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神様を誇ることなき者はサタンが主管する

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神様を誇ることなき者はサタンが主管する



真のお父様のみことば  「イエス様の真実」 12P

天地万物を造られた神様は、アダム・エバを天地万物に対する神様の誇りの実体として造られました。またアダム・エバを天使世界に対する神様の誇りの実体として造られました。そしてアダム・エバが万物の前に立てば万物がアダム・エバに敬拝をしなければなりませんでした。

このように造られた被造の園が人間の堕落によって潰されてしまったのです。即ち人間の堕落で人間の前に誇りとなるべきであった万物の価値がそのまま現れることができないで、無形世界の価値の中心として現れることができた人間がその資格を喪失するようになり、神様の誇りの意味として神様の代わりに万物の前に現れ、和動の中心としての栄光を受けるべき人間の位置が根本的に潰れるようになりました。

そのために人間堕落以後六千年が経過した今日まで神様が求めて来られた標準は何だったのか。神様の心に代わって、形状に代わって神様の性ひんに代わって天倫の行事に代わる全体の代表者、神様が誇りうる一人の代表者を求めて来られました。また今までこの一つの願いのためにイエス・キリストも苦労して来られました。

それではアダム・エバの堕落以後四千年後にこの地に来られたイエス・キリストはどのようなお方だったのだろうか。それは神様の内的心情を代身し、外的形状を代身したお方でした。それで神様は御自身の創造の理念として立てた「誇りの基準」を、イエス・キリストを通じて現そうとされたのです。これがイエス・キリストが遂行しなければならなかった本来の使命でありました。

そのためにイエス・キリストは、その一代で彼の生涯を通じてある部分、またはある一つの部分を取っても神様の心情と形状に代わる子女として現れなければならない重大な責任者の立場に立っていることを知らなればなりません。 このようにイエス様は神様が誇りうる実体として現れなければなりませんでした。

まず万物の前に誇らなければならなかったし、その次にはサタンの前に誇ることができなければならなかったし、千々万聖徒たちの前に誇ることができなくてはなりませんでした。そして神様がアダムとエバを中心にして喜び、栄光を享受しようとされたことを復帰する一日を迎えなければなりませんでした。これが中心存在であるイエス様を立てて役事し摂理された神様の御旨であります。

神様はイスラエル民族をしてイスラエルの国を建設しようとされましたし、その中で御自身の前に立てられるイエス・キリストを送られたのです。それでイスラエル民族が一つになってイエス・キリストを誉め讃え、神様が誇ろうとされたその基準で感謝の心情でイエス・キリストに対していたならば、このような歴史的な悲しみが六千年まで延長されることはなかったでしょう。 1956.5.16




今日の家庭連合が失敗してサタンが主管する状態となっていることを理解するのに「誰を誇っているのか」ということで判断することができます。韓氏オモニの言葉の中に真のお父様を誇る言葉を、見つけることはできません。

真のお父様のお姿は神様の実体であられて、救世主です。イエス様の恨を解放され、神様の王権を樹立勝利されておられます。その真のお父様を誇ることをせず、韓氏オモニは自分のことをまず、誇る言葉をその口から発しています。
「私は人類歴史6000年が求めてきた独生女(ひとり娘、罪がない者)である」
「キリスト教2000年は私である独生女のためにあった」などと。


ユダヤ民族がイエス様を受け入れることができなかった背景にあるのは、選民の認識が神様の立場からでなく、自分の立場から見ていて、完全に間違っていたことでした。
神様を誇ることをせず、自分たちは選民であるとそのことを誇っていました。それで神様の摂理を破壊し、サタンが侵入する条件となりました。


真のお父様のみことば 「イエス様の真実」 14P

神様の誇りとして現れたイエス・キリストの目に映ったものと、イスラエル民族が誇っていたものとは全く違っていたということです。即ち神様の復帰摂理の御旨に対して現れたイスラエル民族が、自ら神様の選民であることを誇っていたタイプと、神様の復帰摂理の願いを中心としながら戦われたイエス・キリストが神様の御旨のために誇られたタイプが違いました。

それでイスラエル民族は神様を代身にして誇ることができたイエス様の御言の前で、イエス様の生涯の前で自分たちがその時まで立てて来た民族的な誇りを放棄する立場に立たなければなりませんでした。自分たちの誇りを放棄して、神様の御旨を代身して誇るための新しい誇りを持って現れたイエス・キリストの前に柔和謙遜にひれ伏していたならば、十字架の困難な関門がイエス・キリストの前に残されることはなかったでしょう。

キリスト教歴史に十字架の道というものはなかったでしょう。イエス様の御言に耳を傾けることによって救われたということはあったとしても、十字架を信じることによって救われたという話はなかったでしょう。 1956,5,16




神様はイエス様を誇られていました。それはイエス様ご自身が神様を誇り、その愛の原則を実行され、実体化されておられたからでした。


神様は真のお父様を誇られています。イエス様を解放され、歴史上の義人たちの心情のすべてを解放されて、神様を解放成された真のお父様であられるからです。それは真のお父様が神様の愛の原則を完全に相続され、実体化されておられるからです。
その勝利された「愛の原則」を私たちは真のお父様から相続することのできる道を与えられています。それが氏族的メシヤの任務です。

今、地上にいるものたちは真のお父様を誇ること通して、サタンを分立することができます。そのことを悟るかどうかは人間の責任分担であり、サタンは巧妙にそれができないように働いています。


今日の韓国の没落はユダヤ民族と同じように、家庭連合韓国人幹部たちと韓氏オモニによる「自分たちは神の選民である」ということを誇って、神様の摂理であるところの再臨のイエスを誇ることをしなかったからです。それでサタンが侵入することのできる条件が確立していしまいました。


今、私たちはどうでなければならないか。その教訓を活かして、神様を誇り、真のお父様を誇ることを徹底せねばと思います。それは氏族的メシヤの勝利に向かいそのことに集中して、真のお父様が誇ることのできる実体基盤を早く、世界的にすることだと思います。それが二代王様の基盤となり、天一国が地上に現れることになります。








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阿南信義

Author:阿南信義
大分サンクチュアリ教会
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