、新旧約を中心として生命視しているものをすべて一度に結び、一週間、三か月、六か月ですべて消化できる能力を持っています。




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父の代わりとなろう-礼拝


私たちが氏族メシヤ・王として勝利するためには霊界の協助を受けなければ、その目的を成就することは困難です。
今のときは再び、第二イスラエルのキリスト教に神様の摂理と祝福がそそがれている時ですので、過去の殉教されたクリスチャンのみな様に心情を寄せることが重要だと考えます。



亨進様と国進様ご家族


真のお父様のみことば  父の代わりとなろう1968.8.24

キリスト教が殉教の歴史をつづってきたので、皆さんはそれ以上の新しい伝統を打ち立て得る人にならなければなりません。先生は、キリスト教の歴史に劣らないことを今までしてきました。先生は三時代を経て、国家を中心として闘ってきました。皆さんの前に堂々と命令できる実績をもっているのです。それが現実の欲望のためだったなら、罰を受けなければなりません。しかし、未来の伝統のために強力に推し進めてきたので、その犠牲によって、未来において決して滅びないのです。その基盤の上で、このようなことが起これば起こるほど、未来の世界はより一層堅固になるのです。





みことば 父の代わりとなろう1968.8.24


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2020年真の神の日を迎える内的準備



あと6日で第53回真の神の日を迎えます。また真のお父様のご聖誕100周年記念日が同時に行われます。その日を地上において迎えることができる恵みを感謝し、自分の方向性を明確にするために記すことにします。

長子権復帰

二代王様は陽暦の2017年1月1日に天一宮に入宮されました。アメリカ合衆国大統領となったトランプ氏が1月20日にホワイトハウスに入る前に、そのことをなされ、神側として、アベルの立場に立つ条件を立てられました。

それで世界的なカイン・アベルの摂理が始まり、神様の天一国が具体的に出発をすることになりました。カインの立場として合衆国大統領が立つためには、アベルの立場が立たなくてはなりません。その天一宮入宮を準備なされたのは国進様でした。真のカイン・アベルが一つになって、世界的カイン・アベルの合衆国大統領と二代王様の立場が確立するようになったと思います。

あれから4年経ち

今年の鉄杖自由祝祭は10月11日に行われます。そして11月3日は大統領選挙となります。あらかじめ神側の条件があって、カイン側の立場が確立するのが神様の原則です。今年の鉄杖自由祝祭の内的な意義は極めて重要な式典であると言わざるをえません。
それは世界的カイン・アベルが実体的にひとつとなる神様の摂理が願われていると思うからです。

三代王権を代理する自分の立場

神様の祝福を受けている自分はアベルの立場と言えます。そしてカインは氏族圏で、「祝福を周辺に拡大」することを通して、実体的なカイン・アベルの展開がされ、氏族メシヤ、氏族王として立つことができます。

二代王様三代王権が世界的カイン・アベルの闘いをなされる今年の重要な摂理を勝利するために自分がなすべきことは何か。
それは氏族的カイン・アベルを勝利することであり、それなくしては神様の摂理の勝利はないということになります。なぜならそれが人間の責任分担であるからです。

その勝利の基準は160軒の祝福伝道という真のお父様からの明確な目標があります。それで氏族的長子権復帰を勝利したということになります。そのことをもう一度決意して出発せねばと思います。

100周年の真のお父様ご聖誕記念日を迎えます。10数は帰一数であり、神様が働くことのできる数字であるので、新しい希望のときを迎えることを感じます。
内的準備をして臨みたいと思います。


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真のお父様のみことば 1968.8.24

それでは、一つの家庭を中心として見るとき、父母のみ旨を継いでいく代身者になろうとするならば、どのようにしなければならないでしょうか。第一に、志を同じにしなければなりません。父母のすべてのみ旨を共にできる人が、父の代わりになれます。そのためにはその息子が、「お母さん、お父さんはこのようなみ旨を中心として、この家庭を立てるために行くんだな」と父母のみ旨を知り、その家庭を導いていかなければなりません。すなわち、家庭の未来を考えて、家庭が歩んでいくべき目的を中心として、その観念に一致しなければなりません。

 ところが、ここで共にするだけでは、その父母の代わりにはなれません。そのみ旨を仰ぎ、そのみ旨を中心として実践しなければなりません。また、そのみ旨が永遠ならば、行動の目標も永遠でなければなりません。そのような基点をもたなければ、父の立場に代わって立つことはできません。したがって、父の代わりになろうとするならば、み旨が同じでなければならず、行動が同じでなければなりません。




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原理学習の姿勢とその重要性


先日の15日、こちらの聖殿では、原理講義を行いました。14名参加しました。
その講義をする度に必要性重要性を感じております。それは現実世界が非原理の世界であるため、どうしてもその影響を受けてしまい、原理的判断が薄れていくようになるからです。

①原理学習は自己を再創造することができる。
②地上のシックが原理を学ぶことを通して霊界の人々が再臨復活できる。
③原理が分からずに責任を果たすことができなかったので、原理を学ぶことを通して責任を成就することができる。摂理的使命を全うするためには原理のみことばを体恤する必要がある。


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真のお父様のみことば  原理大修練会開講式における御言1967.6.17 

 もう一言は、この原理を研究するにおきまして、重大なことは、これがただ勉強するという観念でここに参席してはいけない。創造原理から堕落原理、あるいは復帰の路程を、ずうっと講義する間におきましては、それは講義する人の講義ではない。講義されている君たちの講義である。また、先生から賜ったその言葉じゃなくして、君たちが直接解決すべき言葉である。

 だから、その原理を探すための立場を君たちが先に立っておるという観念ですね。この人間の重大な問題を解決せんがために非常に悩み悩んで、どうにもこうにもできない、その泣くような立場に立って、こういう重大な問題を天から、あるいは君たちの祈りから、その解決されるその瞬間に臨席するというような気持ちが何よりも必要である。そういう基準が、自分の悩みの涙の中でこれを解決した時のその喜び、天に対しての感謝、自分ながらの嬉しさを感じるようなその気持を原理講義の中で、いかに体験するかということが何よりも重大な問題である。

 もし、アダムの家庭のことを聞くというと、そのアダムの家庭は過ぎ去った昔の我々の先祖の家庭じゃない。それが復帰という、蕩減条件ということを立たせるには、それは再臨の基準を我々自分ながらその基準に立って、そういうあらゆる蕩減を現在の平面圏に蕩減条件を立たせなければ完全復帰はできない。それを誰がやるか。自分がやる。だから、アダムの家庭のすべての原理の内容は、自分がやるべき、やらなければならない重大な自分のことである。

 だから自分のことを、すべてのものが、あらゆる存在が、もしくは天自身ながらも、神御自身ながらも、先生共ながらも、ここで講義しておる先生ながらも、みんな合わせて自分のやるべき仕事に対して、責任に対して勉強する………。だからこの時間がいかに重大な時間であるか。ここにおいて善なる基準を立てなければ君たちはその基準を中心として、完全なるアダムの家庭なら家庭の基準を復帰することはできない。はっきりした完全基準を中心として自分の原理的限界を解決しないというと、事実責任を持ってそれ行動に移して、その目的完遂するということは全然不可能であるわけなのです。

 それで、こういう立場に立っている君たちと思いまして、すべての原理は自分たちの難問題を解決する催しである。天から最高、最上の恵みとして下さる催しの時間であるということを、つくづく感じながら、この講義に臨席して下さることを切に願うのであります。




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11条の重要性



神様の摂理は万物を犠牲にすることを通して堕落したところの人間を復帰する摂理をなされてきました。堕落してサタンの侵入を受けている人間に信仰を継続させるために11条(10分の1)の責任を与えて、神様が人間を主管することのできる条件としてこられました。

今まで、旧約の時代、新約の時代において選民として選ばれた第一イスラエル、第二イスラエルの人々はそのことを着実に守りながら、神様と一つになってその信仰を継続してこられました。

成約時代において、特に日本の場合はその思想を強調することなく、万物復帰の意味も理解することのできない事情の中で万物を捧げてきて、11条に対しての思想と伝統が立てることができないまま来ているのが現状です。

下記のみことばと聖句を知るとき、11条はまさに堕落した人間を復帰するための神様の愛と知恵であることがわかります。

成約時代のこの時、神様が主管することのできる11条の実践を継続しながら、氏族的メシヤとしての任務を全うしていきたいと思います。


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11条に対する姿勢 みことばと聖句
■真のお父様のみことば

