新たな出発の基点として

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ながらくご無沙汰していました。久方ぶりの更新です。

4月10日、キリスタン研究家の宮本さん御夫妻を大分に迎えることができました。
そして、宮本さんから貴重な証をいただきました。新たな出発点として、ここに記載いたします。


大分サンクチュアリ教会訪問記
 「父ならびに御子キリストとの交わり」
         ―キリシタン霊人再臨復活の証し―
                         長崎県島原市・宮本次人

 桜が満開の季節、4月9日から10日にかけて夫婦で大分に出かけ、サンクチュアリ教会(阿南信義教会長)の食口たちと再会した。10日午前10時半から約2時間、座談会形式で豊後のキリシタン史について話したあと、雨の中、土屋チエ子さんの案内で野津のキリシタン遺蹟を訪ねた。
 それらの交わりを通して、私はキリシタン先祖たちが食口たちに再臨し、復活する現象を多々、目撃した。具体的にどのようなことであるのか―阿南教会長夫人は座談会後、その事例を伝えてくださったが、野津のキリシタン遺蹟地を訪ねたとき、案内してくれた土屋チエ子さんの霊の親・吉田映子さんが、道すがら直接話してくださった。
 「…先ほど(教会で)宮本さんがキリシタン時代に(記録に)出てくる大分の地名とキリシタン武将たちの名前を上げられましたね。そのとき、たくさんの霊人たちが来て、私は体を揺らさないと座っておられないほどでした。そして霊たちが、『よくここに来てくださいました。このような時が来るのを長く待っておりました。わたしたちのことは今まで誰も理解してくれませんでしたが、今ようやく分かってくださって、…』と言って、涙を流されるのです。その感動でいっぱいになり、いたたまれなくなって私は隣の部屋に行って泣いていました。」と―。
 同教会の先駆的サンクチュアリアン・上野涼子さんと会話しているときも、同じようにキリシタン先祖が来て、復活している姿を目撃した。集った食口たちは、みなさんがとにかく熱心だった。数えきれないほどのキリシタン先祖たちが共にいて、お父様の聖霊の役事を受ける、恵み深いひとときだった。

 今回の大分訪問の第一の目的は、100家庭復帰を勝利した同教会の運勢に触れること、そして、地元の食口たちから直接、地元のキリシタン史の伝承を聴くことだった。
去る2月3日、福岡のアメリカ領事館訪問のとき、熱心に私にそのことを話してくれた土屋チエ子さんが、このたび、実家がある野津町の「東光寺」集落の、おそらくキリシタン時代にキリスト教会が建てられていたと思われる場所―地域住民が大切に守ってきた「東光寺(じつは神社)」―を案内してくださった。そこは山の斜面に40軒ほどが美しい自然とともに生活している静かな集落―「サンダーラ」や「ヒランコン」、「オバネ」、「ハンノクボ」など異国的な地名が遺り、13人が(統一教会に)復帰されるという奇蹟の地であった。わたしはその場を散策し、佇みながら、ここは禁教時代、秘かに集会(礼拝)を持ち、コンチサンの祈りを捧げた場所である、と思った。また、土屋さん、吉田さんとしばらく話し、主の祈りを捧げた。そこでもまた、吉田さんが「宮本さんの声を聴いて、霊たちが来て喜んでいます。」と証した。
 原理講論・復活論にある「キリスト教を信じて他界した霊人たちの復活」が、そのまま成就している現象に、私はなかば驚きと感動を覚え、これは一体どうなっているのだろうか?と自問した。2月12日、東京のサンクチュアリ本部教会で講話をしたときも、同じような出来事に遭遇した。

 三重町の宿所に帰り、熱心に案内してくれた土屋さんに感謝のメールを送った。「ご丁寧に案内していただき、ありがとうございました。野津のキリシタン史の風景が(私の)目に焼き付きました。素晴らしいふるさとです。…」と―。すると、すぐに土屋さんから電話があった。「自宅に着いた途端、わたしの背中の方から〃ああ、よかった!〃という先祖たちのうれしい想いが来て、土間に座り込んでしまいました。安堵感でいっぱいになりました…」。
                  
