文在寅と文喜相はなぜ


従北、親中、反米、反日の文在寅が大統領になった背景、また日本の天皇陛下に謝罪要求をする左派の文喜相国会議長がまた、なぜ文氏であるのかという理由を真のお父様のみことばから新たに理解しました。


 真のお父様のみことば 1971年12月27日 ワシントン
先生が北韓を離れた時は、1950年の冬でした。そして、1951年に南海岸にある釜山まで下ってきました。その時から、先生が勝利した1960年までの10年間、激しい迫害を受けました。1960年以降も、私たちは迫害を受けてきましたが、私たちの摂理は徐々に成長することができたのです。

 復帰摂理は、カインとアベルの間の闘いです。そのため、摂理ではいつも文氏がカイン側で現れます。いつも先生を迫害する人は文氏です。家庭的レベルにおいても、国家的レベルにおいても、文氏が反対しました。統一教会を政府に登録しようとした時、文教部が登録を取り扱っていたのですが、当時文教部長官であった文氏が、私たちの申請を拒否したのです。

 私たちはこれと闘わなければなりませんでしたが、一週間後にはその結果が覆されました。拒否された申請が覆されるまでのその一週間は70年、700年、さらには7000年に該当するのです。
 その時、登録されていなかったら、私たちはいかなる宗教的運動もできなかったでしょう。統一教会は1963年5月31日、政府に登録されたのです。


統一教会の具体的な宗教的活動の出発は文氏の反対、迫害を克服してから始まりました。
そして、49年後の2012年、真のお父様に対する家庭連合の不信と堕落によって、本来神様の祖国となるべき国がサタンに主管された両文氏によって、統治される結果となり、選民離脱国家滅亡の方向となっています。

ところが、
天の摂理の趨勢はアメリカにあり、真のアベルカインを勝利されておられる文亨進二代王様と文国進様によって、真の父母様、三代王権を中心とする天の摂理は着実に天一国創建へと前進しています。



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興南路程の目的と真のお父様の勝利と二代王様


2000年のキリスト教歴史は再臨のメシヤを待ち望んできました。1945年の解放の時を迎えて神様の摂理はその最高のチャンスを迎えていましたが、結果として再臨のメシヤは生きて十字架の道をいかれました。それが興南の収容所の2年8ヶ月の路程となりました。


真のお父様のみことば  1971年12月27日
1948年2月22日、初めて先生は平壌にある刑務所に投獄されました。その後先生は、彼のいる監房へ収監されたので、彼に会うことができたのです。先生が四月に公開裁判に回された後、その監房に収監された時、彼はその監房の監房長でした。もし、彼がそのようなことを口外しようとしたならば、そのように導かれることはなかったでしょう。しかし、彼は先生に会っても先生が、自分が幻で見た人であるとは思いませんでした。先生がその監房に入っても、彼は先生に気が付かず、それで彼はまた幻を見るようになったのです。

 白髪の老人がまた彼の前に現れました。その老人は「私が君にその人を会わせてあげる」と言って、彼を宮殿へ連れていきました。その宮殿へ入るために、彼は門を通らなければなりませんでした。そこにはたくさんの階段がありましたが、三段上がっては、敬拝をしなければなりませんでした。これを繰り返しながら、彼は玉座の所まで上ってきました。そこは、あまりにも眩しい光景だったので、頭を上げることができませんでした。

 そこでは大きな集会、つまり会議が開かれていましたが、玉座に座っている人が彼に頭を上げるように言いました。そのかたの隣には多くの人がいました。彼は一番末席に座り、頭を上げられませんでした。その時、その白髪の老人が彼に、大きく敬拝をしなさいと言ったので、彼はそうしました。そして、老人に頭を上げるように言われ、頭を上げて玉座に座っている人を見ると、それは先生の顔でした。それで、その次の日から彼は先生に従ったのです。詳しい話をしようとしたら、何日もかかるでしょう。

 そのような、霊界からの教えによって、先生は多くの人を集めることができました。ペテロがイエス様を三回否定しましたが、彼らも先生を三回否定しました。毎回天が、幻や夢などさまざまな方法で教えて、彼らを従わせるように役事されました。

 そのように先生は、刑務所での二年八か月、イエス様の公生涯に当たる期間を送り、12人を神側に復帰することができました。そのように12人を復帰することで、イエス様が失ってしまったすべての条件を復帰することができたのです。たとえ、その人たちが先生に従おうとしなかったとしても、先生は釈放された時、彼らの位置に、他の人を立てることができたのです。

 先生は、自分のやるべきすべてのことを完遂したので、天使長国家(米国)をはじめとする国連軍が北韓を攻撃して、先生を解放しました。それで刑務所を出てきましたが、四人の人が先生に従いました。国連軍が南韓を解放したその条件で、天の運勢が再び民主世界へ戻ってきて、再びキリスト教を復帰するための役事を始めることができたのです。



今現在、亨進二代王様が真のお父様の勝利圏の中でキリスト教復帰の戦いをアメリカで、最前線で実践されておられます。興南解放の精神をもって、自由のために先頭に立って闘っておられます。その心情を相続し、あとに続くものとなっていかねばと思います。


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精誠の革命を捧げるとき



二代王様は10月14日を重要視されて、鉄の杖祝祭を挙行されました。ご存知のように10月14日は真のお父様の以北出監記念の日です。興南強制労働収容所からの解放の日です。その日を中心として革命を起こされています。私たちもまた二代王様を中心とした神の王国の精誠の革命を起こさねばと思います。

それで、真のお父様が興南強制労働収容所に行かれれるようになった背景を明確に知って、教訓化することが必要と考えます。家庭連合(旧統一教会)が摂理からはずれ、失敗したのは神様が準備された背景を忘れ、真のお父様が通過された心情を理解しなかったからといえます。




