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僕の僕の姿でつくされるイエス様は神様の姿

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僕の僕の姿でつくされるイエス様は神様の姿


この病院に入院してもう18日目となりました。
経過はいたって順調で何の問題もなく回復しています。


まだ、身体に管がついているので、シャワーを浴びることができません。それで家内が時々、足を洗ってくれます。今まで人に足を洗ってもらうという経験がないだけに、とてもいい気分になります。不思議と優越感を感じます。しかし、やってもらっている方は気持ちがよくても、やるほうの気分は決していいものではないのではと思いながら、考えているとき、イエス様の聖句を思い出しました。


ヨハネの福音書13章1節から10節
過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。 夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。

こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。シモン・ペテロはイエスに言った、「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」。イエスは彼に言われた、「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない」。




いよいよ十字架が近づいてきていることを知ったイエス様は、切実な心情で神様をあかしし、神様の愛を伝えるために、弟子たちの足を洗うという手段をとられます。神様がどのようにして人間を探し、愛してこられたかを、身をもって実践されたのでした。

そのようにして、
イエス様は足を洗うということを通して弟子たちとの絆を結ばれながら、神様の愛の姿を実体であらわされました。主でありながら、弟子の足を洗うということをされて、僕の僕姿で神様の愛を実践されたのでした。

神様はいつもそのようにして人類をたずねて下さいましたが、今までその愛に気がつくことなく自分勝手に争いながら、悲惨な歴史を繰り返してきたのが、人間の歴史でした。


真のお父様はイエス様の成しえなかったみ旨を完成するためにどれだけ、僕の僕の立場を通過されたのか、計り知れません。その結果今のこの世界があり、自分の命があることを思うとき感謝に感謝して、その心情を相続せねばと思います。

そして、
ペテロの足を洗われたイエス様の心情の世界を、私たちも相続せねばと思います。伝道の根本はその心情であると思います。神様が、真のお父様が、イエス様がなされたごとく、僕の僕の姿で尽くすとき、新しい生命が生まれてくることを改めて教えられました。



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プロフィール

阿南信義

Author:阿南信義
大分サンクチュアリ教会
 阿南信義  080-8375-0337
大分の山奥で農夫をしています

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