◇公的統治の法度
一九七〇年六月四日 『文鮮明先生み言選集第三十一巻』

 キリスト教の十一条を見ると、そこには実に怖い内容があることを知るようになります。十一条を出さなければならないという聖書の一節もあります。十の中から一つを神様に捧げなさいということです。「神様に見えるのか。十一条とは何か」と言う人もいるでしょうが、十一条は、一つだけ行って十まで行くということです。

 もし皆さんの両親の誕生日祝いや還暦祝いを迎えて、お祝いをするために牛もほふり、豚もほふって、ある物ない物みな作って捧げるというとき、その方々はそれを全部食べますか。そうではありません。受けることはみな受けますが、みな食べることはできません。ほんの少ししか食べることができないのです。しかし、このように少しだけ召し上がっても、みな召し上がったという条件が立てられるのです。

 これと同様に、十一条は私が所有している物質の中から十分の一を神様に捧げることによって、全体を捧げるという意味をもっているのです。父に全体は捧げないけれども、その中の一つを精誠を込めて捧げるということは、そのような意味で価値があるのです。そのように一つを捧げることによって、残りの九も聖なる物として取り扱われるようになるのです。このように十一条を捧げて生きる人は滅びることがないのです。日がたてばたつほど彼の倉庫が増えるようになっているのです。



◇.私を中心とした父母と子女と万物世界
一九八三年六月五日

 アダムの家庭では八人の食口が堕落しました。その中でサタンを中心として三人の息子が落ちました。そのために三人の息子と三人の娘が必要であり、これ(三人の娘)は三人の息子を中心とした三人です。ここではサタンを中心として上っていかなければなりません。サタンの愛を中心として落ちたので、神の愛を中心として、ここから上がっていかなければなりません。そして何があるかといえば、万物があります。

 堕落してすべてを失ってしまいました。そこで万物の条件も立てなければなりません。統一教会が万物の条件を立てるのは再創造するためです。サタン世界になってしまったので、神の側には何もありません。神側に何もなくては、アダムとエバを再創造することができません。神はアダムとエバを先に創造しましたか、万物を先に創造しましたか? (万物です)。では万物をサタン世界に行って、取り戻してこなければなりません。世界代表を中心とした所に行って、世界代表した精髄を取ってこなければなりません。そこにおいては、すべての国が反対します。そのようにサタンが反対する中において、仕方なく探してきました。

 本来、すべての万物の所有は、真なる愛をもつ人がするのが原則です。「君(サタン)は真の愛をすることができなかったけれど、私は真なる愛をしたので、このものを私に渡してくれなければならない」と言うときには、サタンも仕方ありません。サタン世界の所有として愛する以上の愛する心で愛さなければなりません。それで十一条、サタン世界でも十一条の代わりに(税を収めています)。

三掛ける三は九で、これが三段階(黒板使用)、十数は神側に入り十一条に対するものを取り戻してこなければなりません。その意味において、サタン世界から取り戻してこなければなりません。人類を愛し、世界を愛し、神を愛するにおいて、君(サタン)よりは優れているという立場に立って、取り戻してこなければなりません。精誠を尽くしてそうするのです。それは万物において、条件を立ててやったことであって、全体ではありません。

全体の核心、種を取り戻してこなければなりません。条件というのは種です。それを取り戻してから、初めて自分自身が再創造されるのです。自分を通して再創造するにおいて、万物が必要です。万物を愛するうちに、万物を愛する本然の私になります。



聖句から
■創世記 第14章

11)そこで彼らはソドムとゴモラの財産と食料とをことごとく奪って去り、12)またソドムに住んでいたアブラムの弟の子ロトとその財産を奪って去った。13)時に、ひとりの人がのがれてきて、ヘブルびとアブラムに告げた。この時アブラムはエシコルの兄弟、またアネルの兄弟であるアモリびとマムレのテレビンの木のかたわらに住んでいた。彼らはアブラムと同盟していた。14)アブラムは身内の者が捕虜になったのを聞き、訓練した家の子三百十八人を引き連れてダンまで追って行き、15)そのしもべたちを分けて、夜かれらを攻め、これを撃ってダマスコの北、ホバまで彼らを追った。16)そして彼はすべての財産を取り返し、また身内の者ロトとその財産および女たちと民とを取り返した。

17)アブラムがケダラオメルとその連合の王たちを撃ち破って帰った時、ソドムの王はシャベの谷、すなわち王の谷に出て彼を迎えた。18)その時、サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒とを持ってきた。彼はいと高き神の祭司である。19)彼はアブラムを祝福して言った、「願わくは天地の主なるいと高き神が、アブラムを祝福されるように。20)願わくはあなたの敵をあなたの手に渡されたいと高き神があがめられるように」。アブラムは彼にすべての物の十分の一を贈った。



■ヘルブ人への手紙 第7章

1)このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司であったが、王たちを撃破して帰るアブラハムを迎えて祝福し、2)それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。3)彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。4)そこで、族長のアブラハムが最もよいぶんどり品の十分の一を与えたのだから、この人がどんなにすぐれた人物であったかが、あなたがたにわかるであろう。5)さて、レビの子のうちで祭司の務をしている者たちは、兄弟である民から、同じくアブラハムの子孫であるにもかかわらず、十分の一を取るように、律法によって命じられている。

6)ところが、彼らの血統に属さないこの人が、アブラハムから十分の一を受けとり、約束を受けている者を祝福したのである。7)言うまでもなく、小なる者が大なる者から祝福を受けるのである。8)その上、一方では死ぬべき人間が、十分の一を受けているが、他方では「彼は生きている者」とあかしされた人が、それを受けている。9)そこで、十分の一を受けるべきレビでさえも、アブラハムを通じて十分の一を納めた、と言える。10)なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを迎えた時には、レビはまだこの父祖の腰の中にいたからである。



■創世記 第28章

10)さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、11)一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。12)時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。13)そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。

14)あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。15)わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。16)ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。17)そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。18)ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、19)その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。

20)ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、21)安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。22)またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます」。



■レビ記27章

30)地の十分の一は地の産物であれ、木の実であれ、すべて主のものであって、主に聖なる物である。31)もし人がその十分の一をあがなおうとする時は、それにその五分の一を加えなければならない。32)牛または羊の十分の一については、すべて牧者のつえの下を十番目に通るものは、主に聖なる物である。33)その良い悪いを問うてはならない。またそれを取り換えてはならない。もし取り換えたならば、それと、その取り換えたものとは、共に聖なる物となるであろう。それをあがなうことはできない』」。34)これらは主が、シナイ山で、イスラエルの人々のために、モーセに命じられた戒めである。


■民数記 18章

21)わたしはレビの子孫にはイスラエルにおいて、すべて十分の一を嗣業として与え、その働き、すなわち、会見の幕屋の働きに報いる。22)イスラエルの人々は、かさねて会見の幕屋に近づいてはならない。罪を得て死なないためである。23)レビびとだけが会見の幕屋の働きをしなければならない。彼らがその罪を負うであろう。彼らがイスラエルの人々のうちに、嗣業の地を持たないことをもって、あなたがたの代々ながく守るべき定めとしなければならない。

24)わたしはイスラエルの人々が供え物として主にささげる十分の一を、レビびとに嗣業として与えた。それで『彼らはイスラエルの人々のうちに、嗣業の地を持ってはならない』と、わたしは彼らに言ったのである」。25)主はモーセに言われた、26)「レビびとに言いなさい、『わたしがイスラエルの人々から取って、嗣業として与える十分の一を受ける時、あなたがたはその十分の一の十分の一を、主にささげなければならない。

27)あなたがたのささげ物は、打ち場からの穀物や、酒ぶねからのぶどう酒と同じように見なされるであろう。28)そのようにあなたがたもまた、イスラエルの人々から受けるすべての十分の一の物のうちから、主に供え物をささげ、主にささげたその供え物を、祭司アロンに与えなければならない。


■マラキ書 第3章

7)あなたがたは、その先祖の日から、わが定めを離れて、これを守らなかった。わたしに帰れ、わたしはあなたがたに帰ろうと、万軍の主は言われる。ところが、あなたがたは『われわれはどうして帰ろうか』と尋ねる。8)人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。

9)あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。10)わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。11)わたしは食い滅ぼす者を、あなたがたのためにおさえて、あなたがたの地の産物を、滅ぼさないようにしよう。また、あなたがたのぶどうの木が、その熟する前に、その実を畑に落すことのないようにしようと、万軍の主は言われる。
12)こうして万国の人は、あなたがたを祝福された者ととなえるであろう。あなたがたは楽しい地となるからであると、万軍の主は言われる。



