イエス様のみことばを不信し、御旨を排斥する現象

お父様のみことば


 イエス様はこのような神の切ない心情を抱いていたので、新しい天倫の法度を持って、これを条件として地上の人間と永遠の理念の関係を結ぼうとされたのですが、当時の人間たちの不信によりこのようなみ旨を成すことができず、悲しくも悔しく十字架に架けられていったのです。

 それでは、今日このように悲しく逝かれたイエス様を求めている皆さんは、どんな環境に面しているのか。今日も、イエス様の御言を不信し、イエス様の仕事を排斥したと同様の現象が起こっているのです。即ち今日の皆さんもこの地上で迫害され、万人から捨てられ、人ごとではないこの道を行っているのです。それゆえ皆さんは、このように捨てられる悲しみを払い除け、必ず天と地が喜ぶ勝利的な条件を立てるために努力しなければならず、また我々の集まりが、このようなみ旨を成してゆく集まりであるなら、すべてが一心同体となって、イエス様が行かれた歩みの跡に付いて行かねばなりません。

 今日皆さんが排斥され、迫害される悲しみ、あるいは教会によって捨てられる悲しみを沢山受けても、皆さんは蕩減復帰原則に従い、その悲しみを踏んで成さねばなりません。即ち統一教会のすべての食口たちは、神の心情とみ旨を感じて悲しむだけの人間、従うだけの人間、良いというだけの人間になっては駄目であり、越えて行くべき道、絶つべき道をみな絶ち、さらにはアボジの復活の栄光に参与しなければなりません。1957.10.4

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2000年前と同じように、今、お父様のみことばを改竄し、不信し、お父様のお姿を消し、お父様の仕事を排斥しようとしている現実があります。


イエス様を不信したイスラエル民族の行くべき道は悲惨な姿となりました。

私たちは、捨てられたイエス様の心情を知り、イエス様の歩みの跡について行き、

お父様のみことばを信じ、亨進様の跡について行くことが天命であると信じます。



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江利川会長を大分にお迎えします。6月12日に。

お知らせします。
6月12日、大分に初めて、江利川会長をお迎えします。

江利川会長の礼拝説教、そのあと質疑応答の時間です。
県外からの参加も大歓迎です。
お忙しい江利川会長と直に接する貴重で有意義な時間となること間違いありません。

県外より参加を希望される方はsanc16ooita@yahoo.co.jp まで連絡ください。
詳しい内容をお知らせします。
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真の後継者は亨進様です

お父様のみことば

先生は何度も思ったことがあります。「私はまだ死ぬことができない」と。残念ながら自分が第一線をあとにする時、使命を託すべき後継者がまだいないということです。「この者に、自分の使命を残して行くことができる、死ぬことができる」という確信を先生に与えてくれる者はまだ一人もいないのです。

「誰が、私が神を愛したほどに神を愛してくれるだろうか、私が死んだのちに誰が私の神を見てくれるだろうか。親孝行してくれるだろうか」とそれだけが心配なのです。誰か「私が神様を見ますから、先生は後ろに立って見ていてください」と言う人がいるとすれば、その人こそは歴史においても私たちの教会においても主流的人物となり、永遠に滅びることなく、その子孫はアブラハムの子孫のごとく栄えることでしょう。 1977.5.1

亨進様笑顔 

お父様の心情は絶えず、神様の慰労です。如何なる苦労と犠牲があろうとも、生涯、神様のことを先に心配されて、過ごされました。

このみことばは84年のダンベリー刑務所の時に、お父様が神山元会長と選別されて、「み旨と世界」の中に編さんされました。

当時から、その内容に感動していましたが、お父様のその心情に立つことができる人物がいるのだろうか、自分もそうなりたいけど、あまりにもハードルが高すぎると思っていました。

しかし、今その心情の基準に到達されているお方がおられます。間違いなく、亨進様です。

お父様が代身者、相続者として任命された背景に、その基準に立つ者をどれだけ探し、待たれたことでしょうか。メシヤが任命されたことは、神様が承認されておられます。

私たちはそのお方を信じ、ひとつとなることがお父様の願いであり、天の摂理です。決して、間違わないようにしなければなりません。

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イエス様の心情を慰められる真のお父様

真のお父様のみことば

今皆さんは自分が信仰生活をしていて、どの程度にイエス様が願う新婦の資格を得ているか、反省して見なければなりません。皆さんは生活において、真にイエス様のことを求めていますか? 真にイエス様の理念を実践するために、努力していますか? 即ち、言葉においてか仕事において、皆さんはイエス様の言葉と仕事を代身しようと骨折っていますか? これを皆さんは、反省して見なければなりません。