 
 阿南教会長ご夫妻が準備してくださった大分のサンクチュアリ食口たちとの「交わり」を通して、私は、地上の聖殿食口たちの交わりは、そのまま先祖霊人たちとの交わりであり、再臨主に仕える地上「聖徒」たちを通した「霊人の再臨復活」の場であること。そこには天の父とイエス様、再臨主お父様が共におられることを、強く実感した。

 「あなた方が地上で解くことは、すべて天でも解かれ、地上で結ぶことは天でも結ばれる」(マタイによる福音書18章18節)の聖句を抱いて、長年そのことが成ることを願いつつキリシタン史を訪ね歩いて来たことだが、今、その聖句が実際に成就している奇蹟のような現実を見て、驚きと感動を覚えます。と同時に、このような者を用いてくださる天の父、再臨主お父様の愛がひしひしと感じられます。
 一夜明けた今朝(4月12日)、そんなことを考えていたら、亨進様が4月5日のキングス・レポートで用いられた次の聖句が飛び込んできた。
 「わたしたちの交わりは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。」(ヨハネの第一の手紙1章3節)。
 サンクチュアリ食口たちとの交わりは、御子イエス・キリスト、真の血統の親であられる再臨主お父様との交わりであると、本当にそう思います。
 貴重な体験をさせていただいた大分の食口のみなさん、ありがとうございます。6月28日に、またそちらに向かいます。よろしくお願いいたします。
                        2017年4月12日記。
 


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いつお父様のみ前に私は立つのか

お父様のみことば

今日までキリスト教は、聖書の中の神様のみを信じてきました。しかし神の中にも信仰があったのです。神様ご自身も無限なる創造の理念がある限り、この理念を実現させるための信念があるのです。神ご自身も信じておられる何かがあるのです。それゆえ我々は無限大の信仰を、追究してゆかなければなりません。我々がこのような信仰を所有すれば、聖書の中のすべての御言を信じることができるのです。
 また聖書の中のすべての御言を信じるならば、イエス様がこの地上に来て語られなかった御言までも、考えることができるのです。それでイエス様が語られなかった部分を、皆さんが捜し求めることによって宇宙的な疑心の峠を越え、宇宙的な死亡と苦難、そして宇宙的な罪悪歴史を経てきた先祖を、慰めることができるのです。

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 皆さんが今、信仰の主体である主様を信じているのですが、イエス様を信じることのみに止まっていては駄目です。皆さんはイエス様を信仰によって、その信仰の条件を通して永遠の生命において、イエス様と関係と因縁を結ばねばなりません。そして皆さんはイエス様と信仰の関係を結ぶその基の上で、神の実存まで感じなければなりません。皆さんが真にイエス様を信じるならば、このようになることができるのです。
 無限なる信仰の路程を探究してゆく人々は、無限なる発展を成すことができるのです。今日一般キリスト教徒たちは、こんな事実を知らないでいるのです。このような無限の信仰の理念のとりこになって、天国が成ることを願う真の信仰者を、天は待っておられるという事実を、皆さんは知らねばなりません。1957.9.8

亨進様笑顔

亨進様は聖書を学ぶことを重要視されておられます。
聖書の中の悲惨な歴史の中にある神様の心情を知ることによって、本来の信仰を取り戻すことができるとされます。
特に、日本人は仏教の中においても、空海、日蓮、といった人間を信仰する体質が強く残っています。また、組織を重要視する体質があり、神を見ないで、人を見る信仰となっています。
「八甲田山」の映画のごとく。

今、世界が混乱する情勢の中にあることは、天の摂理において、混乱する状況を迎えているからであり、私たちはその責任において本来の信仰を取り戻すことを願われています。
根本に帰らなければなりません。
まだ、様子を見るといったシックも多いかと思いますが、一人の行動で世界が変わります。
様子を見るといった姿勢ではなく、
問題の本質を見抜き、どこにお父様はおられるのかを、早急に判断しなければ取り返しのつかない事態となります。

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聖書に精通され、イエス様を慰めておられるお父様であり、聖書をいつも重要視される亨進様は神様の摂理の一直線上に立っておられます。
私たちも決してずれることなく、もとに集いましょう。