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神の目的と我々の目的-日曜礼拝


真のお父様のみことば  神の目的と我々の目的 1965.1.28

ある時、先生は神に祈りました。「善なる神の目的、善なる神の人格、その目的にかなうその人格、神の心情を中心として生活する場において、神の事情を中心として、万物を抱き得る真なる神の求める創造本然のその人は、いずこにありますか?」。「おりません」。「過去におりましたか?」。「おりません」。「現在におりますか?」。「おりません」。「未来におるでしょうか?」。「私は知らない」。神自身も知らない。

責任分担の五パーセントを残しておる。この悲惨なる復帰の歴史は神自身ながら、いかなる力をもって、いかなる権力をもっても、どうにもこうにもすることができない。引っ掛かりに掛かっておる。その基点に対して、神がいかにその涙を流しても、どうすることもできない。

この重大なるその基点を解決し得るのは、人がしなければならない。君たちはその堕落論におきまして学んだ通りに、人間に責任がある。今まで神は全能なる神ゆえ、その神が果たそうとすれば果たし得ないことはないという考えを持った信者は多いけれども、神におきましてどうにもこうにもすることができないところがあるということを悟れる人がない。

それで神御自身におきまして、悲しみの境地に陥ったその瞬間の体験というものは、表現できません。その悲しみの境地、その悲惨なる境地、そういう境地を超えなければならない。そういう境地を超えなければ、その生死の国境と言いますか、この城壁を越えることができない。


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最近の世界情勢をどのように捉え、どのように行動するかという点が重要なことです。そのためには神の摂理がどうなっているのかを知る必要があります。それでイエス様が最期のときを迎えた情勢がどのようであったかを理解することによって、終末のこの時においてなすべきことを悟り、実践する時の力を得ることができます。

み旨成就のためには神様の責任分担と人間の責任分担が完成しなければならない原則があります。神様の目的は御旨の成就であるけれども、そのためにまず人間の救いが目的でした。そのためにアベル側の多くの犠牲が投入されてきました。

人間の目的は天国の完成であるけれども、それぞれが自分の天国を求めてきて、多くの闘争と戦争を繰り返してきたのが人類の歴史でありました。

我々はその目的を成就するためには、神様が人間を尋ねてくださったように、まず神様を求めることが第一であることを知らなければならないと思います。そうしない限り永遠なる地上天国を迎えることはできません。

今日の世界情勢の中で、自分はどうすべきかを知ることのできない多くの一般の人々の姿があります。我々は摂理と原理を知っている立場から行動を判断することができます。

それはアベル圏の確立だという結論になります。アベルとしての立場が確立しない限り、カインは自然屈服することはできませんし、み旨の完成はありえない事になります。2000年前の右側の強盗のようにイエス様と一つになることだと思います。それはイエス様の立場である三代王権と我々が一つになることが今願われていることだと思います。






みことば 神の目的と我々の目的1965.1.28

みことば集 神様の摂理と南北統一(抜粋)



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イエス様、右側の強盗、左側の強盗、そしてバラバ



2020年の新年を迎えてから急激にアメリカとイランとの対立が激化しています。そしてイランの背後にはロシアと中国がいます。イランの名は正式にはイランイスラム共和国であるように、イスラム教を国教として国家体制を確立しています。その戦いはキリスト教とイスラム教の戦いであるとも言えます。またそこに中国とロシアが入ってきていて、まさに終末的状況を迎えている世界の状況です。

韓氏オモニの不信によって、世界的終末状況はいよいよ深刻な事態となってきています。
真のお父様のみことばから我々は何をなすべきかを考えるとき。
みことば集「神様の摂理から見た南北統一」の中に、今日の終末的状況を分析し、警告されておられ我々の向かうべき方向性を明示してくださっています。


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真のお父様のみことば集 「神様の摂理と南北統一」の中から

二.イエス様の十字架と今日の世界

1 イエス様の十字架を再現した今日の世界

 イエス様は真理の本体です。すなわち真理の種です。ところで、この種は十字架にかかることによって植えられました。その時に右側の強盗と左側の強盗がいたことを皆さんは知っています。死ぬ立場でありながら、イエス様のおかげで釈放されたバラバは福を受けた人です。イエス様は十字架で死んで、「また来る」と言いました。十字架で逝かれたので、十字架で降りてこなければならないのです。イエス様が亡くなられたその時の環境がそのまま世界的な現象として実を結ぶ時になれば、主が来られる時になったことを皆さんは知らなければなりません。(六九―一一〇)


 イスラエル時代にイエス様が来て成就できなかったために、キリスト教文化圏を中心に主が再び来られることを約束しました。キリスト教は新しい歴史時代の出発です。イエス様を植えたのです。イエス様は真の人なので、真の人を植えたのと同じです。ところで植える時、一人では完全にきれいなものとして植えることができませんでした。サタンが讒訴する条件に引っ掛かったまま植えたのです。植えたものが世界的に実を結ぶ時になったならば、終わりの時であることを知りなさいというのです。


 イエス様が十字架上で亡くなる時に右側の強盗と左側の強盗がいました。その次に、イエス様の前にバラバがいました。右翼とか左翼とかいう言葉は、今日出てきたのではありません。イエス様の時代に植えたものが実を結ぶ時になって現れるのです。左側の強盗はイエス様に対して「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」(ルカ二三・39)と言いながら、イエス様を否定しました。右側の強盗は左側の強盗に「お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」(同二三・41)とイエス様の側に立って苦しみを克服し、左側の強盗をしかったのです。それで、右側にいた強盗はイエス様と共に楽園にいることを、我々は聖書を通して知っています。


 バラバはどのような人かと言えば、イエス様のおかげで助かりましたがイエス様に反対した人です。ですから、そのような文化圏が生じなければならないのです。それが、イスラム圏なのです。イスラム教は片手にはコーランを、もう一つの手には剣を持っています。これは純粋な宗教の立場に違背します。旧約聖書を信じながらも、そのようなことをしているのです。


 体的人にも、心と体があり、心的人にも心と体があります。これと同じように、外的世界と内的世界を見るとき、イエス様は内的立場にいました。内的な立場はイエス様と右側の強盗が一つに組んでおり、外的な立場は左側の強盗とバラバが一つの組になっています。(五三―一八八)


 イエス様を中心にして見る時、右側の強盗と左側の強盗、イエス様とバラバ、このように種を蒔きました。歴史がこのように蒔かれ、蒔かれたとおりに刈り取られるのです。まず最初に現れたのが右側の強盗型と左側の強盗型である右翼世界と左翼世界、すなわち民主圏と共産圏であり、その次に現れたのがイエス様の十字架を中心として登場したバラバ型であるイスラム圏です。イエス様のおかげで福を受けることができるようになったバラバ型のイスラム教は、キリスト教の旧約聖書を中心として出発しました。


 このように蒔かれた歴史は、世界の形態が三大陣営として結束する結果的な時代の運勢へと入っていくようになりました。アラブ圏のナセルは、イスラム教圏を統一してアラブ統一国家を夢見ました。そこに対備して、キリスト教は今、「すべての宗教を統合しよう」という世界的な新しい趨勢に入っていっています。このような世界的な傾向を眺めてみる時、悲運で蒔かれた歴史が、初めて神様を中心とした善の結果として現れているということを知ることができます。


 歴史の終末時代になればこれが露骨化し、始めに蒔いたものをこの時に結んだ模様そのままで収めるようになるのです。これは、摂理の法度によって現れないではいられない、不可避の傾向です。


 それでは、今現れなければならないものは何ですか。イエス様は人類を代身して死にました。その時、左側の強盗は十字架を背負ったイエス様を眺めて誹謗しました。「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」(ルカ二三・39)と言って誹謗したのです。そのような左側の強盗型として現れたのが、「神なんかどこにいるのか」と言って神様を誹謗し否認する左翼、すなわち共産圏です。それに反して、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」(同二三・40~41)と言って、イエス様を認定し、天を擁護し、天の側を証した右側の強盗型として現れたのが右翼、すなわち民主世界です。


 また、イエス様によって死ぬ立場から解放されたバラバ型のイスラム教圏のナセルという人は、このような左右の闘争の間で利益を上げようとするのです。それが、ナセルの政策です。


