神山威元会長への手紙

5月のはじめ、江利川会長より、神山会長のお話を聞きました。その時、私が信仰の出発をしたとき、神山会長より多くを教えていただいたことが脳裏によぎり、その晩、徹夜をして神山会長宛の手紙を書きました。
この手紙を公開することに、いささかの躊躇がありましたが、神山会長の功績を少しでも伝えることが出来ればと思い、そうすることにしました。

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尊敬し敬愛してやまない神山会長様

 

日本サンクチュアリ協会所属 阿南信義

 

大分の片田舎で密かに、神山会長をお慕い申し上げております。

つたない小さき者ですが、今になって胸の内を明らかにする無礼をお許しください。

私の事は多分ご記憶にないかと思います。

 

私は1971年11月に名古屋の栄で伝道され、即献身させていただきました。おりしも名古屋教会は神山地区長の時代でした。

当時、豊田市の大手企業に就職していたのですが栄の地下街で伝道されて、二日後に守山修練所の地区修練会(三日修)に参加しました。まだできたばかりの守山修練所でした。

 後で、先輩から聞いた話ですが、守山修練所を建設するときも、神山会長が先頭を切って、献身者とともに汗を流されながら、金山の安藤さんから献納された土地を開墾されながら木の根を掘るとき「この根は誰の罪の根かなあ」と冗談を言われながらみんなを引っ張っていかれたと聞いていました。

 

私は守山での修練会を終わる時に初めて、神山会長にお会いしました。その時の印象は何か光り輝く方で情熱と自信に満ちておられる様子に感動を覚えました。

 その時に会長が修練生に語られた内容で「皆さんはこの三日間で終わりと思っているかもしれませんが、これからが始まりです」と言われた言葉を覚えています。

 この三日間で終わったと思っていた私の考えを修正する必要がありました。そうしてそのまま宝塚の修練所の14日修練会に参加することとなりました。当然ながら就職したばかりの会社を辞めて。

 そうして、当時神山会長が地区長をされていた千種区の名古屋教会に献身することとなりました。

18歳の時でした。

 

まだ原理を聞いて間のない私のメシヤ観は未熟で神山会長がメシヤではないかと思っていました。それはなぜかというと神山会長の語られるみことばの素晴らしさ、みんなに対する愛の深さを見ていたからでした。

神山会長の語られた内容で45年たった今でも覚えているのは、献身した時に地区長室で「今、天国の入口に来ましたね。これから離れると一番最後の所に行きますよ。先祖の功績で一番前に来たから、決して最後にならないようにしましょう」。と言われたこと。また何人かいるときに、「今日も無事に終わりました。ありがとうございます」。と祈った兄弟に対して「無事がいいことではない、事を起こさなければならない」。と怒ったと言われたことを思い出します。

またある時に神山会長がみんなを集めて、「神様の姿を描こう」と言われ、各自がその作業を行いました。足の裏の絵を描いたり、太陽の絵だったり、また白く長い髭をもっている老人の姿を描いたりと色々な絵の展覧会となりました。そうした中である兄弟が真のお父様の似顔絵を描いていました。神山会長はその兄弟をとても褒められて、「あなたは神様に近い所にいる」と言われたことが忘れられません。そのようにして信仰の教育をして下さり、感謝にたえません。

 

ちょうどその当時の名古屋教会はお父様の願いを神山会長が受けられて150名の献身者を名古屋から全国のために人事された直後でした。日本統一教会の土台となる人材をお父様の命令の中、無条件で従って、全体のために祭物として捧げたと伺いました。

ほとんどの献身者を送り出すというお父様の願いに対して絶対的な信仰で応えていかれた神山会長の信仰の姿勢には驚嘆します。

その時お父様から「一年たったら元に戻るよ。」とみことばを頂いたと神山会長が言われたことを記憶しています。

当時の名古屋教会は神山会長の指導の中、伝道が強烈に推し進められ、朝の8時から夜の9時まで名古屋駅や栄で行われ、時には夜の12時、徹夜で路傍伝道をしたこともあります。

それは強制ではなく、本人の自由意思の中でやっていました。愛があったからでした。

特に、伝道の企画の中で、絶えず中心としていたことは毎週の原理修練会でした。とにかく毎週金土日の三日修練会を行い、それに向けて伝道するという明確な目標でありました。