真のお父様のみことば  1971年12月27日 ワシントン
 東海岸地方で起きた霊的な運動には、また他の後継者がいました。その名前は李龍道氏であり、彼は牧師でした。彼は人々に多くの聖霊の火をつけたのです。そのようなことをなすことによって、天は霊的な働き手を一つにまとめようとされたのです。

 霊的な運動も二種類の形態に分かれました。すなわち、一つは内的であり、もう一つは外的なものでした。李牧師を中心として、「新イエス教会」が始まりました。その時、これら二つの教会、すなわち「腹中教」と「新イエス教会」を統一しなさいという天からの教えがあったのです。

 それで西側の集団が一つになるために、東側の集団がある所へ行ったのですが、東側の集団は彼らを受け入れてくれなかったのです。そのため、これら二つの集団の統一が失敗することにより、神様は一つの新しい運動、新しい分野の開拓者を必要とされたのです。

 それで神様は、ご自身の指示を受け入れることのできる、また別の一人の人物を得ることを願われたのでした。それは金(百文)氏でした。その後李牧師は亡くなり、彼の霊が金氏の所に来て、霊的に自分の使命を引き継がせたのです。この金氏から新しい集団が生まれたのです。

 それを成長過程の観点から見れば、初めの路程は蘇生段階であり、李(龍道)氏は長成段階、そして金(百文)氏は完成段階であったのです。すなわち、李牧師は長成の位置にあったのであり、それは、イエス様と同じ位置でした。彼は1933年に33歳(数え年)で亡くなりました。韓国の解放は1945年にありました。その間に12年があったのです。

 このことによって皆さんは、天が主の為の道を準備されることを、どれほど願われたかということを知ることができます。神様は日本人の圧制に耐え抜くようにと、そのように早くから始められたのです。このような環境の中で、先生は自分の道を準備し始めたのです。

 許婦人を中心とした、その西側の集団は、解放後に再臨主を待っていました。彼らは、来られる主は、新婦がいなければならず、そのかたは家庭を成すために来られるのだということを知っていました。それで彼らは、すべてのものを準備したのです。新婦と家庭を成立させることのできる環境を準備して、12弟子と70門徒を選んだのです。彼らは平壌で一番よい家を買いました。よい家を買って主の為に準備をしたのです。その当時、先生は南韓にいたのです。

 復帰摂理から見る時、自分をヤハウェ(エホバ)の妻として宣言する一人の女性がいなければなりません。この女性を探さずしては、摂理を成就することができません。それで先生は南韓で、そのような一人の女性を探すためにあらゆる宗教団体と、有名な牧師たちを訪問しました。そして解放後、三か月たった1945年10月に金(百文)氏に会ったのです。先生は、彼に大きな使命があるということが分かったので、彼に会ったのです。

 その当時、彼はプロテスタントの修道院を一つ持っていました。彼は、天から一つの修道院(イスラエル)を所有しなさいというみ言を天から聞いたのです。それで先生は、その集団を探しに行って、彼に会い、彼と共に六か月の間そこにとどまったのです。

 その期間、神様はさまざまな方法で役事されました。そこには、金氏に従った多くの女性がいました。先生がそこに行くまでは、彼女たちは金氏に従えという啓示を受けていました。ところが、先生がそこに行った後に、彼女たちは金氏ではなく、先生に従いなさいという啓示を受けたのです。その当時、先生はまだ原理を語りませんでした。イエス様が洗礼ヨハネから祝福を受けたように、先生は金氏からすべてのことを相続するように予定されていたのです。

 六か月後、金氏は天から啓示を受けて、彼は先生の頭に自分の手を置いて、全世界のソロモン王の栄光が先生に臨むように祝福したのです。しかし、その当時、先生は話をしませんでした。先生は僕のようなことをしていたのです。自ら、座った場所を清掃するなど、あらゆることをみなしました。先生は一番下の位置にいたのです。先生が金氏に会ったのは、大きな意味を持っていました。

 先生はその当時、とても熱心に祈祷しました。もし、金氏が天から先生にそのような祝福をしてあげなさいと聞いたならば、彼は先生のすべてのことを理解するために、先生に質問をしなければならなかったのです。それが彼の五パーセントの責任分担だったのです。

 ところが、その時、以前彼に従っていた篤実な追従者たちが、先生に従ったのです。彼もそれを知って、それをよく思いませんでした。とにかく先生は、彼から祝福を受けて、彼が持っていたものを相続したのです。

 先生が金氏から祝福を受けた後に、先生はアンナ(新約聖書に出てくる、メシヤを待望した預言者)のような一人の年老いた女性を探さなければなりませんでした。その女性は、自分自身をヤハウェ(エホバ)の妻であると主張する女性でなければなりませんでした。その当時、南韓と北韓の間を往来する人たちはたくさんいたのですが、先生は北韓に自分がヤハウェ(エホバ)の妻であると主張する一人の女性がいるということを突き止めました。

 しかし、蕩減復帰の原理に従って、先生を待って準備しているその集団に、先生は会いにいくことができませんでした。イエス様が亡くなられた理由は、彼がその新婦を持つことができなかったためです。イエス様を迎える新婦が準備されなかったためだったのです。それが、彼の死の原因だったのです。

 それゆえに再臨主が来られる時、その準備された集団は新婦の位置で準備したものを持って、彼らが訪ねていかなければならないのです。もし、その準備された集団の指導者であった女性(許婦人)が、主がおられる所を知るために神様に祈祷したならば、神様が彼女にその場所を教えてあげたことでしょう。天は彼女にその場所を教えてあげることができたのです。それで先生は、彼らが来る時まで待っていたのであり、先生から彼らがいる所へ行くことはできなかったのです。

 その間に、先生はアンナのような女性に出会うようになりました。その女性は、時には天の側で働き、時には中間の立場で働くという、両面の業をなしていました。しかし、サタン側ではありませんでした。