 民主世界が内的ならば、共産世界は外的です。右翼が内的ならば、左翼は外的です。ですから、将来メシヤは神様を尊重する民主世界の内的基盤の上に来られ、外的な環境を吸収して、キリスト教文明圏を中心として統合する運動をしなければなりません。最後には、このような運動が起こるのです。このようなことをただの偶然であると言うことはできません。そのような動機が蒔かれたために、そのような結果がもたらされるのです。(二〇―一七一)


2 終わりの日における地球上の四つの組

 この世界において、神様とサタンが世界的に大きく戦って蒔いた時がいつかといえばイエス様の時です。イエス様が十字架について死んだその位置は、この人類世界に神様とサタンが蒔いた位置なのです。それが収穫期、すなわち終わりの日になったので、世界的に現れなければならないのです。
 イエス様一人を中心に見るとき、四組になります。イエス様がいて、右側の強盗がいて、左側の強盗がいて、バラバがいました。これら四人が、生死の問題を中心として関係した人です。ここで肉的に復活したのがバラバで、霊的に復活したのがイエス様です。(五三―一三二)


 皆さんが今の時代をソ連と中共と米国の三国時代だと言いますが、そうではないのです。米国と共産圏とアラブ圏です。アラブ圏はイスラム教圏です。このように三組なのです。何を言っているのか分かりますか。民主世界と共産世界、そしてアラブ圏、このように残るようになるのです。

 その次にもう一つ現れなければならないのですが、それがどのような圏かといえば天国圏です。天国圏が現れてこそイエス様が勝利できる復活圏が開くのです。どうしてそうなのでしょうか。真は、蒔けばそのままたくさん収めるようになるのです。粟一粒を蒔けば秋に粟がたくさん取り込まれるのと同じです。そうでしょう? 植えたとおりに取り入れるのです。(五七―三三二)


 神様は国も分け、主義や思想もみんな分け、共産主義もみんな分けるのです。全部分けるのです。そうして四組になるのです。四組になればすべて終わりなのです。今、その時になってきたのです。四つの組にならなければいけないのです。世界的にもそうです。イエス様が真理の王子ならば、イエス様が蒔いたとおりに実る時になったのです。(四九―一九六)


 将来、残された問題がどのようになるのでしょうか。死ぬこと以外にありません。イエス様が死んだので右側の強盗、左側の強盗も死ぬこと以外にありません。キリスト教も終わりであり、民主世界も終わりであり、共産世界も終わりです。全部このようになるでしょう? イスラム教圏もみんな終わりです。天地の主人がいなくなったために、全部悲惨な運命になるのです。そのような運勢が今来ているのです。ここにおいて復活の権限をもって、この地上に再臨思潮が来るであろうというのが統一教会の歴史観です。


 ですから、家庭がばらばらになったなら天の家庭が糾合できる時が来たことを知れ、お父さんとお母さんがお互いに刀で刺し合うならばサタン世界が互いに争い滅びる時が来たことを知れ、教団で牧師と長老たちが刃傷ざたを起こしたならばその教団から既に神様が離れたことを知れ、信者が牧師をナイフで切り、牧師が信者をナイフで切るその時になれば終わりであることを知れというのです。これから、世界にそのようなことが現れるのです。その中で一番めちゃくちゃで、世界で代表的に誤った場がイエス様が血を流した場であり、その場がイエス様が復活できた場ではないですか。


 そのような立場に置かれている国がまさに韓国です。そのような意味で、韓国に再臨主が来られるのです。左右がぶつかる境界線である南北を中心として共産圏と民主圏の交差路が生じたのです。そこで民族的に家庭がこっぱみじんに割れるのです。皆さんがそれを知るようになればあきれ返るのです。(五〇―七二)


三.イスラム教圏と共産主義

1 イスラム教圏の立場

 バラバとは何ですか。イエス様が死地に出て行くことによって、死ぬべき者が生き返ったのです。そうでしょう? そのようなやからがいました。それが何ですか。この世界においてのアラブ圏イスラム教です。イスラム教はキリスト教によって出てきたのです。これは、「怨讐を愛する」という宗教的本質から外れたと言えるのではないでしょうか。それは、「コーランを受け入れなければ剣で切られろ」というカイン的世界宗教の代表、すなわちバラバ的な宗教です。分かりますか。


 ですから民主世界を中心にして見れば内的な精神的指導基準がキリスト教であり、共産世界を見れば、現象として共産世界の内的立場に立っているようなものがイスラム教です。ですからイスラム教とキリスト教は歴史的な怨讐です。そうでしょう? (はい)。そのように分かれるのです。(五〇―二二四)


 バラバのような国はどのような国かと言えば、イスラム教国家です。片手にはコーランを、片手には剣をもって、信じればそのままにしておき、信じなければ剣で脅します。信仰の本質はそういうものではありません。それは、愛し難いものまでも愛するという信仰の本質とは根本的に違うものであるとは言えないでしょうか。これは、間違いなく共産主義と表裏一体として現れるのです。(六九―一一二)


 バラバという人はどのような人かと言えば、イエス様の身代わりとして命を助けられた人です。そうでしょう? 彼はその当時の反動分子として国に民乱を起こさせた大逆罪人だったので、すぐに殺される立場にあったのですが、イエス様のおかげで命拾いをしたのです。そうでしょう? 


 バラバの父母がイエス様ならば、バラバはイエス様の身代わりに自分が救われたのだから、命を落とすようなことがあってもイエス様のために忠誠を尽くさなければならないのです。それが、人間の道理なのです。(五七―三三二)


 バラバ圏はどこであるかというのです。バラバはイエス様のおかげで死ぬ立場から救われた人です。彼は、イエス様のおかげで救われたのだからイエス様の死を心配し、イエス様の行く道を同情だけでもすべきなのに、逆に非難をした人です。イエス様は死んで復活しましたが、バラバは死なないで解放された人です。そうやって出てきたのが何かといえば、旧約聖書を中心とするコーランを信じているイスラム教圏であるということを、皆さんは知らなければなりません。そのために、イスラム教とキリスト教は怨讐になっています。


 イエス様と右側の強盗が一つになったように、左側の強盗とバラバが一つになる時が来るのです。それでは民主世界とは何ですか。右側の強盗であると見るのです。これは、ミスター・文の作り話ではありません。歴史がそのようになっているのです。


 これから先の問題は何ですか。イスラム教圏が問題であり、共産世界が問題であるということを、皆さんが分からなければなりません。今、共産党とイスラム教圏が手を取り合って出てきています。これを防止しなければならないのがイエス様を中心とした右側の強盗の立場の民主世界であるにもかかわらず、そうすることのできる民主世界の権限はどこに行ってしまったのかというのです。(五四―一二七)


2 イスラム教圏と手を握ろうとする共産主義

 共産党は、何としてでも将来アラブ圏と手を握ろうと努力します。これは、先生が前から話してきたことなのです。一九六五年に米国のアイゼンハワー前大統領に会った時、そのことを話したのです。共産世界が滅びる時には、必ずアラブ圏を通して民主世界に再び反旗を翻すと言ったのです。今がそうなのです。(四七―一九三)


 私が一九六五年度にアイゼンハワー米国前大統領に会って、将来、民主世界が共産世界に勝つとしても、共産世界がイスラム教圏と手を握って出てくる時が来ると言ったことがあります。皆さんは、今ソ連がインドを中心にしてエジプトやイスラム教圏と手を握り、南方作戦をしてきていることを知らなくてはなりません。米国が後退する位置を占領してきているのです。サタン側、悪なる側はそうやって一つになって民主世界をのみ込もうとしているのに、民主世界はこうしてもいい、ああしてもいいと言っているのです。(五三―一三四)


 今、共産世界とアラブ圏が手を握っています。(五五―二七二)

 先生が一番心配するのは、将来起こるかもしれないアラブ諸国家と民主主義世界との戦争です。共産主義はアラブ圏と一つになるかもしれません。このたび、ナセル軍部に驚かされたのはソ連です。共産主義であれ、民主主義であれ、滅びるようになればアラブ圏と合同して第二の戦争を起こすかもしれません。


 ですから、このような摂理的な責任をもつ統一教会が、これをどうやって打ちつぶすかが問題です。先生は、今までパキスタン一帯からインドと東南アジア、そして共産主義とイスラム教圏に対して相当な関心をもって注視してきました。(一八―二三七)


 もし共産党が、民主世界によって後退し滅ぶようになれば、アラブ圏を通して再び攻撃してくるのです。これを何によって防ぐのでしょうか。
このように外的な世界で共産世界とアラブ圏が合わさり、殴りかかってくるので、今日民主世界は慌てふためくのです。中心がないので、どこに行きますか。
 風に揺られるすすきのようになりました。ここで一つの錨となり、一つの錨の綱になることができるのは、ただ統一教会のほかにはありません。(五〇―二二六)


四.右翼の使命

 右側は右翼であり、すなわち、民主世界です。(七二―一二九)

イエス様が死んで蘇生して再び現れたので、右側の右翼が蘇生できる時になると同時に、左側の左翼が登場するようになりました。この右翼と左翼が、民主世界と共産世界なのです。分かりますか。(はい)。それで筋が通っているのではありませんか。イエス様は父母なので、父母が死んだことを解怨成事することのできる復帰時代になれば、この二組が現れてきてお互いに怨讐であるかのように闘うようになるのです。イエス様は天のための戦いをしながら死んで埋葬されましたが、今は父母が来て、この二つの世界を和解させ、平等な統一を成してこそ地上天国が開くのではなかろうかというのです。


 ですから、植えたままに刈り入れることができる世界的な時が、まさにこの時なのです。それでは、右翼という言葉はどこから出発したのでしょうか。右側の強盗から出発したのです。春に種を蒔いたのですが、どれがカラジ(猫じゃらし)の種であるか分かりますか、分かりませんか。分からないでしょう? 