 そうして皆さんは自分の生活が、その当時のイエス様の理念と関連している生活、その当時のイエス様の仕事と関連している行動をしなければならず、また天を代身して地上に来られたご自身の理念のすべてを失って行かれたイエス様の、内的な悲しみをすべて受け継ぎ、さらにはその悲しみを解いてあげなければなりません。このような使命が皆さんそれぞれに与えられていることを、はっきりと知らねばなりません。1957.10.4

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真のお父様はイエス様の願いが何であるのかを切実に訴えておられます。誰よりもイエス様の心情をご存知であられるからです。それはイエス様と同じような悲しみ、苦労、犠牲の道を通過されたお父様であったからです。

 私たちはイエス様の心の内をかくも明白に語られるお父様をなんの疑いもなく再臨のイエス様と確信することができます。

そのようにして、私の命を神様に繋げて下さるお父様に只々感謝申し上げる次第です。

 今、後継者は誰であるか。

イエス様の心情を誰よりも証し、慰められたお父様の如く、お父様の心情を誰よりも証し、慰める方が代身者、相続者であることに間違いありません。

 ましてや、自分を誇ることを第一義に考える方がそうであるということは有り得ない話です。イエス様のとき、イスラエル民族はイエス様の心情に立つことができず、自分たちの観念の中でイエス様をみて、結局は十字架にかけてしまいました。背後のイエス様の心情、神様の心情に立つことができなかったことを私たちはお父様のみことばから知っています。

 今再び、お父様を不信し、亨進様を不信し、十字架に追いやっている事態となっています。

そのことを、いかに打開して、本来の姿を取り戻すか。

そのために、

 私の生活がイエス様の理念と実践し、お父様の理念と伝統に完全に一致することが最重要な課題であることを自覚します。

亨進様と国進様1 

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私が家庭連合(旧統一教会)を退会するに至った最初の理由

私の家庭が天一国経典(赤色)の天聖経を貰い受けたのは(献金して)2013年の11月でありました。早速、それを一読した時に、その異変に気付いたのでした。

 私は以前から家庭教会摂理がいかに重要であるかを感じて、そのみことばの整理をしていました。古いファミーを引っ張り出して、お父様のみことばを何度か読み直していました。

その中で、1981年1月1日にお父様が教会と家庭教会の関係を具体的に語られていました。教会は事務所のようなもので、天国の鍵は家庭教会であり、それは天国の基地となるという内容が明確に語られていたので、その関係性をとても納得し、本来の天の願いであると確信していたところでした。

ところが赤色の天聖経を読めば、家庭教会が事務所ということに変わっているではありませんか。前後を読めばだいたい同じことであるにもかかわらず、肝心な家庭教会に対する位置が全く逆に記されていることに、驚き、不信をもつこととなりました。

以下はそのみことばです。

 

1981.1.1「家庭教会は私の天国」ワールド・ミッションセンター お父様のみことば

ここで、先生は同じような状況にいます。先生は地上天国の鍵を与えなければなりません。すると、その鍵を与えた後、私はイエス様のように十字架へ行くのでしょうか。(いいえ)。それをすでに確保したので、違う方向へ、違った状況へと向かって行くのです。大きな希望と期待をもって、より高い次元の働き、すなわち完全な天国へと向かって行きます。イエス様が地上を去ったとき、彼は自由に、思い通りに、また帰ってくることはできません。この点でも私は異なっています。弟子に鍵を与え、地上を去った時、また戻って来たければ戻ってくることもできます。

私が戻ってくるときは、統一教会に戻ってきますか。それともホーム・チャーチに戻ってきますか。(ホーム・チャーチ)なぜですか。教会は家庭のための、社会のための事務所のようなものです。それはちょうど中間のようなもので、事務所です。しかし、ホーム・チャーチは神が働くことができる所、父母様が働くことのできる所、息子、娘がすむことのできる所、一生涯ともに暮らすことのできる所です。真の兄弟がそこに住み、真の氏族がそこに住みます。それがホーム・チャーチです。