 年を取った多くの女性に会った後、先生は許婦人に人を送り、先生の集団がどのようなものであるかを祈祷してみなさいと言いました。しかし、その時、許婦人は一つの大きな徴候を期待したのであって、一人の若い男性には期待すらしなかったのです。先生は、特別な人ではなく、普通の人を送ったのです。その人に会った彼女は、彼が大きな使命を帯びているということを悟ることができませんでした。それで彼女は、彼を送り返したのです。

 その後先生は、一人の若い女性をその集団に送りましたが、その集団から何も反応はありませんでした。その時、許婦人は、彼女の集団の幹部たちが一つの場所に集まった時、また別の啓示を受けました。それは、春香が監獄で彼女の夫に出会ったように、彼らが主に出会うだろうというものでした。彼女は「おまえは、春香が監獄で彼女の夫に出会ったように、主にお会いするだろう」というみ言を聞いたのです。

 その当時、北韓は共産主義者たちによって占領されていました。そして共産主義者たちは、この集団が人々からたくさんの寄付金を集めて、よい服をつくり、よい家を買ったということを突き止めました。それで彼らは、この集団を宗教的詐欺集団として告発しました。彼らは、すべての幹部たちを監獄に放り込んだのです。そしてさらに、先生もその集団と関連していると告発されたのです。実際に、先生はいかなる関連もなかったのですが、同じように告発され、収監されたのです。

 先生が収監されたその部屋には、許婦人のもとでその集団を率いていた一人の男性がいました。その人が先生と同じ部屋にいたのです。その日は1946年8月11日でした。その集団の幹部たちは、共産主義者たちによって、とても過酷な拷問を受けました。共産主義者たちは、許婦人に、「もしあなたが啓示を受ける時に、お腹が痙攣を起こすということを否定するならば、解放されるだろう」と言いました。

 当時の金日成は宗教を迫害し、すべての宗教を抹殺させようとしました。そして、許婦人の弟が激しい拷問によって亡くなりました。さらに、許婦人も同じく激しい拷問を受けて、彼女の服はほとんど破れてしまいました。
 さらに、先生も共産主義者たちによって拷問を受けました。そして、11月21日に釈放されました。その時先生は、血をあまりにも流したのでほとんど死んだ状態でした。それで先生に従っていた人たちは、先生が死にそうだと思ったのです。しかし、先生が再び生き返ったことは、一つの奇跡であったのです。

 先生が、許婦人に次ぐ立場の人の部屋に入っていった時は夜の11時でした。その日の夜、その人は、先生に関する一つの啓示を受けました。先生がその部屋に入っていった時、彼らは眠っていました。先生には以前、そのような経験があり、それでそのような環境にとても慣れていたのです。先生は便所の隣で眠ったのです。

 その部屋の中には、多くの囚人たちがいました。翌日の朝、監房長(許婦人の集団の指導者)が言いました。その部屋の規則は、一番遅く入ってきた者が、一番悪い(よくない)場所で寝るということです。しかし、その監房長は、立ち上がって他の人たちに、この新しく来られたかたは特別なかたであるので、自分の隣に座るようにしてくれと言ったのです。

 先生がその人の隣に座った時、彼は先生に敬拝をしました。先生がなぜ敬拝をするのかと尋ねると、彼は昨晩、一つの啓示を受けたと答えたのです。彼は啓示で先生に敬拝をする許婦人を見て、彼女が「今、私がお会いしたかったその人に出会った」と言ったので、先生の顔を見ると、先生がその人であったというのです。

 それで、その日の朝先生は、彼に「私はあなたが体験してきたすべてのことを理解できるので、私にあなたが体験したすべてのことを話しなさい」と言いました。それで彼は、彼の集団で起きたすべてのことを話し始めました。先生は、すべての復帰の原理をすべて理解できましたが、その人たちには分からなかったのです。

 しかし、彼らがそれほどまでに準備してきたために、先生は彼らが、どれほど苦労したかを理解することができました。さらに先生は、共産主義者たちが、もし彼らが天から啓示を受けたことを否認したならば、彼らを釈放するであろうということを知りました。それで先生は彼に「もしあなたが共産主義者たちの前で、あなたが経験してきたすべての事実を否認しさえすれば、私がすべての責任を持つ」と言ったのです。

 さらに、先生は彼に「もし、許婦人がうそを言って、彼女が体験したことをすべて否認すれば、一人の若者がすべての責任を持つということを許婦人に伝えなさい」と話したのです。先生はその言葉を許婦人に伝達するように彼に頼みました。昼食の時間に、食事が配給された時、その若者は許婦人に話をしました。それで彼は、先生が話したすべてのことを彼女に話したのです。
 許婦人は、春香が監獄で彼女の夫に出会ったように、彼女が主にお会いするであろうということを、天から啓示を受けたのだと言いました。彼女が言うには、「私は誰も見なかった。だから私はあなたの言葉に従うことができない」と言ったのです。しかし、その監房長は、否認したがゆえに釈放されました。

 その人が釈放された後に、許婦人の夫が先生の部屋に来ました。先生は彼女の夫にも、その若者に話したことと同じ内容の話をしました。しかし彼女の夫は、自分の妻に従うと言い、先生の言葉を受け入れようとはしなかったのです。
 最後に先生は一通の手紙を書きました。手紙を書けば、別の効果があるだろうと考えたからです。それは9月18日の朝でした。先生は、食事の時にご飯を配達する人に、その手紙を許婦人に渡してくれるように頼みました。

 彼女はその手紙を読んで、破ってしまおうとしたのですが、共産党の監視員に見つかってしまったのです。それは、その手紙を渡してくれた人が、看守に知らせたためでした。先生は「この紙切れに書いた人は天の使命を持った人である。あなたは祈祷してそれがどんな人なのかを知らなければならない。もし、あなたが啓示を受けたすべてのことを否認すれば、あなたは釈放されるであろう」と書いたのです。

