のこりの人生と伝道戦略

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のこりの人生と伝道戦略

先日、久方ぶりにテレビを見ていたところ、共感できる番組に出会いました。

「ポツンと一軒家」という番組の中で、山の中の一軒家を尋ねていく様子を紹介していました。我が家も山奥の田舎なので、ふと見入っていました。その中で、80代の年齢の男性の方が20年かけて、山に桜の木を植え続けて、4000本を65ヘクタールの自分の山に植樹して、それが大きくなって、今では街のほうからその季節になると大勢の観光客がこられるといいます。


その男性は60代のはじめのときに大病を患い、余命宣告を受けたといわれます。あと半年か一年と看護士たちが話していたところを聞いて、自分の人生を考え、これから残された人生をどうするかを深刻に考えたそうです。それで決めたのが山に桜の木を植えていっぱいにすると決意したと言います。


そうして無我夢中にやっているときに、それに同意する仲間が集ってきて、4000本植えることができて、いつの間にか自分の余命宣告をとっくに過ぎて、20年経ってしまったという内容でした。


まとめてみると
①大病を患い余命宣告を受けた。
②これからの人生をどうするかを考え、目標を決めた。
③65ヘクタールの山を桜の木でいっぱいにすることを決意した。
④苗木一本1200円を自己投資しながら、無我夢中で投入した。
⑤その姿をみて同意する仲間がつどい、いつしか4000本になっていた。
⑥毎年、季節になると多くの観光客が集ってくるようになった。
⑦余命宣告をはるかに超えて、20年経っても元気である。


この番組を見ながら、
伝道のことを考えていました。


私には何も財産というものはないけれども、真のお父様からいただいているみことばと愛の結晶である祝福を受けている立場です。それは歴史上初めて、メシヤを地上でむかえて、勝利の内容を受けついている氏族メシヤの立場でもあります。

しかし
余命宣告を受けているのも等しい、残すところの人生も少なくなってきました。
これからの人生をどのようにするのか。目標はどうなっているのかを明確にせねばと思います。


山に桜の木を植えることもすばらしいと思いますが、それはいずれは消えていきます。神様の心情と血統を植え付けることをするならば、永遠の桜の輝きをはなつ祝福家庭が咲きほこることになります。それは消えることはなく、永遠の天国が出発することができるこれ以上の目標はありません。


無我夢中になって、一本一本植えたように、一人一人を大事にすることが重要であることに気がつかされました。そうしていけば、ともに伝道する仲間がふえて、時間とともに比例的に勝利することができていくことを教えられました。


それでこちらをまとめてみると
①のこりの人生は決まっているので余命宣告を受けている立場であると自覚する。
②永遠の価値のある目標に目覚める。それは伝道。
③伝道のために無我夢中に投入する。すると仲間が集まってきる。
④ひとりひとりを真心から伝道する。
⑤多くの祝福家庭が増えてくる。山に咲き誇る多くの桜のごとく。
⑥何のための人生であったかを神様に堂々と報告することができる。


今回、また新たな完成期の祝福「天宙天地人真の父母様生命の書入籍祝福式」というとてつもない恩恵を与えられています。二代王様は「人間であるならば誰にでも与えてください」と語っておられると聞きました。

そのことに目覚め、あたらな出発をすることを決意する者です。



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オリンピックの同時性と私たちの責任

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オリンピックの同時性と私たちの責任


1960年3月に真のお父様は十字架にいかれてイエス様が成しえなかった父母としての立場に立たれました。真の父母として出発される1956年からの3年間に真のお父様はイエス様に関する多くのみことばを語られておられます。そのみことばを訓読すると、真のお父様がイエス様の心情の真髄をよくよくご存知であられ、心情のすべてを代弁しておられるお姿がわかります。


真の父母として出発される前に独身のまま、孤独な立場のイエス様を解放成される路程を16歳のときから、一貫して歩まれてこられ、ご聖婚(1960年)される前に、特に具体的にその心情を吐露されておられます。