 

天一国経典天聖経(赤色) 第一節家庭教会の摂理的意義 P941

3 先生は、統一教会の教会員に天国の鍵をあげるのです。先生は、死ぬために十字架に行くのでしょうか。死ぬために行くのではありません。希望をもって、より高い所に行くのです。イエス様は、行って帰ってくることができず、何千年の間、来ませんでしたが、先生は、行けばいつでも来ることができ、思いのままに行ったり来たりできるのです。

帰ってきてからは、統一教会を訪ねていくのではなく、家庭教会を訪ねていかなければなりません。先生が訪ねるべき所は家庭教会ですが、家庭教会は神様が臨在できる所であり、父母様が臨在できる所であり、息子、娘が暮らせる所、一族が暮らせる所です。家庭教会は、家庭のための社会的事務所です

 

かつて、ダンベリー刑務所でお父様が神山元会長にみことばを訓読させながら、まとめられた「み旨と世界」を出版された時に、お父様のみことばを一字一句変えてはならないと強く指導されたことを思えば、このような改竄はあってはならないことであります。

 なぜそうなったのかということに対して、2015年になってからその意図が明らかになってきました。お父様のみことばを改竄するということは、サタンの仕業としかいいようがありません。お父様のみことばを変えることはお父様本体を曲げ、その姿を否定することとなります。

 

結局のところ、1976年9月ワシントン大会を勝利した真のお父様は、翌月10月天勝日を宣布されて、すべての勝利の恩恵を子女たちに与えるとして家庭教会の摂理を開始されたのですが、今に至るまで、その目的は成就することなく、40年経ってしまいました。

 その背景には、教会と家庭教会の関係を意図的に転換して、曲げてきた教会側の姿勢があったからと気づかされました。絶えず、中央集権体制をとり、食口と家庭教会を下の下においてそれを利用してきたからにほかなりません。

 そして、みことばを改竄することにより、お父様の心情の奥深くにある人類をいかにして救い、天国を実現して、神様を慰めようとする摂理を永遠に破壊しようとする今の体制は、サタンの機関となってしまいました。

今の家庭連合(統一教会)は悲しいかな、その道を突き進んでいます。

私が退会することに至った最初の理由がそれです。

                   大分教会 阿南信義

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2016年4月訪米、亨進様のもとでの天の恩恵

訪米の恩恵

大分教会 阿南信義  2016.4.14

 

かねてからの念願でありました今回、亨進様が主催されるの一連の行事(4/84/12)に参加できましたことを、天のみ前に心より深く感謝申しあげます。

 

個人的に到着までの時間がかなりあるのでどう過ごそうかと思い、決めたことは飛行機の中、ホテルで時間のあるときにお父様の御聖婚以前に語られたみ言を持参して、訓読しようと計画しました。それは御聖婚以前のお父様のみことばの中に多くイエス様の心情を語っておられ、それは今、亨進様がイエス様の心情ではないかと考えたからでした。そしてちょうど亨進様の年齢もお父様のその時と重なると思ったのです。

それで今まで収集していたイエス様に対するお父様の説教が22編ある中で4編を出発前日にプリントアウトして、あとはパソコンを持参することにしました。

胸に染みる感動的なみことばが多くありましたがその中で

「捨てられたイエス様のものを捜し立てる新婦になれ」 1957年10月4

の説教に

またイエス様は家庭において、自身のみ旨を立てることができなかったので、社会を通して、あるいは教団を通して、自身のみ旨を知らしめることを願ったのです。しかしイエス様はユダヤ教のまえに、またイスラエル民族のまえに歓迎されず、捨てられたのです。このようにイエス様の一身が排斥されたのみならず、さらにはイエス様がされた御言も排斥され、イエス様の生活、イエス様がされようとされたその事が、すべて排斥されたことを、皆さんは知らねばなりません。それゆえ皆さんは、このように見捨てられたイエス様の心情、捨てられる時のその寂しさ、心に受ける苦痛がどれほど大きかったかを、推し量ってみなければなりません。もしもこのようなイエス様の苦痛を知らない者になったなら、皆さんは四〇〇〇年の歴史に責任を負ってきたイエス様の人生、その理念、その生活、その仕事と御言を知る者として、到底現れることはできません。