 その紙切れは看守に発覚してしまいました。それで先生は拷問を受けたのです。それは1946年9月18日、午後2時のことでした。その時、先生は南韓にいる米軍のスパイとして告発され、ソ連の調査官によって尋問を受けたのですが、無罪だということが判明したのです。そして、11月21日の午後に解放されました。先生が詳しいことを話そうとすれば、もっと時間が必要です。許婦人と彼女の追従者たちは、否認しませんでした。そのため、1950年に韓国動乱が起きた時、彼らはすべて虐殺されたのです。

 その集団の失敗ゆえに、先生は別の人々を探さなければなりませんでした。先生は、条件的な数を求めることのできる時まで、そこで歩まなければならなかったのです。監獄から釈放された後に、先生は他の集団と関係を結び、その人たちを導きました。先生が教会運動をするや否や、食口の数が増加したのです。

 しかしその当時、北韓の政府の政策は、すべての宗教を抹殺しようとするものでした。そして既成教会の牧師たちは、彼らの教会の多くの信徒たちが先生の所に来たために、先生を告発したのです。それで先生は、三度目の投獄となったのです。その日は1948年2月22日でした。




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ペンシルベニアでの出会い



10月の訪米で私自身にとって、とても重要な出会いがありました。

10月12日鉄の杖フェスティバルの会場に到着して、会場付近を歩き回っていたとき、私の正面に立ち止まり、話しかけてきた婦人がいました。
一瞬、どなたなのかわからずキョトンとしていると、35年前のころ共にみ旨を歩んだ方でした。相当、昔のことでしたので、顔もお互い変わっていますが、ブログを見ていたということで私のことを知っていたようでした。
私も当時の面影が残っている彼女の姿をだんだんと思い返し、懐かしさがこみ上げてきました。

その婦人は今イギリスに在住しておられ、そこから来られていました。サンクチュアリに来ていて、それも外国におられ、35年ぶりに再会できたことはまさしく神様の導きでしかありません。

35年前、
私は静岡県富士市にいました。そこで教会とは別の万物復帰を中心とする組織体制の中にいて、家庭を出発して間もないときでしたので鮮明に記憶しています。
30名ぐらいの青年を中心とする共同生活をする組織体制の中で、毎日万物復帰の営業活動をしていました。私はそれまでの10年間は勝共活動に専念していましたので、経済活動の経験はなく、責任者として立てられたもののどうすればいいのか迷っていました。

それで祈って考えたことは、「原理講義をしよう」ということでそれを始めました。
毎朝、6時から一時間ほど原理講義をするようにしました。原理講義を毎朝することを通して、みんなが段々を復活してきます。神様を中心とする心情から兄弟姉妹が連結するようになり、ゲストを愛する心情が湧いてきて、外的な実績も向上してきました。

そして、もう一つは「祈祷会をする」ということでした。
みんなとともに深夜、富士市の海岸まで行って、海に向かって大声で祈祷会を毎日やっていました。そこで感じていたことは、自分の反省と悔い改めでした。ちょうど興進様が昇華された時でしたので、真のお父様の心情と興進様の心情を霊的にビンビン感じて、いつも涙の祈祷会を行っていました。当然ながら兄弟姉妹は心情的に一体となっていました。

みことばと祈祷を通して、神様がともにいて下さることを知っています。それを実体として体験したことがあるということを今回改めて思い返しました。
時間がいかに経過しようと神様を中心とした心情は忘れることはできず、減ることもありません。自分の小さな信仰路程の中でも、神様は忘れることなく、導いてくださっておられたことを思わされました。
そしてこの人類の復帰摂理の背後で今も変わりなく、導いておられる神様の心情はいかばかりかと、サンクチュアリの使命の重大さを痛感しました。

35年前の富士のとき、少しだけ努力すれば、神様がともにいて働いてくださるということを経験している自分ではないかと、再会した婦人を通して再度確認できたことは今回の訪米ツアーに参加した大きな出来事でした。

ペンシルベニアで婦人に出会ったことを通して、神様に再会できたと感じました。



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防御と創建キャンペーンに向かう心情



サンクチュアリブログ村の「ペンシルベニアへの道」様の中の「防御と創建キャンペーンの現状」の記事を読んで、心を打たれていました。

10月に訪米して鉄の杖フェスティバルに参加した時に、気にかかることがありました。それは真のお父様と康真のお母様の記念館が建設途中であったことと、以前は木々が立ち並び荒地だったところが広大に整地されたままであったことです。そこで花火を打ち上げ、ファイヤーの式典が行われたのですが、本当ならば、そこに式典の会場を建設するはずではなかったかと思わされました。

それは資金不足という現状ではないか。ということです。
本来は子女の責任分担であるのにかかわらず、相当遅れているのではないかと考えさせられて帰ってきました。

「防御と創建キャンペーン」をなんとかしなければならないと考えているとその夢を見たりしました。私が何千万かを動かしてみんなに発表しているのですが、もっと上の方がいてその方は2億4千万を動かしていました。それは夢でした。
その夢を見て、思ったのは謙虚になって、進めないといけないという心情と真のお父様のみことば、それも統一旗に関するみことばを探さなければならないという思いでした。

そのみことばにより、
統一旗を奪還するための戦いをしていることを本気で自覚して、それが子女としての責任であることを明確に意識しなければならないと思わされました。

統一マーク


真のお父様のみことば   統一旗授与式 1965年1月29日 東京
これは本当はね、横になるんですね。こうでしょ。これは天地を象徴する、天地。授受の関係、すべての宇宙はその授受の因縁でもって造られておる。それで、この中は中心を表わす。あるいは、この宇宙を例えていえば太陽を象徴する。それからすべての天宙を例えれば、神御自身を象徴する。