 それと同じように、植えるのはイエス様時代に植えましたが、結実は秋になって現れるというのです。秋になれば、ただそのまま現れるのです。必然的にこのような歴史的な環境が世界的に現れるのが、三人の息子のような圏、すなわち不孝の息子、娘たちがもう一度天を中心として一つになってこそ、初めて父母がうれしい顔で生活をすることができ、孝子に祝福を分け与えることができるのです。その時が地上天国の理想世界が開かれる時です。分かりますか。


 また、反対していたすべてのことを世界的に蕩減するための時が今なのです。(五七―三三三)


 共産党は神様はいないと言い、民主世界は神様はいると言います。民主世界を右翼と言い、共産世界を左翼と言います。イエス様が死ぬ時に、右側の強盗と左側の強盗が植えたので、主が来られる時になれば刈り入れなければなりません。左側の強盗はイエス様に対して、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれを救ってみよ」(ルカ二三・39)と、どんなに讒訴しましたか。


「神様がどこにいるのか。こうやって死ぬのに、神様の息子であるとは何だ」と。イエス様は何も言いませんでした。その時、右側の強盗は、「お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」(ルカ二三・41)と、とがめました。

 歴史始まって以来、死にいきながらもイエス様の側になった人は右側の強盗のほかにいませんでした。それで、「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ二三・43)という言葉を聞くようになり、天国を開門する先鋒になったということを、皆さんは知らなければなりません。


 このように見る時、共産世界は左翼です。左側です。事実、その名称は早々とイエス様の時から生じたのです。民主世界は右翼です。右側の強盗と同じように、その右側を指導する国がアメリカです。それならば、アメリカは右側の強盗の使命を成さなければなりません。


 共産党が現れて、「神様は死んだ」と言います。それならば、右側の強盗のような民主世界は、神様が厳然と存在することを証して、命をすべて捧げて共産主義と対抗し戦わなければなりません。(六九―一一一)


 右側の強盗の責任を成さなければならない民主世界は、今どこに向かって行っていますか。死んだイエス様の恨みを復活の栄光として迎えることのできるキリスト教はどこへ行っていますか。自由世界は自由世界なりに、キリスト教はキリスト教なりに分立されているのです。反対に、サタンの外的世界は一つに合わさっているのです。(五三―三一八)


 民主世界が滅ぶとしても最後まで神様をつかんで、イエス様のために、来られる主のために死ぬと決心しなければ、この地上に主が来られても、また死ぬようにするのです。時はすべて成りました。今ここに、主が来られてキリスト教を中心として自由世界を一つにし、悪なる共産世界とイスラム教を殺してなくしてしまうのではなく、それらをすべて包摂するのです。
死ぬとき戦って死んだので、再び来ては世界的な平和の宴を成して歓迎を受けてこそ、初めてこの地上に天国が建設されるのです。(五四―一二七)



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ラスベガスを愛された真のお父様


真のお父様のみことば

お金さえあれば何でもできます。それを続ける一つの家も買ってあげることができ、町に道路を整えることもでき、ラスベガスのようなものを世界的に43個つくろうと思っています。園の裏に、町の裏にそのようなものをつくってあげれば、子孫万代に祝福を受けるでしょう。そのような考えをするので、私が悪い考えではなく、自分の後孫を思うので千年万年、発展したとしてもそこには変わらず天が協助するのです。永遠に発展し得る部落になり、神様の保護から離れて地獄の地にはならないというのです。
597-28 2008.09.02


ラスベガスにムーニーの人々を集めて、アメリカ国民を私が教育した以上に熱心に教育するようになれば、瞬く間にアメリカを百個ではなく、千個つくることができる国民を誕生させることができると見ています。悪なる群れたちをより善なる位置に立てれば、何百倍強い国を創建することができるのです。それが召命です。
598-239 2008.09.21


ラスベガスのようなものがアベル国連になれば、43ヶ所さえ3年以内につくれば、世界は一つになるのです。どこにつくるかというのは今回教育が終わってみれば分かります。責任分担の教育が終わった後に、40ヶ国を中心として立てるのです。
599-50 2008.09.24


今現在、天正宮をつくるにおいて、韓国が責任を果たせば、天福宮をつくるのは日本国の責任であり、その次には何かといえば、ラスベガスの天和宮です。天和宮をラスベガスに準備しています。天和宮には殺人者も入って来ることができます。そのような天和宮をつくるのは、アメリカと国連が責任を持たなければならないのです。三大王宮に入って教育を受けて卒業式をしてこそ、天の国の皇族圏となります。
606-267 2009.01.17


私は今年ラスベガスに11回行って来ました。その背後の整備作業をして、天がもう良いという答えをもらって、すべて成しました。
609-267 2009.04.09


私はラスベガスに11回行って来ました。涙なくしてはご飯も食べられず、見ることもできません。このまま行けば数多くの人々がみなどこへ行くというのでしょうか。優れていて、整ったすべての人々が地獄へ行きます。間違いなくそうなるというのです。
その世界がどこへ行くのか?流れて行って地獄の奥底で「私は死ぬ」と言います。恨を中心として天を怨み、死んでいく人々がそこに集まっているという事実を知っているので、天のみ旨を知る人は涙でその世界のために精誠を尽くすようになれば、その生涯が終わる前にその国が、その場所が滅びません。必ず天を中心とした祝福の花が咲く園が生じるというのです。
その時、私が死んでいれば、どのような生涯で死んでいったという歴史的な事実が残っているならば、その碑石であれば碑石、園ならば園、記念の建物をつかんで、私が生きて精誠を尽くした代わりに、相対が歴史時代に必ず成してくれ、解いてくれるために待っています。そのような事実を知っているので、難しくても難しいという考えをせず、夜になれば夜にご飯を食べなくても、忘れて寝ながら彼らのために、今日見たかわいそうな人々を助けてあげられなかったことを祈祷して過ごすのです。そうしてみると11回も行き来していました。
609-333 2009.04.09


「天国を開く門、真の家庭」、この本は本当に貴い本です。これからこの本を中心として生きなければなりません。特別に天が、私がラスベガスでこの本を訓読する日にぴったりと合わせて、これをくださったのです。天は超越的な感情を持っているので、時間世界のすべても合わせるというのです。
612-215 2009.05.26


13章はハワイの環太平洋摂理時代が出てくるでしょう?アメリカと国連の関係に対することをすべて話したその章です。14章は家庭盟誓を解いて話したのです。15章は何ですか?三大主体思想であり、16章は何ですか?総結論です。その総結論の上に、ラスベガスというものが自動的に出てこざるを得ないのです。
613-293 2009.07.12


教育者の行く道は自分の後継者を育てることです。先生もそうです。後継者を育てるために一線に立ってラスベガスに今回13回行って来たところです。何をしに行くのですか?その世界の悪いすべてのキーを私が奪って引っくり返しておかなければなりません。ラスベガスの根を引き抜いて引っくり返すことができなければなりません。理論的体制をもって「こうしなければ滅びます。そうです。」と言うことのできる、実権的実際基盤を造成するのが先生の責任です。見物して賭博するためのものではありません。
614-219 2009.08.11


ラスベガスは滅びるほかない最後の停留場なのですが、そのラスベガスを中心として言論人たちと銀行たちが対峙し得る事務訓練を完璧に終えていることを私は知っています。
ラスベガスを代理し得る産業は言論機関であり、その次に銀行しかないというのです。今の組織は無くならなければなりません。淫乱の巣窟です。
614-234 2009.08.11