その結果、71年末には殆どいなかった献身者が、72年4月の十字軍結成の時には80名を送り出し、11月までには150名を越える献身者となり、お父様のみことばを見事にその如く成就することとなりました。

 

その時の体験が私の信仰の根本となり、誇りとなっています。

信仰の初期に、神山会長から指導を受けたことが私の誇りです。それが宝となっていて、それは今後においても、永遠に変わることのない財産であると思っています。

名古屋教会の礼拝堂の中で宿泊している男性たちを見回る神山会長の姿。

献身に反対してくる親たちに土下座して謝っておられる神山会長の姿。

お父様のみことばを暗記されて、みことば集「忠孝の源」をもって説教される姿。

責任者としての姿の理想にまじかで接し、ともに体験したことは信仰生活の基本となっています。

 

 それから、72年からアメリカを中心としてお父様が摂理をなされるようになりました。神山会長はその中心として選ばれ、多くの名古屋の兄妹もアメリカに渡りました。

お父様に対する絶対的信仰では神山会長の右に出る方はいないと思っております。だからこそアメリカでの摂理を担当され、お父様の完全な相対圏の中で活躍されたことは誰もが認めるところです。

ニューヨークのヤンキースタジアム大会を前にしてお父様のみことばがあります。


もしも、そういうヤンキースタジアムに勝利しなかったら、今月の七月。短縮すればする程、それはマジソン・スクェア・ガーデンとそのヤンキースタジアムが、時間が近い程それは効果的であるんだね。だから日本のメンバーが、今からそういう覚悟でもって、今まで自分達の願うように天的な大目的を中心として、我々は任命された使命が、いかばかりか大きいかということを自覚しなければなりません。

 

神山はいないの?神山。あれはかわいそうよ、かわいそう。神山ね。先生に会うのに面目ない姿ね。四月まで三千人というような先生の厳命を受けたにもかかわらず、これなんだ。これなんだ。それで生きている、生きている。死を覚悟して、そういう使命を果たすのに、全力を捧げてもなさなければならないにもかかわらず、今の状態は何もならない。伝道は日本人が責任持っているだろう。そうでしょう。(ハイ)         1975.3.16 使命を持つ ベルベディア 


マジソン大会、ヤンキー大会、ワシントン大会、そして76年10月4日天勝日の宣布の勝利はどれほど人類に希望を残されたことでしょうか。その勝利の恩恵で家庭教会の摂理が私たちに与えられたということは言うまでもありません。

そして84年のダンベリーの時においても、メシヤとともに十字架に行かれたのは神山会長のみでありました。

 お父様のみことばにこのようにあります。

 

怨讐を愛さなければなりません。それで、先生がアメリカに行ってやったことは何ですか。レバレンド・ムーンだけは、ダンベリーに入れられながらも、怨讐を生かすために苦心して闘うのです。自分の死を恐れることなく、再び死亡線が交差されるのです。先生は霊的に敏感で、人を見る目があります。それで陰謀を知っているので、その前にみんな会って、もみ消す手腕があったのです。六カ月間、眠りませんでした。それで神山が四カ月間、先生が眠っている時間、見守ったのです。それが終わるや否や、神は先生を保護すべき責任があるのです。  1986.1.1 天国創建の意義

 

神山は今回、日本の責任者となりました。先生が監獄で神山を徹底して教育したのです。神山は、四か月間先生のために見張番役を果たしました。そして先生が神山が出ていく前に見張り番を代わりに立てなさいと言いますと、二名を立てました。彼は、監獄の中でも伝道をしたのです。 

1991.10.13 世界はどこへ行くのか

 

お父様が自ら神山会長のことを証されておられます。どれだけ大変であったのでしょうか。

牢獄の中でお父様の命を狙ってくる輩たちからお父様を御守りすることがどれほど深刻だったでしょうか。そして見事にその使命を全うされ、全人類を代表した立場でお父様を愛し、支え、守られたそのことの功績は計り知れないものだと思います。

 

そしてそのダンベリー刑務所の時に、お父様とともに訓読されたみことばが「み旨と世界」の中にある内容であり、お父様の40年荒野路程の総決算としてのみことばを我々にくださったと思っていました。