この中心というのは、我々の理想の心情とか、すべてがここに繋がってるということですね。それから、これは何かというと、四方を象徴する。一人の存在、中心として立っていくという、その存在が立てば、自然と四方が決まらなければならない。それから、これが十二になっているんですよ。だから、四方に東西南北を中心とした、いわゆるその年月ですね、月が十二カ月ある。そうしてこれが、この授受の関係でもって回っておるというんですね。

これ全体から見れば、これは船の舵ですね。だからこれは我々自身に対しては、この宇宙を運転しなければならないという。だから、この一つの中には我々の創造原理、理想のすべてが入っているということ。簡単に言えば、そうなんですね。まあ詳しく説明すれば、もっと深い意味があるんですが、そういうように考えれば大概いいわけなんです。

だから、今授与された旗というものは、国家だったら国家を象徴する。今は教会なんだけど、我々の理想は教会の理想、すべての歴史の希望であり、現在の希望、あるいは未来の希望となるべき唯一の世界。そして神の心情にかなった世界。一つの世界という神の御理想の創造目的を達成している御国を象徴した旗である。だから、この旗をいつもあなたたちの心に抱いて、そうして神の心情と共に生きる者は、すべての邪悪なるサタンの試練とか背きを退けることができる。そういう力の象徴としてこの旗が使命を果たし得ると、先生は信じております。

どうか皆さんもそういうように信じて、勇気に勇気を掲げて進めば、いかなる地に行っても神がこの旗と共に、君たちと一緒に働いてくれるんじゃないかと考えております。

それからこの旗は神を象徴すると共に、あるいは先生も象徴することになるんですね。だから、この旗の下に集まった我々は一つの家庭である。一つのいわゆる兄弟である。そこには貴賤がない。貴いとか、貧しいとか、あるいは低いとか、それがないんです。同じ釜でもって同じ飯を炊いて同じ食卓で、同じ箸と同じ匙で同じ父母を中心として、生活し得る一つの家族なんです。

我々には対立する関係にある民族や文化もないんです。我々には堕落世界の生活の習慣とか伝統とか、あるいは現在にある社会のその道徳とか、人倫の道徳とか、そういうのは我々にとっては認めることができないというんですね。今からの生活の伝統、今からの社会の道徳、それを神は慕っておる。だから、そういうように考えれば、我々に背負わされているその使命がいかに重大であるかということは、今更言わなくても君たちはよく知っていると思います。

どうか日本の地を背負って、この旗を先頭にして、万民世界の果てまで進軍、進軍、進軍に勇気を重ねて最後の勝利を皆さんの手でもって、果たしてくれることを心から切に祈る次第であります。では簡単でありますが、これで終わります。

以上

みことばから
統一旗は
1.神様ご自身を象徴する
1.天一国、国家をあらわす
1.船の舵で天宙を運転する
1.我々の創造原理、理想のすべて
1.真のお父様を象徴する

統一旗奪還のための戦いは経済ではなく、神様を、真のお父様を奪還するためであることを自覚して「防御と創建キャンペーン」に対して、あらゆる知恵と心情を投入していかねばと思います。

IMG_5158.jpg
(建設途中の真の父母様記念館の中)


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家庭こそが天国基地


 ―「SC九州青年研修会in米良」報告書―     宮本記


 御言―「家庭で幸福の対象は誰かというとき、夫には妻であり、妻には夫であり、父母には子供であり、子供には父母です。この基地から天国建設が可能なのです。」(120-47.1982.10.3)  ―『天聖経』「地上生活と霊界」第4章、1天国は家庭が入る―

 大分・宮崎・鹿児島・長崎の九州4県から7家庭20人が11月2~3日、宮崎県西米良村の双子キャンプ村に集い、「SC九州青年研修会in米良」を実施。柔術や瞑想、ブッシュクラフト・炊飯、御言訓読会など2代王様方式の諸訓練に取り組み、あわせて10・14祝祭報告会を礼拝形式でおこない、茶会を織り交ぜながら秋の美しい自然の中で恩恵を交歓した。
 折しも九州に隣接する山口県(山口聖殿)に2代王様のご子女様ら青年一行を迎え、海洋訓練が実施されている時期と重なり、その天運を日本の2世青年たちに「つなげたい」切なる思いに駆られたことであった。

 6月と8月に続き、3度目となる今回、九州山間(やまあい)の「村」に会合した各祝福家庭の親子食口たちは、あたかも一つの家族のような感じがあり、冒頭、青年子供たちを年齢順に紹介したりもした。加えて、メイン会場とした古民家もまた、なつかしい故郷の我が家のような雰囲気があった。


 ■第一日目(11月2日)正午集合。オリエンテーションのあと早速、岩下兄の指導のもと瞑想と柔術訓練、続いて親子合同の野外炊飯で飯盒(はんごう)ご飯、カレーと豚汁づくりを実施し、夕食和動会へと進んだ。

1,瞑想・柔術訓練

写真①瞑想訓練…心身一体をなす上で「瞑想は御言訓読と同様もしくはそれ以上に大切なもの」(岩下兄談)。写真②柔術訓練…初めて挑戦する人もあったが、岩下兄指導のもと熱中!した。

2,野外炊飯

写真③炊飯ブッシュクラフト訓練…着火器を使って青年たちが火おこしを体験。薪火の燃やし方、火熱の加え方、飯盒の火の止め方など親子が一つになって体験した。写真④メニューの「カレー」、「豚汁」は青年たちが話し合って決めた。材料は家庭ごと分担して持ち寄り、母と娘たちが合同で炊き上げた。そのメシとカレー、豚汁の美味しかったこと!!!