昨日の人たちが「いやぁ、ラスベガスに一年で13回も行ったので、文総裁がギャンブルの王なのだな!」と言ったことでしょう。王というならば王でしょう!天的です。これを掃き捨てることができます。ラスベガスに対処することができる機関は言論機関です。情報が速くなければなりません。最高の情報が無ければ奪われてしまいます。
614-280 2009.08.13


人類は行く道が分からないではないですか。どうしますか?ラスベガスをどうやって収拾するというのですか?銃剣で、脅迫でするのですか?いけません。情です、情。「本当ですか?」(「情なのですか」にかけている)と言う時、本当になるその言葉に乗って飛んで行くことができてこそ生きるのです。本当の言葉に乗って飛んで行くので、良い(「鳥に乗る」にかけている)というのです。飛んで行く鳥に乗って喜ぶのです。
615-268 2009.08.31



ですから、アメリカが世界の頂上の指導国家として、力をもつようになった三大秘密的要素が何かといえば、グランドキャニオンとフーバーダム、ラスベガスです。神様が造られた創造物として、グランドキャニオンのような所はほかにありません。その次に、人間の力を通して、神様もできない環境を開発して、すべての国民が・・・。どの民族でも来て暮らせるようにしたのがフーバーダムです。そして、フーバーダムを中心として砂漠の中に一つの都市を造り始めて、世界の国々にすべて自分の実力、工業や世界に誇るすべての実力を全部移して貯蔵しておいた倉庫のような所です。
2008.3.17


今、問題は何かと言えば、グランド・キャニオン、フーバーダム、ラスベガス、その次にロサンゼルス、サタンの武器であるこの四大要塞を、神文明をもって破壊しなければならないということです。悪賢い人たちがここでお金を稼いで世界を滅ぼすというのです。これをぎゅっと占領し、そこで稼いだお金を天の国の福祉基金として使わなければなりません。
 そうすれば、カイン世界で勉強させることができない息子、娘の三分の二以上を教育させることができます。ここで基金をつくって教育費として使うのです。一年に二千万人が飢えて死んでいくのに、民主世界では一人も同情する人がいません。わたしは、その二千万人を、ここでお金を稼いで……。
(中略)
 いやあ! わたしが七年前か十年前に、この賭博所に行くなと禁止令を出したときは、ラスベガスにムスリムのお金は入っていなかったのですが、ムスリムのお金を中心として、新しい世界の……。それはだれが主人になるでしょうか? ムスリムがなるでしょうか、キリスト教がなるでしょうか? 主体と対象です。直線関係です。二点を連結させれば直線であって、一つになる道理がありません。三点を中心として、上下を中心として、このように回っていって結ぶことができるというのです。
(中略)
 ですから、今、世界のどこでも、ドイツでも、フランスに行っても、ヨーロッパのすべての文化的都市やニューヨークを、ラスベガスに植えてあったというのです。いやあ!
 そのような思想的教育の原資材が、原型が生じました。ですから、ラスベガスは、わたしが考えることのできる世界を愛することのできる所です。そして、グランドキャニオンを見れば、(フーバーダムが着工された)一九三一年は、先生が十二歳(数え)のときです。十二歳を超えて未来の準備をするのです。神様が、わたしが育つにおいて、その相対的世界を準備されたので、真の父母が途中で倒れれば、天下を滅ぼすのです。
 真の父母がそれを知ってここまで来たことを、ありがたく思わなければなりません。どうしてそれが分かったのかというのです。座って教えてあげるのではありません。先生が身もだえし、霊界で行かなかった所がないほど訪ね回り、人間世界でやってみなかったことがないほど訪ねてみて、四肢五体が休むことができず、眠ることができなかったというのです。すべてのことを経ていってこそ、いびきをかいて眠ることができます。そうでなければ、眠ることができません。
2008.4.6


それでは、ラスベガスは、どのように生じたのかというのです。グランドキャニオンとフーバーダムとロサンゼルスによって、淫乱の王国になってしまったのです。ここを放っておいて、どのように天国を築くことができますか?ですから、先生がここで勝利の条件を立てるために第一にラスベガスへ行ったのです。
十四年前からラスベガスの賭博場に絶対行ってはならないと厳命を下しました。ウルグアイに行ってみれば、賭博場の中の王の賭博場が私たちのホテルに入っているのです。そこにオモニムを迎えて寝るときにはカジノに行って、一回だけするというのも絶対禁止したのですが、この期間を開門しました、最後に。今は時になったので、私が天の前に条件を立てて、勝利の条件を立てなければならないというのです。
(中略)
グランドキャニオン、フーバーダム、ラスべガス、ロサンゼルスがアメリカ文化の主流的な谷間であり、基本文化なのですが、ここをサタンが所有しているのです。これをすべて占領しなければなりません。
2008.4.12


ロサンゼルスからグランドキャニオン、フーバーダム、ラスべガスの遊興団体を消化できなければ、平和世界が実現されないのです。これを完全に一八〇度違う方向に目的を立て、消化できる道に着手し始めることを今回決意したのです。世界的運動において、神様が背後にいるので可能なのです。
ここで、人さえ自信をもって立ち上がれば、すべてのことをつないでいけます。そのような意味で遊興団体です。劇場から俳優たちを中心として、これをすべて消化できなければ、天国を築けません。淫乱肉体はたちがすべて破壊の行動をして、滅びゆくそれを、どのように解放するかが問題なのですが、その答えは統一教会しかないのです。そこにまで手を付けなければなりません。
(中略)
ラスベガスが淫乱の王土です。フリーセックスの王土、これを消化しなければなりません。ですから、そこに対して先生がロサンゼルスを20年以上、ラスベガスを二十年以上研究しました。その秘密がどのように悪いのかをよく知っている人です。それは嘘ではありません。
(中略)
それをすべて消化し、そこから得られる収益の半分をカイン世界の息子、娘たちを教育する費用として使わなければならず、その次に、飢え死にする人類が二千万人になる、これを助けてあげることができる平和の基地に転換させることで、この地に、地上、天上、解放、釈放世界・・・。神様のみ旨の基盤が成されるのです、アージュ!(アージュ!)
2008.4.28


アメリカでロサンゼルス、その次にグランドキャニオン、フーバーダム、その次にラスベガスを知らなければ、アメリカ文化の盛衰の道をどうですか?滅びる人の後ろには栄える人が付いて回り、栄える人の後ろには滅びる人、二人がカインとアベルとして、このように混乱しているのです。そこでカイン的なものは、正してあげるのです。
(中略)
絶対「性」を主張する看板を付け、淫乱な人は来ることができないようにしなければならず、酒を飲み、酒色雑技する人は来ることができないようにして、聖なるこのような趣味の産業機関を動かすのです。
2008.5.4


先生は生きている限り皆さんに募金運動をさせるつもりです。国連で募金運動をするのです。
(中略)
そのようにして、これから利益が出たその半分は貧しい生活をするカイン世界の息子、娘たちを勉強させるために使わなければならず、残りの半分は避難民のように食べられずに死んでいく約二千万人を助けるために使わなければなりません。
そのために、世界の賭博場、カジノのようなもの、ラスベガスまでも天が引き継ぐのです。主人に銀行の利子以外は返さず、利益金の半分はカイン世界の貧しい人々を教育することに使わなければなりません。自分の才質ある国家試験制度を中心として、超民族、超国家的な面で天才たちを勉強させて、一つの主導的な人材として用いることができる時代が来るのです。二千万人が死んでいくのですが、兄弟たちが二千万人死んでいくのですが、自分のご飯を食べて暮らすために生きるというのが人々ですか?それで私がラスベガスに関心をもつのです。
2008.5.19


アメリカで一番の滅びの本拠地が何かといえば、グランドキャニオンとフーバーダムとラスベガスです。ラスベガスの首根っこをしっかりつかみ、天の機関として使用すれば、平和の王国がそこから花を咲かせ始めるのです。問題の腐敗の本場で、天の摂理の花が咲く王国の基盤が生じるのです。
私は、ラスベガス、ロサンゼルスを二十年間、研究した人です。そこで何が悪いのか、隅々まで知っているのです。それに手を付けるなら、きれいに整理しなければ。知った以上は、整理しなければならないでしょう?
2008.6.11