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イエス様の心情を慰められる真のお父様

真のお父様のみことば

今皆さんは自分が信仰生活をしていて、どの程度にイエス様が願う新婦の資格を得ているか、反省して見なければなりません。皆さんは生活において、真にイエス様のことを求めていますか? 真にイエス様の理念を実践するために、努力していますか? 即ち、言葉においてか仕事において、皆さんはイエス様の言葉と仕事を代身しようと骨折っていますか? これを皆さんは、反省して見なければなりません。

 そうして皆さんは自分の生活が、その当時のイエス様の理念と関連している生活、その当時のイエス様の仕事と関連している行動をしなければならず、また天を代身して地上に来られたご自身の理念のすべてを失って行かれたイエス様の、内的な悲しみをすべて受け継ぎ、さらにはその悲しみを解いてあげなければなりません。このような使命が皆さんそれぞれに与えられていることを、はっきりと知らねばなりません。1957.10.4

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真のお父様はイエス様の願いが何であるのかを切実に訴えておられます。誰よりもイエス様の心情をご存知であられるからです。それはイエス様と同じような悲しみ、苦労、犠牲の道を通過されたお父様であったからです。

 私たちはイエス様の心の内をかくも明白に語られるお父様をなんの疑いもなく再臨のイエス様と確信することができます。

そのようにして、私の命を神様に繋げて下さるお父様に只々感謝申し上げる次第です。

 今、後継者は誰であるか。

イエス様の心情を誰よりも証し、慰められたお父様の如く、お父様の心情を誰よりも証し、慰める方が代身者、相続者であることに間違いありません。

 ましてや、自分を誇ることを第一義に考える方がそうであるということは有り得ない話です。イエス様のとき、イスラエル民族はイエス様の心情に立つことができず、自分たちの観念の中でイエス様をみて、結局は十字架にかけてしまいました。背後のイエス様の心情、神様の心情に立つことができなかったことを私たちはお父様のみことばから知っています。

 今再び、お父様を不信し、亨進様を不信し、十字架に追いやっている事態となっています。

そのことを、いかに打開して、本来の姿を取り戻すか。

そのために、

 私の生活がイエス様の理念と実践し、お父様の理念と伝統に完全に一致することが最重要な課題であることを自覚します。

亨進様と国進様1 

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イエス様が願う新婦の理念を立てる

お父様のみことば

 

天が任されたみ旨をおいて、イエス様が当時の弟子と、イスラエル民族と、ユダヤ教を愛する心には変わりがありませんでした。しかし無知な民衆、無知な教団、無知な弟子たちでしたから、イエス様はサタンと闘う先鋒者として、独りすべての弓矢を受けられ、彼らに生きる道を開拓してあげるために、受難の道を歩まれたのでした。即ち、ご自身の心のおく深くひそむ心情、天の新郎・新婦の理念を明かして語れる環境を持つことができなかった哀しいイエス様であったことを、今日皆さんははっきりと知らねばなりません。


 それでは、イエス様が行かれて、この地上の我々が喜びの一日を迎えることができる希望の標的として「あなたがたはわたしの新婦」という御言を語られたのですが、今日この新婦の理念はどうなったのか。今だに数千年の歴史過程を経てきて、サタンとの凄まじい闘いに勝利し、このようなイエス様の新婦の立場に立つ者がいないのです。それゆえ皆さんは、二〇〇〇年前に天を代表して選ばれたイスラエルが立てず、愛する弟子たちが立てなかった、イエス様が願う新婦の理念を代って立てなければならず、皆さん自らイエス様の心情に接することを知る人間にならねばなりません。


 それではイエス様の御言は、どんな立場で語られた御言か? 新婦の理念を完成できなかった立場をおいて語られた御言なのです。彼の御言は新郎の立場で、信じる人々が本当の新婦の資格を得て、イエス様の懇切なる事情に通じるために残しておかれた御言であったのです。ですから今日の皆さんは、イエス様がなされた御言の真の意味を解し、イエス様が願った新婦となり、新郎の御言によって立たなければならず、また当時イエス様が感じられた内的な心情を、体恤する場までゆかねばなりません。もしもこのような場までゆく者がなかったら、イエス様が三〇余年の人生路程にわたって語られた、その御言の目的は果たされないということを、皆さんは知らねばなりません。 1957.10.4