1976年10月に真のお父様は父母としての世界的21年路程を通過されて、世界的な長子権を勝利されました。その勝利権を相続させようとしてくださったのが、家庭教会氏族メシヤ摂理でありました。そして1980年から二次21年路程が私たちの責任分担として出発しました。本来は真のお父様は1988年までの7年間でそれを勝利することが願われていました。


1980年前後の家庭教会摂理に関するみことばでは、7年間で84数を復帰するんだと何十回、何百回と語られておられます。その数字はイエス様を解放する12弟子、72門徒で私たちは祝福を受けた立場でイエス様を慰め、その心情を通過した基準を立てなければならないと深刻に語られておられます。一ヶ月ひとり伝道すれば7年で84名できると。


そうしてはじめてイエス様の立場を蕩減復帰した小メシヤ、氏族メシヤの立場に立つことができることを原理的に語っておられます。
そうしなければ天国に行くことができず、また地上に天国をつくることができないというみことばを繰り返しくださいました。


それで本来ならば、家庭教会摂理が1988年までにひとつの基準となっていたならば、アベル圏の確立が世界的に立っていました。ちょうど、ソウルオリンピックのときでした。
真のお父様は1988年に目標を決めておられて、チャンスを待っておられたとおられます。そのときは40年前に韓半島が分断されたときで、世界的な蕩減をすべき1988年だったと思います。しかし、家庭教会摂理は勝利されておらず、真のお父様は象徴的に勝利圏を立てられました。それが世界統一開天日でした。


真のお父様の氏族メシヤに対するみことばは84数のほか、124数、160数、180数、360数、430数があります。
本来、イエス様の十字架を解放する祝福家庭の立場は84数がその根本です。それを土台として430数の民族解放数まで責任があるということです。実際1990年代には160数、180数を語られています。真のお父様はあくまで、一ヶ月ひとりの伝道が基準ですので、1980年から20年立てば当然ながら、240数となります。今は38年立っていますので、456数となります。


ですが、最初は12弟子、72門徒の84数をまず、絶対的に目標としなければ、その数も到達することはできませんので、そのための伝道戦略を明確に立てることが必要と思います。でなければ、観念的になってしまいます。


本来ならば、2013年に基元節をむかえて、二代王様を中心として世界的な基盤を築いていたならばそれから、7年後、2020年は今度は東京オリンピックです。
世界的なアベル圏とカイン圏が日本でひとつになることができ、かつての1988年のソウルオリンピックを蕩減する絶好のチャンスを迎えていただろうと思っていました。


そのような観点から、今回の2018年の天宙天地人真の父母様生命の書入籍祝福式がどれほど重要であり、本物として生まれ変わらなければならないときであることを感じます。そのために本物の決意をしなければならないと思います。


神様、真の父母様、二代王様は完全に責任を果たしておられます。人間は一方的に恵みはもらっていますが、まだ、責任を果たしておりません。
その責任である家庭教会氏族メシヤ摂理、84数復帰に対してとことん意識して挑戦せねばならないと思います。



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生まれ変わって新たな出発です

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生まれ変わって新たな出発です


私は今日、退院となります。
ちょうど21日間この病院にいました。
私のためにご心配いただき、祈りと励ましをくださった皆様に心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。


この21日間、多くのことを教えられ、原点に帰りました。
本来ならば、この病気はそのまましていれば、死にいたる病気です。それを西洋近代医学の進歩によって、原因を発見し、手術ということになりました。そして無事に快復しました。

歴史的な恩恵によって、神様からまた、新たな生命をいただいたように思いました。
その原点を忘れず、神様が願われる方向を、神様の声を聞きながら、二代王様を支えるために前進していきたいと思います。

このブログは「家庭教会氏族メシヤ摂理の勝利」を掲げて出発していますが、さらに段階をあげて、具体的に進めたいと思っています。
家庭教会氏族メシヤ摂理が勝利しない限り天国はできないと語られている真のお父様のみことばをなんとしても成就したいと思っています。

それ以外やることはありません。これからもよろしくお願いします。



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家庭教会氏族メシヤ伝道と神の王国の姿

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家庭教会氏族メシヤ伝道と神の王国の姿


マタイによる福音書18章1節から5節
そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。 また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。