3,会食&訓読学習会

 夜は、隣接の温泉に入浴したあと宿泊棟の一つに集合し、基元節4周年式典(2019年9月2日)で披露された天聖経の御言を取り上げ、訓読学習会をした(写真⑤)。「四位基台を完成した家庭が天国基地になる」という冒頭の御言は、その一節である。鉄杖王国定着勝利を目指して日夜奮闘される2代王様の思い(心)が今、何処にあるのか、10月14日鉄杖祝祭祝福式の亨進王様祝祷文とあわせて祈り、求めた。おわりに、インターネットで真のお父様の映像を動画『氏族的メシヤ・短縮版VTR』で再生しようとしたが、電波接続の問題でそれができないことが分かり、父母たちはほぼ諦めていたにもかかわらず、青年たちが思いを一つにして持ち前の技術と知恵を駆使して再生するという出来事があった。親子が思いを一つにするその家族基台にお父様が来臨され、直接、御声を掛けてくださったような、奇蹟的で、感動的なひとときであった。



■2日目(11月3日)は朝、まだほの暗い午前6時に宿泊棟の一室に集まり、青年を中心に2代王様の説教集『王国の御言』を一人5分ずつ訓読。古川姉が代表祈祷を捧げた。その後、自由時間としたが、青年たちは自主的に古民家に集まり、川のせせらぎが聞こえる縁側で二度目の瞑想訓練と、引き続き瀬口兄の指導のもと、棒術訓練にも取り組んだ。父母たちはこれにほとんどタッチしなかったので、霊的に2代王様が彼ら二世青年たちを指導しているようでもあった。

4,瞑想・棒術訓練


 最後は、再び全員が古民家に集合。聖日でもあったため礼拝形式で10・14祝祭報告会を催した。福田兄司会のもと、代表祈祷(落河兄)、リマによる聖書「マタイによる福音書22章23~46節」拝読(瀬口姉)、続いて祝祭参加者4人がPAで受けた恩恵を証しし、信仰的課題を恵みの中で克服したことや、鉄杖(銃)を持つ人々が互いに尊重し合う王国の世界を実感したこと。スカイダイビングを通してキリストのために死ぬことの意味を身をもって感じたことなど、映像とあわせて紹介した。そして、古藤さんの指導による茶会に移り、古民家の床の間に架けられた御父母様の御写真が見守るなか、日本の茶道に巧みに取り込まれたキリスト教文化の一端にふれた。
 終わりに福田父が感謝祈祷。10・14鉄杖祝祭祝福式の恩恵に与った福田弟をみんなで祝福し、天の恵みにあふれた2日間にわたる研修を終えた。

5,報告礼拝・茶会

6,全体写真


■おわりに
 アボニムの御言によると、神の国は「神と人が同居する」四位基台完成の家庭を基地にしてつくられる。具体的には、神は「夫と妻が一つになるその場(絶対性)を中心として顕現なさる」(御言「宇宙の根本を探して」)ので、アベル・カインで摂理される教会時代(新約時代)を越えて、祝福家庭が「天一国主人」となる成約の摂理時代に移行しなければならない。―これが氏族的メシヤ摂理の一環として活動するSC九州青年研修会の基本にある。

 このたびの研修会でも、礼拝報告会の司会役をめぐって父母の協助のなか、子女(カイン・アベル)が信仰によって一つになる役事があった。父母が復帰されるためにも子女復帰は前提であり、また、父母(とくに母親)はアベルの子女とカインの子女を一つにする任務がある(それは堕落エバが復帰されたエバとなり、キリストの花嫁の位置に立つための公式でもある)。その過程を経て次に王権復帰に至るというのは、天国をつくる氏族メシヤ摂理の公式原理である。
2代王様によって授与された氏族メシヤの王冠を奪われないよう、その王冠に相応しい夫婦(王と王妃)、天国基地となる家庭完成に向けて努めたいと思う。


最後に青年たち感想を聞くと、「次はテント設営などサバイバル感のある研修会をしたい」。「釣り体験」、「登山体験もしたい。」などと語り、早くも次の企画に夢を膨らませていた。        おわり。



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二代王様からサインを頂いた恩恵

80代のご婦人が鉄の杖フェスティバルに参加して真のお父様から聖霊の役事の恩恵を受けました。

鉄の杖フェスティバル参加の感想
            Sato R (83歳)

昨年の10月に病気で入院中だった主人が亡くなり、その時、大分聖殿の教会長やスタッフの方々がすぐにかけつけていただき、自宅で聖和式を行うことができました。
その後、親戚の手前、一般葬もしましたが、「聖和式」と「一般葬」との差を感じました。
聖和式の心のこもった式典で主人を感動的に霊界に見送ることができたことに心から感謝しました。


6月頃、10.14フェスティバルの訪米のお話を頂いた時に、神様からの聖和式に感謝するお礼参りとして、ペンシルベニアに行かせていただこうと心から思わされ、参加の申し込みをしました。
すると、霊の親も年寄りを一人で行かせるわけには行かないということで、一緒に行くことになりました。そして、霊肉祝福の三日行事も10月はじめには完了して、正式な祝福家庭として晴れて、10.14フェスティバル参加となりました。


鉄の杖フェスティバルの当日を迎えて、感動的な一日がすぎました。そして翌日、
12日の夜はあまり眠れなかったので13日は朝から体が重く、疲れたような感じでした。バスがフェスティバル会場に到着してすぐ皆んなで歌の練習をして、その後遅れて真のお母様の墓地に行きましたら二代王様がいらしてお話をされていました。お帰りの際、王様が私の近くを通られて感激しました。