とあるみことばが痛く胸に響きました。

 

今回の三日目(4月10日)の質疑応答のとき、亨進様のみ言を語られる姿は深刻な表情となりました。まさしく天の怒りの心情を訴えられるようにしてみ言を下さいました。

皆さんが偽りの天一国国歌を歌っている時に、私たち勝利したカインとアベルは子供たちをつれて真夜中に自然の中に入って、お父様が作られた天一国国歌を涙ながらに歌っていました。お父様を裏切らなかったたった二人だけがそこにいました。お父様のカインとアベルがそのような状況の中でお父様を想い、涙を流しながら、心が引き裂かれる思いでその歌を歌ったその心を皆さんは知らないでしょう。皆さんがお父様の存在や姿を少しずつ削除しているそのことに同参している時に、私たちは精誠を立て、お父様を思い焦がれていました。

と語られ、アメリカの山中にたった二家庭で出発された時の心情を吐露されたときに、本当に申し訳なく、何も知らないで私がそうさせてしまったという思いに胸が詰まりました。

まさに捨てられたイエス様のように捨てられたお父様とともに出発された亨進様と国進様の心情にふれて、心が痛くなりました。十字架の道にいかれたイエス様がローマで迫害の中で出発されたと同じ路程を第二代王亨進様と国進様が歩んでおられるのを痛感させられました。

その最後にみんなで天一国国歌を歌いましたが、亨進様が涙を流しながら手を上げて歌われておられるお姿は忘れることができません。どれほど悔しく悲しくともお父様の王権を受け継がれた立場において決意され、生きてはたらいておられるお父様とひとつとなって出発されておられたかを思うと感謝せざるを得ませんでした。

私自身、新しく出てきた天聖経の改竄に一昨年より気付いていたものの、傍観者であった期間があったことを悔い改め、家庭連合を責めることよりも、自分を責めることを考えなければならない立場であることを認識しました。また自分がお父様を捨てた立場であることを自覚して、悔い改めて再出発しなければならないと思わされました。

亨進様歌われた時 


 

そして今回第二代王亨進様ご夫妻国進様ご夫妻との質疑応答の機会が3度も持たれ、その場に参加できたことは将来において忘れることのできない出来事となりました。

3日目(4月10日)のその時には感想を発表する機会を与えられ、私が述べたことに対して、国進様がとても喜んでいただけたことに対して嬉しく思うと同時にそれを成就することに対して責任を果たさなければならないと自覚した次第です。

4日目(4月11日)の時にも重生について質問させていただきました。これから祝福を拡大するために明確に理解する必要を感じていたことでしたので、直接お伺いできたことは恵みでした。

特にその時の質疑応答は皆さん熱心で4時間を越えても終わらない雰囲気で「私たちはお父様でないのでこれで終わりにします」と国進様が語られる中で、江利川会長がみんなの天一国憲法冊子へのサインを亨進様に求めていかれるやり取りはお見事というしかありません。貴重な楽しい時間であり、お父様と共に過ごしていると実感する時間でありました。

また終わって帰られる車の運転は亨進様、国進様が自ら、なされておられる姿は印象的で感動しました。天国は逆ピラミッドの組織となるという理想を率先しておられるからです。

 

そして4月12日帰りの成田に向かう飛行機の中で、整理しようとみ言を訓読していました。すると1965年1月31日東京南平台で語られた「イエス様の最期と我々の覚悟」のみことばの中に

だから、まずここに立っている先生以上、日本を愛しなさい。世界を先生より以上に愛しなさい。天の父を先生より以上愛しなさい。もしも、君の側に先生が倒れた場合、先生のその死体をつかんで泣くな。涙を流すな。先生が愛するその天を誰が愛する? 先生が愛する人類、愛するその天宙を誰が愛する? 責任は誰が持つか。そういう神に対して涙を流す。それは先生が残したい言葉である。