二代王様のみことば  2016.4.6
不思議でしょう?平和軍警察は天使軍警察、アガロス軍警察。天使は、天使は、見てください。天使は聖書で見ると神の伝達者(メッセンジャー)、伝達者。伝達者だけでなく、神の軍ですよ、軍。 軍。天使達は神の軍ですよ、軍。神が他の者達を滅亡させる時、天使を神の軍として送ります。私達は天使と言うと(両腕を羽ばたくように動かして) あ~、あ~、このようにしますが、天使は軍です。軍。平和軍警察は聖書の中で言えば、聖書の中で言えばアガロス、天使です。平和軍警察は、私の町で社会主義者達が立ち上がって暴行しながら革命を起こしたら、市民達がその人達をおろし市民達がその人達を捕まえ牢屋に入れます。天使達は「毒麦?」「雑草」を採って火に投げなければならないように。市民達が天使軍警察だから、市民達がその共産主義者達を捕まえ牢屋に入れます。平和軍警察だから。その部分で国の、国、全ての人達を保護する者になります。保護する者。

イエスがどんなふうに言いましたか?神の王国で最も高い人は僕(しもべ=天使)です。人々を愛して侍る人です。天一国で全ての市民達は王の権利があります。王の所有権を持つことが出来、王の武器を持つことが出来ます。その所有権を保護することが出来ます。だから王の権利は全てありますが、しかし、最も高い人は神の王国で最も高い人は誰?何ですか?僕です、僕。王ですが天使です。理解出来ますか?王ですが他の人を保護します。近所の人を保護します。王ですが警察軍です。ああ、理解出来るでしょ。自由と責任があります。私の兄弟を保護する者。



私たちは伝道するときには、その伝道する人の気持ちを理解し、同情して僕の心情でつくすようにします。そうしてはじめて、その方の心が動いてくるようになります。
人間を復帰しようとすれば、僕の位置に立たなければそれができません。天使を復帰しようとすれば僕の僕の位置に立たなければ復帰ができないというのが原理です。


それは神の王国、天一国がそうだからです。二代王様は「王様が僕です」。と語られています。天使の立場が僕です。その位置がもっとも高いというのが神の王国の姿だということを私たちは理解することが必要です。


私もこのブログで家庭連合の組織のあり方を二代王様のみことばから提案してきましたが、この思想を理解するには相当心をいれかえ、頭を切り替えないとわかりにくい体質がとくに、日本人の中にしみこんでいます。それで今まで日本の摂理は失敗してきました。

どうしても人間信仰になりがちだからです。教会長は真の父母様の代身とかいって、その位置を神格化しようとします。それが間違っています。教会長は天使長という位置、僕であり、各家庭を保護し、天一国の主人とするために助け、愛していく立場であるということを気がつかなければ、共産主義体制とおなじになってしまいます。それでは地獄はできても天国はできません。


二代王様が語られる神の王国の姿をそのごとく、実践していくならば、氏族メシヤ伝道ははるかに進むであろうことを確信しています。その伝統をいかにたて、浸透させるかで、私たちは本物の氏族メシヤとして立つことができると思います。
氏族メシヤ伝道はこの地上に神の王国を今まさに実現していることになります。だから僕、天使の立場で実践することが必要となります。


氏族メシヤが立たない限り、神の王国は不可能です。なぜなら、真のお父様はそのためにご苦労されて、人間がイエス様の十字架を解放していくことのできる道を整えてくださいました。

人間がこの地上でイエス様の十字架を解放しない限り、天一国は実現することができません。氏族メシヤが勝利しなければ、神の王国は遠くなってしまいます。
12弟子、72門徒を早く立てることが私たちの目標です。それを勝利しなければ、氏族メシヤ王として立つことができません。頑張って行きたいと思います。


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地獄の底から神様の解放をなされた真のお父様のご苦労を人間が地上で相続しなければ天一国は始まらない

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地獄の底から神様の解放をなされた真のお父様のご苦労を人間が地上で相続しなければ天一国は始まらない