午後1時半から二代王様が以前住んでおられたお家(レイクサンクチュアリ)を見学に行き、帰ってきた時には、もう限界と思う位、疲れていたのでバスの中で休ませてもらおうと行きかけました。
すると、今日日本人全員で歌う時間が少し早くなって、「5時に集まってください」とアナウンスが流れ、バスの中で休む時間はないと思い、じゃあテントの中で休ませてもらおうと裏の方からテントの方へ歩いて行きました。
テントに向かっていると、フラフラして途中冷や汗が出てきました。今までも冷や汗が出てきて貧血となり、倒れることもしばしばありました。その寸前の状態でした。


すると、すぐ横のテントで二代王様が本にサインをしておられる姿が目にとまりました。とっさに本を買ってサインを頂こうと体が動きました。実は訪米の前からその本のサインのことを知っていたのですが、自分は英語も読めないし、必要ないかな、と思っていました。
そんな自分でしたが心が急に変化して、本を買ってサインを頂こうと思わされました。
するとその瞬間から急に体が軽くなり元気になって、本のサインを頂く列に並んでいました。


そんな自分がおかしくて「現金なもんやね、急に元気が出てきた」と友人に言いながら並んだのを覚えています。
そしてその時、本と一緒に白い紙を渡されて名前を書いてくださいと言われたのですが、急だったこともあり頭が真っ白になって、自分の名前をローマ字で書けなくて、友人に「私の名前はどう書くのかな?」と聞いたりしましたが、とっさに「パスポート!」と思い、本とパスポートを出しました。すると王様は「サトーさん!」と優しい声で言いながら書いてくださいました。


まさか王様が私の名前を呼んでくださるとは予想もしていなかったのでとても感動しました。そのお声の優しさ、暖かさは耳から離れません。夢のような時間で思い出すと涙がでてきて、その情景は今も忘れることはできません。
私のあとは一人だけでサインの時間終了となりました。王様を最後お見送りさせていただき、嘘のように気分もスッキリ、体も軽く、テントで休むことなくみなさんのところに行き過ごしました。


今でも、サインを頂いているお姿と「サトーさん!」とおっしゃってくださったお声を忘れることはありません。
亡き主人もともに参加していたことを感じました。この恩恵を忘れることなく、残された生涯を神様とともに歩みたいと思います。
ありがとうございました。

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訪米で神様の愛を実感

今回、鉄の杖フェスティバルに参加され多くの奇跡の恵みを体験された83歳の聖殿シックのあかしです。


鉄の杖フェスティバル参加の感想

Kazuko A (83歳)

10月14日に向けてのツアーがあることを聞き、早速6月中旬に申し込みしました。
なぜか、心が弾み自分の年齢(83歳)や体調も考えずにただ参加したいという喜びのみでした。


ところがその後、体調に不安を感じ、病院に行くと医者から心臓が悪くなっているので近々手術した方が良いとの診断でした。娘夫婦と一緒に訪米することになっていたので「自分はいけないから、キャンセルしたい」と言いましたが「神様の恵みをいただくこと事の方が大きいから行ったらいいよ」と娘から言われ、医師の許可をもらいに行き参加させていただきました。
私は行く前から食欲がなく、機内食も殆ど食べられずにいたので自分はこのまま食が細くなって自然と生命が消えて行くのかなあと思っていました。


12日夜の花火大会では特に大きな一輪の花火が自分を包んでくださったような何か悪いものを洗い清めてくださるような花火で、大きな感動でした。

また翌日、康真のお母様のお墓で二代王様のみことばと祈祷会に参加させていただいたとき、不思議とたくさんの人たちがおられる中、私の目の前を二代王様が通られました。その時、体がスーッとして、今までの病気の不安や色々なことがうそのように消える感じで軽くなりました。
それからはそれまで食欲がなかったのに、フェスティバル会場に行くと突然空腹感を感じ、食品売り場に行き買い求めました。昼食がとても美味しかったです。夕食も待てないぐらいお腹がすいていました。その後、普段の状態に戻り、気分爽快になりました。
二代王様に目の前で初めてお会いできたことを通して、私の体が突然変化したことに私自身大変驚いております。


14日の祝福式では会場では座ることのできないほどの盛況でしたが、奇跡的に座ることができました。その式典の中で、前の席に座っておられた男性のスーツやその周りの席に銀粉がキラキラと光っている様子を見て、神様からの祝福を感じ、霊界にいる主人もともに喜んでいることを確信しました。それを見たのは私だけでなく、周りにいた人たちも同様でした。
不思議な現象にただただ感謝するのみです。


振り返って、一週間大きな神様の恵みを頂き、胸いっぱいの喜びを日々思い返しながら幸福感にしたっております。
体調が悪く、訪米することを一時は躊躇しましたが、本当に「フェスティバルに参加できた神様の大きな恵み」に深く感謝いたしております。
ありがとうございました。



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スカイダイビングの体験で感じたこと

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二代王様のみことば  2019.9.10

私たちに恐れるものがあるとするなら、それを真っ向から立ち向かって戦う訓練をしなければなりません。 その訓練の一環が私の言っているスカイダイビング訓練です。 怖いからするのです。 天一国憲法をしっかり握ってするのです。 私たちはこの戦いで誰が死んで生きるか分かりません。

しかし、死ぬとしても私たちは真のお父様のところに行くのではないですか! それも悪くない死だと思います。 私たちは自由がなければ死をくれという気持ちで戦う時勝つことができます。「死のうとする者は生き、生きようとする者は死ぬ」という真のお父様が愛された聖句が思い出されます。




スカイダイビングの感想として。Emiko A

亨進二代王様がみんなスカイダイビングをした方が良いとのみことばを知り、すぐに自分もやってみたいと思いました。調べてみると日本ではそれをやっているところが少なく、九州ではその場所はありませんでした。
今回の鉄の杖フェスティバル参加中に希望者は飛ぶことができるかも?ということでしたので、すぐに申請しました。