訓読会を通して、統一教会の祝福家庭がどうあらねばならないか、皆分かりましたか? 『御旨と世界』は、先生とダンベリー刑務所に入った神山を通して、日本のメンバーたちを教育するために特別、先生がみ言を選んで作ったものです。

 訓読会をして、これを丸暗記しなければなりません。そうすれば、日本は失敗しないのです。峠を越えてしまえば、このような教育は再び必要ではなくなります。きちんと教えてあります。統一教会の祝福家庭は荒野路程に立っています。荒野路程に立った者には所有権がありません。 

        1998.3.2839回真の父母の日敬礼式後のみことば


この重要なみことば「御旨と世界」はお父様が神山会長を通して、日本のメンバーにくださった特別のみことばであると明言されておられます。

そして、この時、神山会長がお父様から「みことばを勝手に変えてはならない」、と真剣に語られたと言われたことも私の中に深く残っております。

 

尊敬し、敬愛してやまない神山会長様。

今、私はサンクチュアリ協会の中に所属しております。

「み旨と世界」の中にある「創立以前の内的教会史」みことばで

 

先生は何度も思ったことがあります。「私はまだ死ぬことができない」と。残念ながら自分が第一線をあとにする時、使命を託すべき後継者がまだいないということです。「この者に、自分の使命を残して行くことができる、死ぬことができる」という確信を先生に与えてくれる者はまだ一人もいないのです。「誰が、私が神を愛したほどに神を愛してくれるだろうか、私が死んだのちに誰が私の神を見てくれるだろうか。親孝行してくれるだろうか」とそれだけが心配なのです。誰か「私が神様を見ますから、先生は後ろに立って見ていてください」と言う人がいるとすれば、その人こそは歴史においても私たちの教会においても主流的人物となり、永遠に滅びることなく、その子孫はアブラハムの子孫のごとく栄えることでしょう。 1977.5.1 創立以前の内的教会史  


とあります。

 

私自身、今まで何回となく「御旨と世界」を訓読しながら、思っていたことは、このみことばがお父様の心情の中心ではないかと感じておりました。

 そして実際に今年の4月に亨進様にお会いして、お話を聞く機会に恵まれました。まさしく、このお方が真の後継者だと確信させていただきました。それは理論理屈をこえた心情の世界で確信したのです。

亨進様はアメリカでの天勝日の恩恵、78年のフレーザーとの闘いでの勝利の後、誕生されておられます。神山会長が立てられた信仰の結果であるとも言えるかと思います。

亨進様はお父様を愛する心情の世界が極めて、崇高でそこには何の疑う余地がありません。

神山会長は日本を代表するお父様との因縁が深い方であることは誰もが知るところです。お父様と心情が一番近い方であると思っております。

ですので、亨進様の心情に一番通ずる方であると思うのです。

 

まことに恐縮ですが、再度確認していただけないでしょうか。どなたが真の後継者であるかを。

日本統一教会の土台を築き、アメリカでのお父様の摂理の勝利を支えてこられたお方だからこそ、その影響は甚大であります。

お父様はアメリカでイエス様のローマ時代を蕩減するためにご苦労の道を歩まれました。その内容を一番ご存知なのは神山会長であると思います。

今、亨進様は33歳の時よりアメリカの荒野におられます。イエス様の心情であり、お父様の心情の中で闘っておられます。

お父様の身近で一番信仰を立てられた男性の神山会長と女性の江利川会長がひとつとなれば、お父様がどれだけ喜ばれるでしょうか。

江利川会長よりお話を伺い、アメリカに帰られると聞いております。

是非とも、亨進様の元を訪ねていただけないでしょうか。

 

最近の家庭連合を取り巻く状況をみて、熟考したあげくこの手紙を書く事といたしました。失礼を承知のつたない者の願いですが、よろしく懇願申し上げます。

                     2016年5月11日


亨進様祈りの時 




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プロフィール

阿南信義 Nob..Anan

Author:阿南信義 Nob..Anan
日本サンクチュアリ協会大分教会
 阿南信義  080-8375-0337
大分の山奥で農夫をしています

sanc16ooita@yahoo.co.jp
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