真のお父様のみことば
神様のみ旨を成し遂げてさしあげようと決意したことを私はよく知っています。神様の愛がこのようなものであるということを知り、ひざまずいて感謝し、許しの道を行かなければならないということをよく知っている人物です。血が吹き出しても解放の道を行かざるを得ない怨恨の神様だということを知る者はいません。私は拷問を受け、倒れそうな立場にあっても神様の前に祈祷をしませんでした。

私は追い回されましたが、私を助けてくださいと、神様の前に私の行く手を守ってくださいと、私を救ってくださいと祈祷するような人ではありません。私は男としての自分の余力をもっており、自分の気概をもっており、闘うことのできる自体力をもっている人間です。私の力が足りなくて意識を失い倒れたならば助けてくれるであろうから、それまでは自分の力で……。私が行く前に神様が先に準備して待っているということを知っているのです。
 天聖経 真の神様


真のお父様のみことば
皆さんがホーム・チャーチの話を聞くだけでやらずに死んだとすれば大変なことになります。霊人たちは地上の人たちを信じてホーム・チャーチの基盤が築かれるまでは何十年でも何百年でも何万年でも待たなければならないのです。霊界に行ってから天国に入ることはできないのです。原理がそのようになっているからです。1983.1.1


真のお父様は神様を解放なされるために、地上であらゆる迫害、拷問を受けられながら、耐えて、神様の真の息子としての勝利をなされ、完全に神様と一体となられました。この地上において神様のお姿を実体的に慰められ、解放されました。


真のお父様が通過されて来られた道は決して、私たちは耐えることができず、通過することは不可能な苦難の路程であることは間違いありません。真のお父様は父母として、その勝利基準を個人から世界天宙にいたるまで勝利を完全になされたことを通して、人間の救いの道が開かれ、天国の門が開かれました。


それで、
その神様の解怨成就を個人から天宙までの基準で父母として勝利なされて、おられる真のお父様の、その心情の基準を相続する使命を人間に与えてくださいました。人間が象徴的にその基準を立てない限り、天一国は出発することができないのが原理です。


無形で絶対的な愛の神様は実体を持って、アダムとエバの姿をとおして完成してはじめて、神様が完成さなるというのが創造原理です。人間の中に神様の愛の姿が完成しなければ天国はできないという原則を私たちは知っています。


また、実体を持って地上で繁殖しない限り、霊界では繁殖しないというのが創造原理の六節です。
人間が地上で勝利された真のお父様の愛の姿を相続し、完成しなければ霊界では相続し、繁殖することができないということになります。ですから、この地上が問題です。地上で真のお父様のお姿を象徴的に相続した基準を立てない限り、サタンは人間から離れることはありません。また、天国人の繁殖もできません。


ですからイエス様は「地上でつなぐことは天でもつながれ、地上で解くことは天でも解かれるであろう」と語られています。地上で真のお父様の心情を相続した基準を立てない限り天一国は決して始まらないというのが原則となっているがゆえに、霊界の人々はどうすることもできずにひたすら、そのときを待ってきました。


今、私たちが真のお父様から任されている家庭教会氏族メシヤの摂理はこの地上で勝利しない限り、天上ではなされることはありません。もしできないまま霊界に行ったとしたら、計り知れない後悔の念を持つことになるのは間違いありません。
それでないと天一国はできないからです。

どんなことをしても勝利せねばと思います。


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教会長は天使長にたいするさらなる考察

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教会長は天使長に対するさらなる考察

1月3日の当ブログで家庭連合教会長様に対する提案をしました。その二番目の内容についての意見をいただきました。サンクチュアリの兄弟からのメールです。


当ブログからの引用
2、教会長はアベルではありません。(教区長、地区長、会長、総会長も)

教会長はアベルといった間違いを統一教会時代から今に至るまで、犯しています。教会長はアベルではなく、天使長です。それはなぜかというと、本然の世界のはじめは、神様とアダムとエバ、そして天使長しかいません。アダムとエバは神様の息子、娘であり、主人となる立場でした。天使長はそのアダムとエバを育て、神様につなげる立場でした。