 『平和訓経』(を制定して)から、わたしが戻ってきて、ハワイ、ラスベガスです。昔は行くなと十四年間厳命したのですが、賭博場の門も開かれました。昔、研究した秘密の場所まですべて探査しながら、そこにくぎを打ち、ナイロンのひもを握って、わたしが巻いて握るということです。米国のロサンゼルス、グランドキャニオン、フーバーダム、ラスベガス、がらくたのような背後の歴史をすべて撤回してしまい、ホモがいない、レズビアンがいない、値打ちのない淫乱行動のない絶対性を中心とする真の家庭の形態を(成すように)、わたしに任せるのです。その代わり、わたしの特権が何でしょうか? アベルUNをつくれば、世界の遊楽施設は、すべてアベルUNに移譲しなさいということです。
 お金を稼いで、得たすべての利益は、一族の退廃(の原因)です。お金がたくさんあるので退廃し、体がウジムシを育てる庭になってしまいます。それを防ぐのです。そのような薬があります。「原理」の薬です。
2008.6.13


 先生は、ラスベガスのような地域にアベルUNをつくり、百四十三か国を中心として、四掛ける四で十六、五つなら四掛ける五で二十、二十か所を中心として、そのようなものを一瞬のうちに一つずつ造ることは問題ないのです。それを造って、そこから出てくるもので、根と骨が太くなるというのです。それが太くなれば、肉が大きくなり、枝も大きくなり、葉も増え、すべてそのようになります。肥料を、育つ実を……。実ができるまでは助けてあげてはいけません。実ができれば、これで助けてあげるのです。そのようなことを、わたしたちができなければならないというのです。
2008.9.1




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クリスマスとイエス様と氏族的メシヤ


19日から一週間ほど中部関東方面を回ってきました。最後の日はクリスマスです。

クリスチャンのみならず、一般の多くの人々がこの日を祝いますが、神様の立場からこの日を考え、行動された方は殆どいません。真のお父様が生涯をかけて闘ってこられたのはイエス様の路程を蕩減する道であり、それを完全に解放するための路程であったと思います。

それで真のお父様の路程を相続するためにあるのが、家庭教会・氏族的メシヤとしての歩みでありますので、それを強く意識し限界を超えなければと思います。なぜならその路程を勝利し完成すべき任務を授かっている者であるからです。

その限界の壁を越える方法をどうすればいいか。それを悩みます。
とにかく、ユダヤ教の蕩減をキリスト教がしたように、家庭連合の失敗をサンクチュアリで取り戻さなくてなりません。そのためには真のお父様が語られたみことばを相続し、体恤することだと考えます。


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真のお父様のみことば 「霊界肉界統一式宣布」1982.3.28

皆さんが統一教会に入教以来、多くの歳月をかけて歩んできた第三次七年路程がなんであり、今がどのような時かを話したいと思います。人間が堕落したために、私たちは蕩減復帰の道を行かなければなりません。アダムの失敗、イエス様の成し得なかったこと、父母たちの失敗のすべてを探し出して、再び、その道を歩みながら蕩減復帰しなければ許しを受ける道が生まれてこないのです。

 アダムとエバが堕落した原因が何かといいますと、第一に絶対的信仰が無かったことです。そして第二は絶対的理想的愛をもてなかったことなのです。アダムとエバは理想的な愛についての絶対的観念を失ってしまったのです。理想的愛とは、自分を信じることでも、愛することでもありません。それは神を信じ、神を愛することなのです。ゆえに最初の先祖を蕩減復帰するためには、絶対的信仰をもたなければならないのです。そして次に絶対的愛をもたなければならないのです。

 二番目の先祖はイエス様です。イエス様も同じように絶対的愛をもつことができなかったのです。弟子たちが本当にイエス様を愛していたとするならば、イエス様一人を死の場に追いやることはできないはずです。弟子たちが一体となって共に進んだならば、イエス様が独りになるはずがありません。たとえ自分たちが死んだとしても捨てられるものではないのです。弟子たちの不信によってイエス様はユダヤ教を失ってしまったのです。

 統一教会は第三次のものとして現れたので、これらのすべてのものを蕩減しなければならないのです。ですから、第一次、第二次と同じように絶対信仰によって、ユダヤ教の代わりのキリスト教と、ローマの代わりのアメリカを蕩減復帰しなければならないのです。ところが、そのキリスト教が今、統一教会に反対しているのです。まさにイエス様が行かれたと同じように反対してきているのです。この道は(イエス様の蕩減路程として)通らなければならない道なのです。

 先生がこのようなみ旨をもって現れたとき、韓国のキリスト教が全部反対しました。そのためにキリスト教が築き上げたものすべてが北韓の出現により奪われてしまったのです。

 イエス様のとき、キリスト教はユダヤ教の怨讐であるローマまで行ったように、今日の私たちと北韓をはじめとする共産世界と闘って蕩減しなくてはならないのです。そのために先生は北に行き、二年八カ月の間、獄中生活をしたのです。これはイエス様の公生涯に相当する歩みでした。そこで何をしなければならなかったといいますと、イエス様が獄中(十字架の道)に行くとき背いていった十二弟子の数を取りもどさなければならなかったのです。ですから反対されても、獄中で負けるわけにはいかないのです。獄中で十二弟子を中心にしたキリスト教文化圏を取りもどすことができる基盤を築いてこそ、南に下りて来ることができるのです。

 共産圏内の監獄で先生はどのようにして十二弟子を伝道することができたでしょうか。それは霊界でみな伝道して先生の周囲に従うようにさせたのです。このようにして、十二弟子を立てることなしには、キリスト教世界において戦いを展開することができないのです。

 キリスト教の歴史は、十二弟子の数を地上で失った上に立てられた歴史(霊的基盤の上に立った歴史)ですが、統一教会の歴史は獄中で支持された基盤の上に立った歴史(霊肉実体の基盤の上に立った歴史)をもっているのです。この点が今までのキリスト教と違うのです。このようにして、霊界、地上界の誰がみても、統一教会がすでにあるキリスト教よりも勝れているという基盤をもってから出発しなければならないのです。このようにして出発し、南に来た先生と十二弟子に対して、南韓のキリスト教が対立したのです。すなわち、キリスト教と統一教会が戦ったのです。サタンはこのようにして妨害したのです。

 先生とキリスト教との戦いの場は、イエス様とユダヤ教がぶつかり合う場なのです。イエス様とユダヤ教がぶつかり合う場で、イエス様は死んでいかれましたが、先生はこの場で、いかなることがあっても死なずに獄中での闘いに勝利しなければならないのです。

 次に、キリスト教は国家的背景をもって、先生と弟子たちを投獄したのです。当時の韓国は米国と結ばれていて、それはちょうどイエス様当時のイスラエルとローマのようでした。もし先生が韓国において勝利すれば米国に行くようになっていました。

 先生は米国に来てからも苦労するだけ苦労してきました。そして今でも国と対決しなければならない難関を通っているのです。霊界を中心とした三年六カ月におよぶアメリカの戦いを一九七六年九月一八日(ワシントン大会)をもって終了しました。先生はいつも何が真理であるかを真正面からアメリカの大統領自身に語ってきました。そして、それ以後、アメリカ政府の情勢は、ひっくり返るようになるのです。四十代目の大統領は神が支持することのできる大統領でなければならなかったので先生は総力をあげて支持してきたのです。

 先生は北韓で獄中生活を出発して、南韓に入ってからの獄中生活も含めてキリスト教圏内を中心に死ぬほどの苦労を重ねてきました。一九四八年二月二二日から一九八二年二月二二日まで、満三十三年の歳月が流れていきました。この三十三年間はイエス様の三十三年の生涯に合うようになっていて、これを蕩減することにより、霊的基盤と肉的基盤を連結することができるのです。このようにして霊肉の蕩減基準を連結したポイントが国家的基準を越えて世界的基準にまでならなければならないのです。この世界的基準で連結した日が一九八二年二月二二日なのです。そしてイエス様の三十四歳の圏内に入るこの日はイエス様が死なずに生きて出発する復活圏に入っていく時となるのです。

 この日を迎えて今までの歴史的蕩減はすべて終わりつつあるので迫害はもう幾らも残っていないのです。先生が今まで成してきたことは第一にユダヤ人ができなかったことであり、第二にキリスト教徒ができなかったことであり、第三に共産党ができなかったことであり、第四にはアメリカができなかったことなのです。そのすべてを先生は蕩減復帰してきたのです。