お父様の残したい言葉というみ言に触れたとき、熱いものがこみ上げてきました。

まさに、第二代王亨進様、国進様がすでにその心情と信仰を勝利されておられて、実体的に生活しておられて、そこにお父様が生きて共にいらっしゃること、私はそれをいかに相続するかという事が最重要であると、今回の期間を通して感じたからでした。

そして今回、天一国の理想はどういうものであるのか、ということが心情的にも具体的にも見えてきました。第二代王様や国進様がアメリカの食口と自由に接しているお姿やヨナ様チエ様が献身的に奉仕されておられるお姿を見たときに、天一国がここに成就されているとさらに自信を得ました。

私は自営の農業を山の中でやっていますがそれに対して誇りと自信を持つことができたことも大きな収穫でした。国進様の語られた天一国のビジョンをわずかながら実践しつつあるからです。

 

今回、ホテルの同室で名古屋の佐竹さん、東京の澤田さんと過ごして交流を深めることができたことはこれまた恵みでした。三人で毎朝、敬拝と家庭盟誓、み言の訓読と祈祷を捧げて出発していました。最後の日のみ言訓読は私の担当になりました。それで開いたみ言は平和神経の中の平和メッセージ14「停止は死亡に通じる」という箇所でした。天上世界と地上世界の統一に向かい停止することなく、前進しなさいとお父様から命令を受けての新たな出発となりました。

 

最後に、私は飛行機の関係で成田に一泊して14日に自宅に到着しました。その夜、感想文を書いているときに熊本が大地震に襲われました。私のところの大分も何度も大きく揺れました。

本当に避けることのできない審判が既に始まっています。そうせざる得ない天の心情に立って、備えなければなりません。それは第二代王亨進様、国進様と完全に一体となって天のみ旨に責任を持って歩むことであるので、その心情を忘れることなく、絶えず焦点を合わせなければと実感しました。

今回の路程はあまりにも恩恵が多くあり、ことばで表すことのできない多くの心情があります。それをこれからの生活に展開しようと決意を新たにいたします。

そして江利川会長には先程のことを含めて、色々とお世話になりました。日本より参加した一人一人を第二代王様に繋げようと必死に動いてくださいました。感謝申しあげます。ありがとうございました。

協会本部1 

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イエス様が願う新婦の理念を立てる

お父様のみことば

 

天が任されたみ旨をおいて、イエス様が当時の弟子と、イスラエル民族と、ユダヤ教を愛する心には変わりがありませんでした。しかし無知な民衆、無知な教団、無知な弟子たちでしたから、イエス様はサタンと闘う先鋒者として、独りすべての弓矢を受けられ、彼らに生きる道を開拓してあげるために、受難の道を歩まれたのでした。即ち、ご自身の心のおく深くひそむ心情、天の新郎・新婦の理念を明かして語れる環境を持つことができなかった哀しいイエス様であったことを、今日皆さんははっきりと知らねばなりません。


 それでは、イエス様が行かれて、この地上の我々が喜びの一日を迎えることができる希望の標的として「あなたがたはわたしの新婦」という御言を語られたのですが、今日この新婦の理念はどうなったのか。今だに数千年の歴史過程を経てきて、サタンとの凄まじい闘いに勝利し、このようなイエス様の新婦の立場に立つ者がいないのです。それゆえ皆さんは、二〇〇〇年前に天を代表して選ばれたイスラエルが立てず、愛する弟子たちが立てなかった、イエス様が願う新婦の理念を代って立てなければならず、皆さん自らイエス様の心情に接することを知る人間にならねばなりません。


 それではイエス様の御言は、どんな立場で語られた御言か? 新婦の理念を完成できなかった立場をおいて語られた御言なのです。彼の御言は新郎の立場で、信じる人々が本当の新婦の資格を得て、イエス様の懇切なる事情に通じるために残しておかれた御言であったのです。ですから今日の皆さんは、イエス様がなされた御言の真の意味を解し、イエス様が願った新婦となり、新郎の御言によって立たなければならず、また当時イエス様が感じられた内的な心情を、体恤する場までゆかねばなりません。もしもこのような場までゆく者がなかったら、イエス様が三〇余年の人生路程にわたって語られた、その御言の目的は果たされないということを、皆さんは知らねばなりません。 1957.10.4