その立場を間違えたのが堕落です。天使長がエバをそしてアダムを主管することによって神様の血統は奪われ、サタンの血統となっているのは堕落論で知るところです。

家庭盟誓でいつも、天一国主人私たちの家庭は。というのは天国の姿がそうであるからです。アダムとエバが主人であるように、各家庭が主人でありますので、教会長やすべての公職者は天使長であるということになります。

それを教会長はアベルとか、神様に近いとか、真の父母の代身とか、いいながら堕落した天使長が主管するのと同じで、人間を中心とする中央集権体制を維持しようとします。それはサタンの体制で、神様の願う姿ではないことを知らなければなりません。

天国では上下の関係はありません。神様の愛を中心として交流がなされる自由で活発なコミニケーションがとられた喜びにあふれた世界になります。 
 引用終わり


そのサンクチュアリの兄弟からメールの内容は

私が「教会長は天使長です」とはっきりと言い切るのは誤解を招くのではないかと言います。
どのような誤解を招くのかというと

・シックが教会長が天使長だというと自分より下であるから、主管性を転倒する。
・それによって、教会長や責任者に反発をもつシックが出てくる。
・神様の意思伝達をする人が必要で、その権限や責任をもつ人がアベルでそのルートをとおしてカインであるシックに伝わるのではないか。そのためにアベルが必要ではないか。
という意見でした。

それに対する私の意見をメールで送りました。


私の返信
○○さん、メールありがとうございます。

「教会長、責任者は天使長です」といわれたのはもともと国進様です。
天一国主人が家庭なので責任者はアベルではなく天使長だとおっしゃったのを直接聞きましたし、どこかに残されていると思います。

それに私も同感しました。そして、原理的にも本然のはじめの状態では神様とアダムとエバ、天使長しかいませんでしたし、天使長の役目はアダムとエバを神様につなげて、主人となってすべてを治めるように助ける役目でした。

ですから、アダムとエバである各家庭を教育し、援助していくのが、教会長、責任者であると思っています。
アベルは三代王権です。それ以外はみな天使長の立場といえます。

今まで教会長、責任者がアベルであるとお父様は言われていないのにかかわらず、勝手に解釈してきました。それで多くの間違いを犯してきました。

私は2年間、サンクチュアリの教会長を担当し、そのことをいつもみんなに語っています。「教会長は天使長です。皆さんが主人です」とたえず、言って来ていますが、
それで、主管性を転倒されたと一度たりとも感じたことはありません。みんな私の意見や指導内容に対して受け入れてくれていて、意見はあっても反発することはほとんどありません。もし、あってもそれはいいと思っています。


○○さんのメールからの引用
ただ、組織の運営上、権限を任せられる内容を持つ者であり、責任を持つ覚悟がある者という前提でアベルの立場に立たされていると思うです。
天国を人体に例えて、神様と真の父母様が脳、命令を伝える神経がアベルと呼ばれる信徒、各細胞がカインとしての信徒とするならば、アベルはカインの為に頭脳の命令を正しく伝える責任があります。
逆にカインは正しい命令ならば受け取る責任があります。
  引用終わり


権限があるのは家庭であり、責任を持つのも家庭であります。だれか特定の人にその権限があるとするならば、それは中央集権体制となります。
天一国はそうではない。というのが、二代王様や国進様のご指導だと考えています。

権限や責任をとらなければならない各家庭を支えるために、助けるために、教会長や責任者がいて、ことが進むようにするというのが本来の姿だと思います。
神様からの伝達は三代王権を通じて、直接各家庭に伝達されて、機能するようになります。天一国主人は王様に直接つながるべきです。
その伝達がうまくいかないとき に、天使長が助けるようにすることになります。


上下関係でない自由で平等な意思伝達関係ができることが教会発展につながってきます。もし教会長、責任者がアベルで神様や王様に近く、私の言うことが正しいので聞くべきであると考えるならば、それは家庭連合と同じ、中央集権体制、独裁体制をうみだし、発展はしなくなると思います。


「教会長は天使長です」と思い、主張して、実際やってみればわかることです。そのほうがはるかに自由な雰囲気を生み出し、活発になるということに気がつきます。
天使長だから、自分の下だと思う人はいません。なぜならば、本人は神様の愛と真理をたえず、実践しているからです。