私たちはイエス様の懇切な事情に通じるということが一番の願いであります。

そのためにイエス様が願う新婦の立場に立つ生活を実践できるかということです。

また、

新婦の理念を頭で知るだけでなく、心で知り、体で実践することが私たちの目的です。

お父様のみことばから私たちは、イエス様の奥深い心情の世界を知ることができます。キリスト教2000年の歴史の中において、誰ひとりとしてその世界を教えた人も知ったものもいません。


今、私たちは地上にいながらにして、とてつもない事実をしり、それを実践できる位置に立っているということは奇跡的なことです。

亨進様と国進様ご家族 


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イエス様の心情と事情を知る努力

お父様のみことば

それゆえ皆さんは、イエス様が語られた御言の中で、その当時の人々のまえにアボジのみ旨のすべてを打ち明けられなかった事情、天倫の秘密のすべてを明らかにして語れなかった、無限に苦しい心情があったということを、知らねばなりません。もしも皆さんが、このようなイエス様の事情と心情を知らなかったなら、イエス様の御言を本当に理解することができないのであり、その御言を立てるために生きたイエス様の生活も理解できないのであり、地上の万民を救援するために努力されたイエス様のその仕事も、理解できないのです。

 当時のイエス様の心情と、対する人間の心情には、無限の差異がありました。イエス様は自身の心のおく深く染みた御言を語ることができず、その無知な人々を目覚めさすための勧告の御言のみを語られたのです。 1957.10.4

 


イエス様の心情を完全にご存知であられるお父様のお姿があります。
私たちもそうですが、自分の心情を伝えることができる人は自分を越える人にしか心情を吐露することができません。
お父様は神様の心情からイエス様の心情を知って慰めておられます。
私たちはお父様のみことばの背後にあるイエス様の心情、神様の心情を悟りながら今の生活の中で、みことばを実体化することができる恩恵の中にあります。

亨進様笑顔 

捨てられたイエス様の心情と亨進様の心情

お父様のみことば

人々が今まで信じてきたイエス様、また今この時代において多くの人々が歓迎し、キリストと呼び、主と呼んでいるイエス様はその時、地上に来られてそんな栄光を受けられなかったことを、皆さんはよく知っています。

 今日信じている我々自身は無論ですが、当時の人々の中にはイエス様が残していかれた御言を、天の御言として信じた人間がなく、その御言を自身の命を代身する御言として信じる人間が、まるでいなかったのです。

 このように地上に来られたイエス様でしたが、地上の人々からは歓迎されなかったのです。個人を代身して、彼を心から歓迎した人間が一人もなく、家庭を代身して、彼を歓迎した人間が一人もいなかったということを、皆さんは知らねばなりません。

 イエス様は三〇年の歳月を、ヨセフとマリアの家庭で生きたのですが、その家庭では誰もがイエス様が抱いているその心、イエス様が願っている所望、イエス様の生活とやるべき事が何であるかについて、無知であったのです。のみならず、イエス様がされた御言の深い意味を理解し、イエス様をキリストとして迎える者がいませんでした。むしろイエス様を不信して捨てる立場をとったのが、イエス様の家庭であったのです。

 家庭において捜し立てるべき摂理的使命があり、個人に対して捜し立てるべき使命があり、また生活を通して、仕事を通して捜し立てるべき使命が、イエス様にはあったのですが、その当時のユダヤ民族の中には、そんなイエス様の使命を自身の命と感じる人間が、一人もいなかったのです。1957.10.4


2012年は真のお父様93歳、亨進様33歳の時です。

真のお父様が37歳の時に語られたみことばの中に、イエス様の奥深い心情の世界を語られています。

神様の一人息子として4000年準備してきたお方を十字架に道に追いやってしまったユダヤ民族でした。

今また、その悲劇が繰り返されています。

私たちは、地上におられたイエス様の使命を自身の命として感じる人間としての道を貫かなければならないことを感じます。

亨進様と国進様2 


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プロフィール

sanctuaryooita

Author:sanctuaryooita
日本サンクチュアリ協会大分教会
 阿南信義  080-8375-0337
大分の山奥で農夫をしています

       sanc16ooita@yahoo.co.jp
お気軽に連絡ください。お待ちしています。

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