私たちはイエス様の懇切な事情に通じるということが一番の願いであります。

そのためにイエス様が願う新婦の立場に立つ生活を実践できるかということです。

また、

新婦の理念を頭で知るだけでなく、心で知り、体で実践することが私たちの目的です。

お父様のみことばから私たちは、イエス様の奥深い心情の世界を知ることができます。キリスト教2000年の歴史の中において、誰ひとりとしてその世界を教えた人も知ったものもいません。


今、私たちは地上にいながらにして、とてつもない事実をしり、それを実践できる位置に立っているということは奇跡的なことです。

亨進様と国進様ご家族 


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イエス様の心情と事情を知る努力

お父様のみことば

それゆえ皆さんは、イエス様が語られた御言の中で、その当時の人々のまえにアボジのみ旨のすべてを打ち明けられなかった事情、天倫の秘密のすべてを明らかにして語れなかった、無限に苦しい心情があったということを、知らねばなりません。もしも皆さんが、このようなイエス様の事情と心情を知らなかったなら、イエス様の御言を本当に理解することができないのであり、その御言を立てるために生きたイエス様の生活も理解できないのであり、地上の万民を救援するために努力されたイエス様のその仕事も、理解できないのです。

 当時のイエス様の心情と、対する人間の心情には、無限の差異がありました。イエス様は自身の心のおく深く染みた御言を語ることができず、その無知な人々を目覚めさすための勧告の御言のみを語られたのです。 1957.10.4

 


イエス様の心情を完全にご存知であられるお父様のお姿があります。
私たちもそうですが、自分の心情を伝えることができる人は自分を越える人にしか心情を吐露することができません。
お父様は神様の心情からイエス様の心情を知って慰めておられます。
私たちはお父様のみことばの背後にあるイエス様の心情、神様の心情を悟りながら今の生活の中で、みことばを実体化することができる恩恵の中にあります。

亨進様笑顔 

捨てられたイエス様の心情と亨進様の心情

お父様のみことば

人々が今まで信じてきたイエス様、また今この時代において多くの人々が歓迎し、キリストと呼び、主と呼んでいるイエス様はその時、地上に来られてそんな栄光を受けられなかったことを、皆さんはよく知っています。

 今日信じている我々自身は無論ですが、当時の人々の中にはイエス様が残していかれた御言を、天の御言として信じた人間がなく、その御言を自身の命を代身する御言として信じる人間が、まるでいなかったのです。

 このように地上に来られたイエス様でしたが、地上の人々からは歓迎されなかったのです。個人を代身して、彼を心から歓迎した人間が一人もなく、家庭を代身して、彼を歓迎した人間が一人もいなかったということを、皆さんは知らねばなりません。

 イエス様は三〇年の歳月を、ヨセフとマリアの家庭で生きたのですが、その家庭では誰もがイエス様が抱いているその心、イエス様が願っている所望、イエス様の生活とやるべき事が何であるかについて、無知であったのです。のみならず、イエス様がされた御言の深い意味を理解し、イエス様をキリストとして迎える者がいませんでした。むしろイエス様を不信して捨てる立場をとったのが、イエス様の家庭であったのです。

 家庭において捜し立てるべき摂理的使命があり、個人に対して捜し立てるべき使命があり、また生活を通して、仕事を通して捜し立てるべき使命が、イエス様にはあったのですが、その当時のユダヤ民族の中には、そんなイエス様の使命を自身の命と感じる人間が、一人もいなかったのです。1957.10.4


2012年は真のお父様93歳、亨進様33歳の時です。

真のお父様が37歳の時に語られたみことばの中に、イエス様の奥深い心情の世界を語られています。

神様の一人息子として4000年準備してきたお方を十字架に道に追いやってしまったユダヤ民族でした。

今また、その悲劇が繰り返されています。

私たちは、地上におられたイエス様の使命を自身の命として感じる人間としての道を貫かなければならないことを感じます。

亨進様と国進様2 


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プロフィール

sanctuaryooita

Author:sanctuaryooita
日本サンクチュアリ協会大分教会
 阿南信義  080-8375-0337
大分の山奥で農夫をしています

       sanc16ooita@yahoo.co.jp
お気軽に連絡ください。お待ちしています。

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