そして、教会長本人 も天使長であると同時にアダムとエバの立場ですので、天一国主人として王様にはべり、天一国の実現にむけて、最先頭で実践していくようにしますので、なんら違和感などありません。

また、ご意見ください。






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僕の僕の姿でつくされるイエス様は神様の姿

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僕の僕の姿でつくされるイエス様は神様の姿


この病院に入院してもう18日目となりました。
経過はいたって順調で何の問題もなく回復しています。


まだ、身体に管がついているので、シャワーを浴びることができません。それで家内が時々、足を洗ってくれます。今まで人に足を洗ってもらうという経験がないだけに、とてもいい気分になります。不思議と優越感を感じます。しかし、やってもらっている方は気持ちがよくても、やるほうの気分は決していいものではないのではと思いながら、考えているとき、イエス様の聖句を思い出しました。


ヨハネの福音書13章1節から10節
過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。 夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。

こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。シモン・ペテロはイエスに言った、「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」。イエスは彼に言われた、「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない」。




いよいよ十字架が近づいてきていることを知ったイエス様は、切実な心情で神様をあかしし、神様の愛を伝えるために、弟子たちの足を洗うという手段をとられます。神様がどのようにして人間を探し、愛してこられたかを、身をもって実践されたのでした。

そのようにして、
イエス様は足を洗うということを通して弟子たちとの絆を結ばれながら、神様の愛の姿を実体であらわされました。主でありながら、弟子の足を洗うということをされて、僕の僕姿で神様の愛を実践されたのでした。

神様はいつもそのようにして人類をたずねて下さいましたが、今までその愛に気がつくことなく自分勝手に争いながら、悲惨な歴史を繰り返してきたのが、人間の歴史でした。


真のお父様はイエス様の成しえなかったみ旨を完成するためにどれだけ、僕の僕の立場を通過されたのか、計り知れません。その結果今のこの世界があり、自分の命があることを思うとき感謝に感謝して、その心情を相続せねばと思います。

そして、
ペテロの足を洗われたイエス様の心情の世界を、私たちも相続せねばと思います。伝道の根本はその心情であると思います。神様が、真のお父様が、イエス様がなされたごとく、僕の僕の姿で尽くすとき、新しい生命が生まれてくることを改めて教えられました。



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氏族メシヤ伝道摂理の責任分担完遂は84数復帰です

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氏族メシヤ伝道摂理の責任分担完遂は84数復帰です。


氏族メシヤ伝道の目標は84名の伝道をするということになります。それが私たちの責任分担であり、果たさなければならない使命です。

イエス様が鞭打たれ、十字架に行かれた根本は氏族のヨセフの家庭とザカリヤの家庭がイエス様とひとつになれなかったことであることを知っています。その結果ユダヤ民族が反対するところとなり、十字架の道となりました。

真のお父様はそのイエス様のすべての苦労を実体的に通過され、拷問の嵐を受けながら、血と涙と汗の路程を通して、再臨のイエスとしても道のりを歩まれて勝利されました。

本来、私たちはイエス様の歩まれた路程を歩まずしては、サタンを分立することができず、天国への道はありません。ところが真のお父様が勝利してくださったので、その原理的条件を満たすことを通して、サタンを分立し、神様の愛を相続したといえる特権を与えられています。

イエス様のときに反対を受け、失った12弟子と72門徒の84名を復帰することを通して、イエス様の十字架を解放したというとてつもない恩恵となっています。


真のお父様のみことば
それで、皆さんが成さなければならないことは、イエス様の解怨をしてあげることです。イエス様の解怨成就をしてあげなければ天国に入れないのです。
先生はアダムの解怨成就、イエス様の解怨成就、神様の解怨成就をしなければなりません。
皆さんはイエス様の解怨成就です。イエス様は結婚することができなかったのですが、皆さんは結婚したのですからイエス様の立場に立とうとすれば、イエス様ができなかった氏族復帰基盤を完成しなければなりません。
1985.12.25