 こうした勝利圏(二月二二日)に入った結果、天は先生の側に立っているのです。このような勝利の基準にまで上ったことにより迫害時代が過ぎ去り、この線(図-3)に入っていくので、この時から自動的な勝利時代がくるという論理が成立するのです。なんの話かわかりますか。この線以上の基準は本然の原理的基準となるので神を中心としてアダムとエバと天使長がいつも一緒に留まることができるのです。それまでは(図-3の下)それぞれが分かれたままになっているのです。そして、たとえ一つの所に留まりたいと思っても留まれる保証をもつことができないのです。この線を越えればサタンの讒訴を完全に抜け出るために本来の世界に入っていくのです。

 先生は歴史上初めてこの基準を越えることができたのです。このことによって分離していた神とアダムが完全に一つになったのです。そして全霊界がこの全霊界がこの横線上に総再臨して定着することができるようになったのです。今までは協助してはまた離れていかなければなりませんでしたが、これからは定着することができるのです。そのような時代が、そのような時代が、この日から始まったのです。その日が、霊(界)肉(界)統一式宣布という記念すべき日なのです。

 ここで縦の線は霊(界)的なものを表し、横の線は肉(界)的なものを表します。(図-3)この二つの線が中心にある真の父母に結合されるのです。
 今後、三十四年目から四十年目にかけての七年間に、すべてのことをみな終わらせなければならないのです。そのときになれば、統一教会に反対する人を探そうと思っても探しだせないでしょう。私たちはこの間に共産世界までも越えていかなければならないのです。

 これからの民主世界はキリスト教が再復興し、道徳や倫理の再建設運動が起こるようになるでしょう。皆さんは知らないと思いますが、それを可能にするために先生は今まで万端の準備を整えてきたのです。このような歴史的時代に統一教会員が心情的に一つになることのできる良い機会が、今アメリカにおける問題です。ここにおいて、すべての統一教会員が一つの心情、一つの目的に一致しなければならないのです。そうなれば先生が獲得した勝利は子女としてのすべての統一教会員に与えられるでしょう。


 先生は今までに個人蕩減、家庭蕩減、氏族蕩減、民族蕩減、世界蕩減、天宙蕩減をなして、すべての基盤を築きました。そしてこれらのすべてのものを皆さんに完全に相続させてあげようとしています。皆さんがイエス様の死を蕩減した立場に立てばこれらのすべてを相続することができるのです。それがホーム・チャーチなのです。

 ホーム・チャーチ基盤を中心としてカイン・アベルの氏族を連結させる運動をすることによって(それに勝利すれば)すべてのものを相続することができるのです。ホーム・チャーチを完成させれば霊界も境界線なしに自由に、通じることができるのです。

 ホームチャーチ運動は氏族復帰運動です。イエス様が、ヨセフの家庭とザカリヤの家庭が一つになれなかったために死んだので、このことに対する蕩減が残されているのです。イエス様は、氏族基盤の上に家庭をもつことができなかったのです。皆さんも家庭をもとうと思えば氏族基盤がなければならないのです。ホーム・チャーチをすることによって皆さんの家庭が氏族の中心に位置するようになれば、家庭が守られるのです。ホーム・チャーチ運動を通してヨセフの家庭とザカリヤの家庭を蕩減復帰し、家庭の安全圏に立つことによってイエスの十字架を蕩減するのです。このために皆さんは家庭をもったならばホーム・チャーチに住むのです。

 皆さんはホーム・チャーチがどれほど重要であるかを知らなくてはなりません。ホーム・チャーチだけ完成すれば自動的に国家、世界がつながってくるのです。私たちは一つの国家、一つの世界を夢みてきましたが、それが実現されるでしょう。先生が世界的勝利圏を成したので先生の名によって国境を越えて、それが共産圏であろうと、どこでもホーム・チャーチをつくることができるのです。そして国境を超越して生活することができるのです。そのようにしても、もはや、霊的には讒訴されないのです。

 このような世界史的時代にふさわしい私たちのホーム・チャーチ運動は、いかなる愛国運動よりも、いかなる忠臣たちの運動よりも熾烈でなければなりません。それが私たちの行く道なのです。ホーム・チャーチがどのような国であったとしても、たとえソ連であっても、世界中のすべての人々がそこを通って自由に往来することができるのです。ホーム・チャーチはこのように世界を連結できる基地となるのです。霊界にも世界にも通じることができるのです。このホーム・チャーチの組織的内容を背負っている人は本然の人間としての資格をもっているために、本然の世界を霊界までも含めて自由に往来することができるのです。

そして先生が今まで蕩減してきたすべてのものを引き継ぐことのできる恵沢が与えられるのです。そして世界的蕩減条件を勝利した立場に立つために、誰からも何も言われることなく先生が行く所へはどこへでも行くことができるのです。アメリカ人が英国のホーム・チャーチに行こうとすれば英国の国家次元の蕩減を通じなければ行くことができないのです。しかし先生の世界的蕩減条件に連結されることによって、どこへでも行くことができるのです。しばらくすれば、私たちはビザなしで世界のどの国でも通過することができるようになるでしょう。(拍手)。これが一九八二年二月二二日を中心にした、今日の新しい歴史的な展望です。

 統一教徒が待望してきた勝利を讃える時が目前に迫ってきているということを知り、総団結して先生と一つとなって、今日のホーム・チャーチ運動に前進しようではありませんか。(アーメン)。
 今から統一教徒は夜明けの太陽のように現れてくるのです。今まで光を妨げていた雲が流れ去り、輝く太陽となった全世界の前に登場するようになるのです。それが先生の願いであり、統一教会の願いであり、霊界の願いであり、すべての人類の願いであったのです。

 統一教会の信徒は、ただこの一日を見つめるために多くの苦難を通過してきました。その日は、すぐそこまできています。私たちは父母と一体となってホーム・チャーチに集中しなければなりません。もうすぐ私たちは太陽が昇るのを目撃します。皆さんはその太陽をどこで見たいと思いますか。高い山においですか、そうではありません。ホーム・チャーチのエリヤで私たちは太陽が昇るのを見るでしょう。


みことば「霊界肉界統一式宣布」1982.3.28




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僕の王様になることは神様に通じる


雨の東京に来ています。宿を探しながら、さまよっているとビルの下でひっそりと野宿している方々がいます。ふとその人たちの方が神様に近いのではないかと。



真のお父様のみことば 「故郷に帰りましょう」1978.9.22

ですから僕の道をいくのです。朝早く出かけて、夜遅く帰ってくるような、女中の中の女中になれというのです。僕の王様になれというのです。それが神様に通ずるのです。素晴らしいことですね。

神様になれと言われればむずかしいのですが、僕の王様になれば、神様の立場に通じるのです。汗し、涙して、不平を言ってはいけません。希望をもって、黙々として、三年路程を通過していけば、先生の言うとおりにやれば、必ず勝利できます。それは、みんなを占領します。実に素晴らしいことです。三六〇軒を訪問しても、最初は「統一教会、この野郎!」とつばをかけられたり、いろいろあるでしょう。でも黙々とやるのです。

一つの峠を越えたら、また蕩減の峠がむかえにきます。待つのです。個人が青年が反対し、町内会長が反対し、市長が反対し、全体が反対します。そのためには、祈りとともに霊的サタンを屈服させるのです。そうすれば必ず実体的にも屈服してきます。そういう現象が必ずおこってきます。そうしてあなたたちにどういうことがおこってくるか、ということをみんな教えてくれるようになります。

そうでなければ、あなたたちは霊界を開拓する道を発見することは絶対できません。そこに感謝しえる自分にならなければ、神様がいます、という体恤は絶対にできません。その蕩減条件の絶頂に達すれば、良くやった、と必ず賞賛を授けます。


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東京新宿は雨でした



「僕の王様になれば、神様の立場に通じるのです」というみことばから何のための伝道であるのかを改めて教えられています。

ややもすれば自分の中にみことばを伝えないといけない、韓オモニの不信や家庭連合の間違いを伝えないといけないという思いがでてきます。しかし伝道の目的は神様の立場に立たない限り果たすことはできませんし、相手は自然に屈服することはできません。

どれだけ僕の王様となっているかという観点から、周りを見てみるとそうなっていない自分の姿が多くあります。地域の人々に対してそうすることができているか、今までの友人たちに対してそうなっているのか、氏族に対してはどうか、聖殿シックに対してどうなのかと反省するばかりです。

「僕の王様になれ」と1978年の9月、神川村で真のお父様から直接伺っている自分でありながらも・・・。

その気持ちを持って、1月25日までの期間を集中したいと思います。


みことば「故郷に帰りましょう」1978.9.22






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