私の動機としては、
二代王様の前に日頃何の精誠も立てられずにいたので、「飛ぶことを通して精誠の条件のひとつにしてください」という思いでした。
飛ぶことへの不安はなく、先駆けてスカイダイビングをされているひろみさん御夫妻のユーチューブを見て、明るく飛んでおられる姿を見ました。
それで、飛んだ時に下方からの風圧が凄いことがわかり、心の準備が出来ました。


海外旅行保険では50メートル以上の高さでは事故があっても保険がおりないことを知りました。でも私は死んだとしても本望だと瞬間的に思い、何か吹っ切れた思いがありました。
その日の出発前にまりこさんから「酔薬を飲みたい方はどうぞ」と薬をもらいました。
私が小学生の頃、バスに乗ったらすぐに車酔いしたんですが、大人になって車酔いをしたことがなく、船に乗って魚釣りを5、6時間しても船酔いすることなく過ごしてきたので、まさかするとも思わなかったのですが、念のために薬を飲んで出発しました。


現地に到着して色々と説明を受けて、いざ搭乗!
飛行機が4000~4200メートルの高さまで上昇し、そこからひと組ずつ飛び降りるわけです。私は二回目の飛行機で最初に乗り込んだので、飛び降りるのは最後の順番です。インストラクターに身を委ねて、バナナのようにピタッと一体となって飛び降りました。


「ウワァー!」と思ったときは空中でした。最初は地上の紅葉の美しさと広い地球の一部を見たという思いでした。まもなくしてパラシュートが開き、大きく旋回しながら降りる場所を目指すのですが、それが私にとっては大変なことでした。地球がグルーッと回る感じで、空を見たかと思えば地上が見え、目がグルグルまわって気分が悪くなってきました。


地上に降りたら、
すぐに立ち上がることができない状態でした。ようやく立ち上がったもののフラフラしながら、事務所まで行きました。
車酔いのようでありながら、車酔いでない不思議な感覚でした。帰りの車中で一緒にダイビングした姉妹に介護してもらいながら、フェスティバル会場に着いた途端、急に吐き気がして3回もどして水のようなものを吐き出しました。
ふとその時、訪米一か月前に朝方2回ほど吐き気がして胃液が上がってきて、訪米後に胃の検査をした方が良いかも?と考えていたことを思い出しました。
それが3回吐くことを通して胃に健康をいただいた!!という感謝の心が湧いてきました。


後で、
一緒に飛んだ姉妹から「スカイダイビングは本来持って生まれたDNAに戻る恩恵がある」とのみことばがあると言うことを聞いて、私は車酔いのような感じを体験できたからこそ、今まで人生の6、70年ベッタリと悪いものがついたものを吹き飛ばしてもらえた!!と感謝でした。


そして、
赤ちゃんが産道を通ってようやく水の中から地上に誕生するのは大変だけど、地上の空気生活になれたら自由に動ける喜びに変わるように、生まれ変わるってこんなに大変なことを通過するんだ!と思うと同時に、
地上生活から霊界生活に変わるときにもまた、愛の完成を目指してより愛の人格になって死ぬ時を迎えないと死ぬに死ねないかな?と瞬時に二つのことを思いました。


それから、
数日経って自分を振り返ると、本当に悪いものが少し取れたんじゃないかな?と自分の中で感じています。今までどうでもいいことに神経をすり減らしていた自分がありました。これからは何でも委ねて行けば、そこに導いてくださる神様がおられることを感じるこの頃です。
スカイダイビングで新たに神様からの生命をいただいた感じです。
ありがとうございました。





真のお父様のみことば  1972.5.8
それゆえに、不信の歴史を相続してきた人類の世界において、神様は宗教を立てて、信義の土台を立てるためにいつも命を懸けて誓わせてきた歴史であることを私たちは知っています。イエス様を中心としてみても、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる」と言われているのです。自分の不信の命を捨てる覚悟が決定されていなければ、自ら不信の種を完全に除去できる蕩減の供え物の立場に立つ覚悟がなければ、信義の種を植えることができないということを、私たちは、いま一度知らなければなりません。



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今回の訪米(10.14ペンシルベニア)を通して想うこと



今回の訪米を通して刺激を与えられ、教えられたことが多くありました。10月17日に日本に戻ってきて、はや2週間経ってしまいました。その記憶を記録して、心情を忘れないようにせねばと思います。
 それで鉄の杖フェスティバルは神様の摂理が新たな段階を迎えていることを感じ、希望を抱くと共に反省すべき内容が自己の中にあることを否定できません。


お父様のみことば 1976.10.4天勝日のみことば

 こうなることによって、どんな事が始まったかといえば結局は、イエス様の恨みをといたということになるのです。そうすることによって神様の恨みをとくことができるのであります。そして全ての聖賢達と義なる人たちの、イエスを殺し、メシヤを殺した為に地上で解けなかった恨みを全く解くのであります。先生が一代において念願である恨みを全部解きました。霊界の恨みと地上の恨みを解いてあげる条件があるため、勝利したということは、あらゆる条件を解いてあげると同時に、そこに関係する全てを指導しうるという結論ができるのであります。

 堕落した時の神の恨みと、先生の今までの恨みを全て霊肉界において解くことができる以前はそれを解くことができません。その為にワシントン大会で勝利することによってそのような恨みを解くことができたのであります。それで霊界が統一されるのであります。霊界は今や一つの組織体なのであります。そして地上もそれに従って相対的に一つになった世界になったということは原理であります。


既に真のお父様は1976年9月18日にワシントン大会を勝利することを通して、世界的長子の位置を確立され、その勝利権を我々にくださったのが家庭教会の摂理でした。
それから43年経ってしまいました。







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プロフィール

阿南信義

Author:阿南信義
大分聖殿(サンクチュアリ大分)
 阿南信義  080-8375-0337
大分の山奥で農夫をしています

sanc16ooita@yahoo.co.jp

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