真のお父様のみことば
皆さんは氏族的メシヤとならなければなりません。皆さんはイエス様の恨みを解怨せずしては神の国へ入ることができません。イエス様はなぜ死んだのですか。それは氏族編成をすることができなかったためです。十二弟子と七十二名を探し立てることができなかったためです。それで私たちは七年の間に、月に一名ずつを伝道しなさいというのです。八十四数を満たすことができなければ、皆さんは氏族圏を越えて民族、国家、世界へと行ける摂理圏に接触することができません。 1985.12.25


家庭連合が摂理から外れて、神様の摂理は二代王様を中心としたサンクチュアリをとおして、王国の建設が成されています。その土台となるのが、氏族メシヤとなるべき者たちの責任分担が成就されることだと思います。

84名を明確に意識しなければ始まらないと思います。そうすれば、神様や霊界が応援してくださる体制が準備されます。イエス様や真のお父様の通過された苦労からすれば、たいしたことがない課題です。


寝てもさめても責任分担を勝利することを意識し、84名に対する計画を自分で立てて、神様に報告しながら戦っていくときに必ず道があって、勝利することになると思います。

家庭連合時代では経済ノルマなどがあって本当の伝道ができませんでした。こわくて伝道どころではありませんでしたが、サンクチュアリではそれが可能です。二代王様、国進様が原理的に導いてくださっています。真のお父様が背後で応援してくださっています。

84名の意義と価値をさらに、実感するために家庭教会氏族メシヤ摂理を学習しながら、みことばとひとつになって前進していきたいと思います。



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信仰による人間の責任分担の完遂

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信仰による人間の責任分担の完遂


原理を通して、み旨成就は神様の責任分担と人間の責任分担が完成されなければ勝利しないということを知っています。

神様の責任分担はメシヤを地上に送られることでした。メシヤは地上に来られてあらゆる迫害を乗り越えながら、勝利されました。真のお父様は神様の立場において、堕落人間の失敗してきたあらゆる蕩減の路程を個人から、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙にいたるまでサタンの攻撃を受けながら、克服勝利されました。そして、そのすべての勝利の結実を人間に与えてくださいました。それが家庭教会氏族メシヤ摂理です。

アダムのときは神様から与えられたみことばを守ることが人間の責任分担でした。
今のときは、メシヤが地上に来られて、世界的な長子権を勝利され、そのすべての勝利権の結実として人間に与えてくださった家庭教会氏族メシヤ摂理のみことばを守り、勝利することであると思います。

ですので、
人間の責任分担は家庭教会氏族メシヤ摂理を勝利することであり、それ以外にはありません。


本来ならば、真のお父様が世界的21年路程を1976年までに勝利されましたあと、二次21年路程が出発しました。それが2000年までの子女(人間)の責任分担の21年路程でした。その間においてその家庭教会氏族メシヤ摂理は完全に勝利することが、天の切実な願いでありました。

いまだに、その摂理は勝利しておらず、延長されている状態ですが、勝利して終わるか、失敗して終わるのかは人間自体にかかっています。それは私たち自体にかかっています。急がなければ、その延長された時間が時間切れになるのではないかと、現実の深刻な情勢に心が焦ります。


真のお父様のみことば
ホームチャーチは、神と真の父母が人類に与えた最高の贈り物です。それは過去において未来においても、けっして存在しない最初のものであり最後のものです。あなた方はホームチャーチの贈り物を受けました。それを果たすことによって、あなた方は真の息子・娘になるのです。

ホームチャーチは、あなた方自身を真の息子・娘にする容器なのです。私は、この贈り物があなた方に与えられるためには、六十年の全生涯を準備してきました。あなた方は、それを相続し、完成しなければなりません。ゆえに、ホームチャーチに対して、真剣に祈らなければならないのです。
1979.4.15


聖書の中に信仰ある者の話があります。イエス様のみことばを切に求めた人の信仰によって、奇跡がおきて、病気が治ったという聖句です。


マタイによる福音書8章5節から13節
さて、イエスがカペナウムに帰ってこられたとき、ある百卒長がみもとにきて訴えて言った、 「主よ、わたしの僕が中風でひどく苦しんで、家に寝ています」。 イエスは彼に、「わたしが行ってなおしてあげよう」と言われた。 そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。 わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。

イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。 なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、 この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」。 それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。



私たちはみことばと家庭教会氏族メシヤ摂理を切に求めたわけでは、なく一方的に神様から与えられています。ただ、今に至るまでの4000年のユダヤ教、2000年のキリスト教の人々は切に、願ってきました。どうしたら、天国に入ることができるのかを切に探し、待ちに待ってきました。


その心情で切にもとめ、神様、真のお父様を信じて、家庭教会氏族メシヤ摂理に対して前向きに臨むときに、神様と真のお父様によって、奇跡的な勝利を与えられることになるということを先の聖句によって教えられました。

今まで、真のお父様の全生涯の勝利的基盤は韓氏オモニの不信と堕落によって、すべてサタンに奪われてしまいました。二代王様を実体的におささえする基盤を世界的に早急に拡大しなければならないと思います。そのために、家庭教会氏族メシヤ摂理の勝利が切に願われていることを痛感しています。


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聖書の中のよき地にまかれた種として


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聖書の中のよき地にまかれた種として


イエス様のたとえ話が聖書の中にあります。そのたとえ話を今のこのときに、あてはめ、神様の願いが何であるのか、どうすればいいのかを考えたいと思います。


マタイ福音書13章1節から9節
その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。 ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。 イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。

まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。 ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 耳のある者は聞くがよい」。



私は、このイエス様のたとえ話をこのように捉えました。
種まきは真のお父様、種はみことばで

道端に落ちたものは、はじめからみことばを受け入れようとしない人々。
土の薄い石地に落ちたものは、一時はみことばを信じながら、最後までついていくことのできなかった人々。
いばらの地におちたものは、真のお父様に反逆した韓氏オモニをいまだに信じている家庭連合のシックの方々。
よい地におちたものは、二代王様を信じてしたがっているサンクチュアリのシックの皆さま。

それでその種はみことばであると同時に真のお父様が世界的に勝利されて、弟子たちに与えられている「天国の鍵」であると思います。その「天国の鍵」で百倍、60倍、30倍になって氏族のメシヤとなり天国をつくることができるようになることを言っていると思います。

本来、イエス様の目的はみことばを伝えると同時に、天国の鍵を弟子たちに与えることでした。十字架に行くことが目的ではなく、イスラエルからローマに行かれて、世界的な勝利圏を獲得して、その勝利圏を弟子たちに授ける使命をもたれていました。その与える勝利圏が天国の鍵となっていたはずでした。

ところが十字架にいかれたがゆえに、その本物の天国の鍵は再臨のときまで与えることができませんでした。

真のお父様のみことば
イエス様が来るまで天国はありませんでした。イエス様は、天国の鍵をペテロに与えましたが、イエス様はどこへ行ったのでしょうか。彼は十字架へ行かれましたか。それとも真っ直ぐ天国に行きましたか。十字架へといかれましたね。天国の鍵はなんでしょうか。それはホーム・チャーチです。それ以外はありません。

ではペテロはどうすべきだったのでしょうか。今、私たちは、彼がその体的天国つまりホーム・チャーチを開くべきだったと言うことを知っています。そして、私たちの言葉で言う、環境を確保できるのです。その後に氏族の編成が成されます。イエス様が「あなたが地上でつなぐことは天でもつながれ、地で解くことは天でも解かれるであろう」と示されたように、私たちも地上で天国を実現しない限り、霊界での天国も実現されません。
1981.1.1


私たちはよい地にまかれて、真のお父様から種をいただいています。
百倍、60倍とすることのできる貴い環境と事情を神様から、準備していただいています。

その種の価値を今一度、確認することが必要と思います。
天国の鍵がいかに貴いものであるかの確信と自信によって、行動の基準が決定することになります。氏族メシヤ伝道は家庭教会プログラムが土台となっていますので、それを理解することによって、勝利は確実になると思います。


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プロフィール

阿南信義 Nob..Anan

Author:阿南信義 Nob..Anan
大分サンクチュアリ教会
 阿南信義  080-8375-0337
大分の山奥で農夫をしています

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